巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

sutekobune97

捨小舟   (博文館文庫本より)(転載禁止)

メアリー・エリザベス・ブラッドン作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2015.1.29

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         捨小舟  後編   涙香小史 訳

                  九十七

 皮林育堂が、此の山の中に来て居るとは、固(もと)より小浪嬢の思いもしなかった所なので、嬢は再び驚いて、唯、「オヤ」と叫んだだけ。直ぐには挨拶の言葉も発する事が出来なかった。

 抑々(そもそ)も嬢と皮林は、先に常磐(ときわ)家に、客だった頃、互いに影となり日向となって、園枝を傷つけ、以って常磐男爵を、今の不幸な有様に陥入れたとは云え、元々両人の間に、何の約束も有った訳では無い。

 皮林は、嬢にそれと悟らせない様にして、嬢を己(おのれ)の道具に使い、嬢も唯園枝を妬(ねた)む余り、知らず知らずに皮林を助けた者なので、嬢は皮林の深い企みを察する事が出来なかった。今も猶(なお)彼を、園枝と共に遊山場から逃亡した、其の片割れと思っているだけである。

 「私は唯貴女に逢い度い為に、昨夜此の宿に来ましたが、ご存知の通り、常磐男爵の間近に居て、顔を見られるのは好みませんから、今日一日自分の室に引き籠り、貴女にお目に掛かる折を待って居ました。明朝兄上罷役(ひやく)少佐が、仏国へお立ちなされば、その後で緩々(ゆるゆる)と、お話も出来ようかと思いますが・・・・。」

 嬢は是まで聞き、カッと怒って其の顔を赤くした。兄罷役少佐が金策の為仏国へ立つ事は、たった今秘密に相談したばかりで、何人も知る筈がないのに、何うしてこの様な事を口走るのだろうと、怪しくて仕方が無かったが、流石交際に慣れた丈あって、この様な際にも我が身の見識を落とさず、無言の儘(まま)裾を払って立ち去ろうとすると、皮林はなお付き纏(まと)い、

 「イヤ斯(こ)う申しては失礼ですが、兄上罷役少佐のお留守中は、宿の払い其の他の費用などは、私が如何様にも致します。」
 此の口振りは、最早疑うまでもない。彼は部屋の戸の鍵穴に耳を当て、先刻の相談を悉(ことごと)く洩れ聞いたのに相違無い。嬢は最早此の無礼に我慢がならない様に、

 「貴方は何の権利を以って、私にその様な無礼な言葉を掛けまする。兄少佐に聞かせたなら、必ず貴方に決闘を申し込みます。兄を茲(ここ)へ呼びましょうか。」
と云い早や
 「兄さん兄さん」
と殆ど大声に叫けぼうとする剣幕だったが、皮林は先に悪人古松に苦しめられてから、一層この様な駆け引きの手際を増し、宛(あたか)も古松と同じ流儀の落ち着き方で、

 「イヤ、兄少佐をお呼びなされば、私の目的は破れますが、その代り貴女の目的も破れます。ハイ茲(ここ)で事を荒立てては貴女も到底男爵の妻となる事は出来ず、直ぐに男爵から愛想を尽かされ、此の土地を立ち去らなければならない事と為りますから、其の辺の利害をよく考えて、其の上で呼ぶならお呼びなさい。」

 嬢はぎょっとして返す言葉も知らない。徒(いたずら)にその目を白黒するばかりであったが、皮林はズッと言葉を和らげて、
 「イヤ、重々の無礼な言葉は、何うかお許し下さい。決して悪い心で言ったのでは無く、全く貴女の為を計り度いばかりです。此の土地へ尋ねて来たのも、全く夫(それ)だけの目的です。」

 嬢は侮(あなど)り難い相手と思ったので、仕方無くやや静まりは静まったけれど、なお少しも気を許さず、十二分に隔てを置き、非常に余所余所しい口調で、
 「何で貴方が、他人の私の為を、そうお思いなさるのですか。」
 皮「其の御不審は御尤(もっと)もですが、貴女と私とは、全く利害を同じくして居る事が有ります。貴女の為は即ち私の為です。貴女が浮べば私も共に浮ばれます。」
 嬢「とは何う云う訳で。」

 「イヤ其の訳は私の秘密で、今直ぐには申し上げられませんが、貴女は全く私の言葉をお信じなすって好いのです。ハイ此の皮林育堂と云う男は、我が身の為を図って呉れる男だと、安心して信じなさい。貴女と利害を同じくする訳が無ければ、態々(わざわざ)貴女を尋ねて来る筈が有りません。常磐男爵の居る辺(あたり)へ近く来るのは、私の身に取っては随分危険な業ですが、其の危険さえ冒して来ましたからには、是だけで私の言葉が嘘で無いと分りましょう。」

 分ったのか分らないのか、嬢自ら煙に巻かれ、殆ど理解する事が出来ない程であったが、何とやら道理らしく又何とやら誠らしく聞こえるので、少し今迄の隔てを撤回し、
 「それにしても、何うして貴方が私の為を図りますか。」
 斯(こ)う問い返すまでに到ったからは、最早我が手の中に、丸め込まれたのも同様であると、皮林は充分に安心し、宛(あたか)も我が相棒に語る様に、打ち解けた細語(ささや)き声で、

 「貴女を常磐男爵の令夫人に出世させようと思いまして。其の工夫は悉(ことごと)く私の胸にあります。」


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