巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

sutekobune99

捨小舟   (博文館文庫本より)(転載禁止)

メアリー・エリザベス・ブラッドン作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2015.1.31

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         捨小舟  後編   涙香小史 訳

                 九十九

 実に小浪嬢の今の身の上は、借金の重囲の中に落ちたもので、それを切り抜ける唯一方の活路は、早く男爵の妻となることにある。早く男爵の妻となるには、最早彼皮林の智慧を借りる外に無い。間逆(まさか)皮林の智慧一つで、早速事が運ぶとは思わないが、溺れる人は藁にすら縋(すが)るの道理、兎に角にも其の工夫だけでも聞いて見ようと、心に思い定めたのである。

 だから皮林が同じ樹の蔭から忍び出(いず)るや、嬢は以前の様に驚きもせず、却(かえ)って其の顔を差し覗きながら、
 「貴方ですか。」
と細語(ささや)いて忍び寄った。この様な際にも、第一に嬢が心に掛かるのは、使い減らした彼の五十金の言い訳なので、何より先に、此の事を旨(うま)く言い繕って置こうと、嬢は殊更に平気な色を粧(よそお)い、

 「貴方でしょう、あの様な悪戯(いたずら)をなさったのは、エ、無名で金子など送ってさ、私は余り腹が立つから今度逢ったら、其の儘(まま)お返し申そうと思い、元の通り封をして、手も附けず抽斗へ仕舞って有ります。今夜は持って帰って下さいよ。」

と非常に大胆に言い放つのを聞き、皮林は我が目算が外れたかと殆ど呆気(あっけ)に取られたが、漸(ようや)くにして、嬢の心の底を見透かし、既に幾分使い込んだので、苦し紛れにこの様に苦肉の言葉を吐くものに違いないと、裏の裏まで察し尽くし、

 「イヤ、悪戯では有りません。全く親切に出た事ですから、貴女がさうご立腹なら、ハイ、頂いて帰りましょう。誠に相済まない事を致しました。」
 以外な返事に、今度は嬢が呆気に取られ、急には返す言葉も出て来ないのを、皮林はやはりと満足し、夜目にも夫(それ)と分るほど、非常に異様に眼を光らせたけれど、是から嬢を道具にしようととする際なので、此の上無益に苦しめるのを好まず、

 「併し小浪嬢、貴女と私の間には、之から追々、様々な取引が出来るものと思いますから、其の取引が済んで、愈々総勘定と云う時迄お預けして置きましょう。若し相談が纏(まと)まらず、此の場限りお別れ申す様なら、直ぐ頂いて帰りますけれど。」
と云う。

 其の心には、我が相談に応じなければ、今夜直ちに彼の金を受け取るぞと、暗に脅しの意をも含むものに違いない。嬢は更に体裁を張り、
 「何の様な相談にしても、前以て金銭の掛かり合いがあっては、何だか金尽くの様で、気持ちが良く有りませんから、相談を始める前に、ドレ持って来てお返し申しましょう。」
と再び立派に言い切ったけれど、遣(つか)い込んだ其の弱味が、心に充分横たわっているので、皮林が未だ返事を発しないうち、早くも思い直した口調で、

 「イヤ、何れとも貴方のご随意に致しましょう。持って来ましょうか、夫(それ)とも後に致しましょうか。アア、余り出たり入ったりして、人に様子を怪しまれるのも好くない、お言葉に従いましょう。」
と予防し終った。

 皮林は苦笑いをしながら、非常に曖昧に、
 「小浪嬢、私は一を聞いて十を察する質ですから、私に向ってはその様な駆け引きは無益ですよ。」
と冷ややかな言葉で、先ず嬢の肝を寒からしめて置き、徐(おもむ)ろに四辺(あたり)を見廻し、さて云うには、

 「先夜私の言った事は、篤(とく)とお考えなすったでしょうネ。」
 嬢「エ、貴方の言った事とは。」
 皮「アレまだ其の様に体裁をお張りなさる。私に物を云う時は、包みも飾りもせず、心の儘(まま)を仰しやらねば駄目ですよ。貴女の境涯は一々分かって居ますから。エ、貴女が男爵の妻に為らなければ、仕立て屋其の他の借金を、切り抜ける道の無い事も、其の為、貴女が男爵の先へ廻り、茲(ここ)に網を張り待って居た事も、又今のところで、私の智慧を借りなければ、到底急には男爵の妻にはなれない事も、サア是ですから、腹蔵なく明白にお返事なさい。私の智慧を借りますか。借りませんか。」

 借りると決心した身なれども、この様に問われては、幾分の恐れを抱かざるを得ない。
 嬢「貴方の智慧とは、犯罪に類する様な事柄では無いでしょうネ。」
 皮「何の犯罪に成りましょう。犯罪に類した事なら、私は決して貴女に打ち明けて相談はしないで、誰にも知らさず、独りで行います。」
 嬢「でも有りましょうが、人に聞かれて恥じる様なご相談なら、応ずる事は出来ません。」

 皮林は非常に皮肉っぽく、
 「そうですね、貴女が男爵の妻に成ろうと云う其の目的が、人に聞かれて恥かしい目的なら、私の相談も矢張り恥づべき相談かも知れません。」
 嬢「エ」
 皮「イヤサ、唯貴女を一日も早く男爵の妻にしようと云う丈ですから、詰まる所貴女の目的と同じ事です。」

 嬢は未だ危ぶみながら、
 「それでも、私が愈々(いよいよ)男爵の妻になり果(おお)せた上で、報酬して呉れとか何とかと云う、条件とやらがあるのでしょう。」
 皮「イエ、何の条件も有りません。貴女が男爵の妻になれば、夫(それ)で私は安心して立ち去るのです。唯貴女と男爵を夫婦にする、それだけが私の望みですから。」

 嬢「それは余り不思議では有りませんか。」
 皮「イイエ、不思議でも唯それだけです。」
と非常に異様に言い切った。
 皮林の真の目的は、何(いず)れの辺にあるのかは分らない。


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