巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

sutekobune77

捨小舟   (博文館文庫本より)(転載禁止)

メアリー・エリザベス・ブラッドン作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2015.1.9

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         捨小舟  前編   涙香小史 訳

                 七十七

 「証拠とは何の様な品です。」
と空とぼけて問う皮林の言葉に十口松三は少し真面目になり、
 「皮林さん、貴方は人を毒殺して、其の犯罪が何の証拠も残らず消えて仕舞う物と思いますか。」
 皮「イヤ、消えては仕舞まわないでしょうが、決して私が其の毒害に関係した訳では無く、多分園枝夫人の仕業だろうと思う丈です。何れにしろ、私が自分で罪を犯さないのに、証拠と云う物が残っている筈が有りません。」

 松三は落ち着いて、
 「フム、貴方は何処までも毒を盛ったのは自分ではない。園枝夫人だろうと言い張るのですね。其の言葉を打ち消す丈の反対の証拠は幾等も有りますが、茲(ここ)で夫(それ)を見せては、貴方に益々用心させる丈ですから、見せずに置き、他日愈々(いよいよ)其の証拠を出さなければ成らないと云う場合を待って、其の時に残らず出しましょう。茲(ここ)では私の手廻しが、何れほど行き届いて居るか、其の手廻しの一端をお目に掛けます。」

と云い、手帳の中から一枚の名刺を取り出し、之を皮林の前に置いた。見ると是は皮林自身の名刺である。此の者は如何にして我が名刺を手に入れたのだろうと、幾分か怪しくは思ったが、絶えず常磐家の下僕等が出入りする「田舎屋」の主人なので、何とかして一枚を得た物だろうと、非常に軽く見流して、

 「其れは私の名刺ですが、貴方は此の名刺が犯罪の場所に落ちて居たとでも言い張るのですか。」
 松「イヤ、その様な作り事は言いません。此の名刺は犯罪から三週間ほど前に、常磐家の下僕から貰ったのですが、名刺の縁には倫敦(ロンドン)の市外れに在る、貴方の住所の番地を記してあります。」

 皮「勿論です。名刺の縁には通例住所番地を記して有ります。夫(それ)が何(どう)したと云うのです。」
 松「貴方は悪人に似合わず悟りが遅い。私が此の名刺を唯慰(なぐさ)みに持って居ると思いますか。私は此の名刺を得てから、外の用事の序(ついで)を以って、直ぐに倫敦(ロンドン)へ行き、貴方の住居を見届けて来たのです。余り他人が往来しない静かな場所で、毒薬など製造するには屈強な住居ですネエ。」

 皮林は初めて松三が名刺を示した意を悟り、此の者早や既にこの様な所に目を附けて、我が身が毒薬を製する事まで突き留めたのかと、又も恐れを催したが、声高く噴き笑い、
 「左様さ。毒薬を製造するにも、其の他の悪事を企むにも極適当の住居です。アノ家に住んで居れば、警察官は夫(それ)だけで既に犯罪者に見做(みなし)ましょうよ。」
と嘲(あざけ)り返すのは、中々大胆な行為だと云える。

 松三は少しも騒がず、
 「裏庭には化学の試験所がありまして。」
 皮「左様、私は化学者ですから」
 松「ソウ、私は貴方の使いに来たと云い、貴方の老母を欺(あざむ)いて、其の試験所の中に入りましたが。」
 皮「ヤ、ヤ、私の使いと偽り、母を欺(だま)してーーー。夫(それ)は非道(ひど)い。」

 松「ナニ、その様に驚いても、もう無益(だめ)ですよ。今更驚いても怒っても、取り返しはつきません。まア落ち着いて私の話を聞きなさい。其の化学試験所の中には、毒薬を製造する人が、自分の顔を保護する為に被(かぶ)る、鉄の仮面が有りました。」
 茲(ここ)に至って皮林は、唯悔しそうに拳(こぶし)を握り、口の中で呻吟(しんぎん)《うめき苦しむ》するばかり。松三は平気で語を続け、

 「夫(それ)から四方の棚には、赤い付箋(レッテル)に名を書いて貼り付けた、様々の瓶があって、其の名は一々写し取りましたが、何れも一通り劇薬です。」
 皮「化学の試験には総て劇薬を用いるのです。」
 松「左様サ、是だけでも純粋の化学試験所ですから、私も少し失望し、更に次の間に入り、秘密の引き出しを捜し出し、彼是と空けてみますと、中に錠前も難(かた)くて、到底開かない引き出しが三個有りました。」

 皮「其の三個も少しも怪しくは有りません。」
 松「私は其の鍵穴の形と深さを蝋の模型に取り。宿へ帰って合鍵を作り、其の翌晩は窃盗の所為を真似(まね)して、貴方の母の眠って居る間に塀を越えて、今言う室へ忍び入りました。それを嘘と思えば其の時作った合鍵をお目に掛けても好いのです。

 其の合鍵のお蔭で、三個の秘密の引き出しを悉(ことごと)く開くと、中には同じ瓶があって、其の付箋(レッテル)は符牒と見え、印度やアフリカなどの地名を記してあるばかりで、薬の名前は無いのです。さては普通の薬舗では、まだ名を知らない種類の品で、其の産出地を記した物だろうと、私は斯(こ)う判断しました。」

 皮林は茲(ここ)まで聞き、身を震わせて
 「貴方は本当の窃盗罪です。」
 松「左様サ、窃盗でも強盗でも次第に依っては、人殺しでも随分仕兼ねない、貴方に好く似た悪人ですよ。訴えるなら、私の話を残らず聞いた其の上で、お訴えなさい。」

 皮「イヤ、其の後はもう聞きたく有りません。」
 松「聞きたくなくとも、私は言うだけは言わなければ成りません。貴方はヤルボローの古塔の上で、園枝夫人が、貴方の言葉を聞き度くないと云った時に、ハイと承知して止めましたか。無理に他人へ言い聞かせた事のある人は、又無理に他人から言い聞かされる事もあると、覚悟して居なければ成らないでしょう。

 茲(ここ)はヤルボローの古塔では無く、出入りも自由な宿屋ですが、夫(それ)でも貴方の身は、古塔に捕われたのも同様です。逃げようとしても私が逃がしません。唯アノ古塔には、貴方が誰も聞いて居ないと思ったのに、縁の下で私が、イヤ、私の恩になる乞食が、詳しく聞いて居ましたが、この室には、外に誰も聞く人の無い丈の違いです。」

と云い、十口松三は非常に心地好さそうに打ち笑い、更に其の話を続けて行こうとする。


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