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妾(わらは)の罪

黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2012.12.21

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  妾(わらは)の罪    涙香小史 訳   トシ 口語訳

                 第十回

 村上の行方知れずと聞き妾(わらは)は再び気絶したが、これからは又も泥に塗(まみ)れた村上の姿に襲われるだけだった。しかし本回復の時期が来たと見え、およそ二十日ばかりし妾は漸(ようや)く寝床を離れる事と為った。医者の見立てでは病は全く治ったとのことだが妾は一刻も安心の思いは無く、ただ打ち塞(ふさ)いで憂いに沈むばかり。

 読者よ、是が塞がずに居られようか。夫を病気に死なすしても悲嘆に耐えないのは人情なのに、ましてや妾は自ら手を下して我が夫を殺してしまった。それも尋常な死に様ではない。泥深い古池の底に沈めその死骸さえ引き上げる事が出来ない。村上は冥府にあってどれ程か妾を恨んで居る事か。せめてはその死骸を探し立派に葬式を営めば村上の亡き魂も休まるだろう。妾の心も落ち着くだろう。こうは思うがどの様にして死骸を取り出だすべきか。

 父にこのことを打ち明けて池の底を浚(さら)おうか。アア、如何して父に打ち明けられようか。妾は父の目を忍び村上を秘密の夫にし、ソレを誤って殺してしまったと言ったら、父はどれ程立腹する事だろう。村上がまだ生きながらえ、父に打ち明けようと勧めた時でさえ、妾は父の怒りを恐れ、何としても打ち明けないと言った程なである。

 今村上が死んだ後で、しかも池の底に沈めたのでは、何と言って打ち明けたら好いのか。読者よ、妾の心の切なさを推察して欲しい。よしんば父に打ち明けて池を浚う事になっても、世間が人妻の言葉を真実とするだろうか。妾が誤って突き落としたのに違いないが、もし村上に飽きたため欺いて池の傍までおびき寄せ、村上の油断を見澄まして突き落としたものと思われたならば、妾は人殺しの大罪人である。その筋で許しはしない。

 妾は法廷に引き出されるだろう。古池の家名は汚れるだろう。親の恥、わが身の恥、妾は如何(どう)しても隠さなければ為らない。幸いこの広い世界に妾の他は誰も知る者はいない。妾さえ他言しなければあの池の底に村上の死骸があることは知らない。仮に水が涸れ、底が乾いて自ずと死骸が現れる事があっても、誰が妾の仕業だと疑おう。この秘密は千年の後までも破られる事はない。

 済まない事とは知りながらも妾はついに隠すことに決心した。読者よ、妾は果たしてこの罪を隠し果(おう)せるだろうか。否、或る日の事、父は何時もの如く妾の部屋に来て突然と言葉を発し、
 「華藻や、(華藻は妾の名前)どうも不思議な事があるもので、アノ村上が駆け落ちしてな。」
 (妾)エエッ
 (父)ソレ、是だけ聞いて驚くだろうが私も実に驚いたよ。あの洲崎嬢と駆け落ちした。

 妾は許よりこのことの誤りである事は知っているが、それにしても何を聞き違ってこの様に言うのだろうと、密かに不審でしょうがなかったが、我が心を鬼にして、その様なことは無いでしょう。何だか洲崎嬢は古山さんがその故郷まで送り届けたとか聞いたと思いましたが。

 (父)イヤ、それは吾女(そなた)の枕元なので古山が気兼ねをしてわざとその様に話したのだ。その後で古山が実はこれこれだと詳しく話した。その言葉で見ると如何しても洲崎嬢と村上とが駆け落ちしたに違いない。二人とも居なくなってしまったから。
 (妾)「ヘエ、村上も居なくなりましたか。私はちっとも知りませんでした。」
とは妾(わらは)の口からよくも出たものだ。妾(わらは)はは我が心が段々大胆になって行くのに驚くばかり。

 (父)知らないのも当然だ。吾女(そなた)が病気になった夜のことだ。村上は病気が好くなったと言ってその宿を出たと言うが、それっきりで行方が知れずさ。それに洲崎嬢もその通りだ。吾女の病気で騒いでいるところへ古山が遣って来て、これから急に洲崎嬢を故郷へ送り届けると言ったからきっと届けたことと思って居たところが、後で聞けば実はあの日のまだ暮れないうちから嬢の姿が見えなかったということだ。

 成るほど誰も見た者が居ない。それを古山が気遣って実は自分が連れて来た女であるから、もしもの事があっては言い訳が立たないと内々で方々を探したが、何処に居るとも分からないので、もしや黙って故郷に逃げ帰ったのではないかと。

 (妾)でも黙って逃げ帰るはずは無いでしょう。
 (父)私もそう思ったが古山の言うのには何か吾女と仲違いをしていたと言うことで、それだから古山は随分逃げて帰り兼ねないと思い、念のためその故郷まで見届けに行く気になったが、丁度吾女の病気の時なのでそう言っては私が心配するだろうと思い、それで唯嬢を送りに届けるとこう言ったのだ。

 それから故郷に帰って見ると嬢が帰っていないので古山は驚いて帰って来たが、その時丁度私が吾女の枕元に居たので吾女にびっくりさせてはならないと矢張り初めの通り嬢を送り届けたと言ったので、その後で実はこれこれで村上も居なくなったと言うところから、それではもしや駆け落ちではないかとよくよく取り調べてみると、誰も同感だ。これまでは村上唯一人居なくなったと思ったから誰も合点が行かないと怪しんだけれど、嬢も一緒の日に居なくなったとしてみれば駆け落ちに違いないと言うのさ。」

 読者よ。これで見れば誰もまだ村上が池に落ちたと知る者は居ない。是だけは安心だが洲崎嬢が居なくなったとは何故なのか。妾は何か古山の謀(はか)りごとで嬢を何処かに隠したのに違いないと思ったので、
 「でも嬢が村上と逃げるのは不思議ではありませんか。」
と言うと、父も忽ち悟り顔に、

 「フム、吾女(そなた)も是を不思議だと思うか。実は私も他人が駆け落ちだと言うので駆け落ちだと言っているが、それでもまだ怪しいと思う事があるよ。成るほど村上と嬢とは夜会の時なども二人で散々に踊っていたから互いに夫婦約束もしただろう。それにしても逃げるはずが無いのだ。私がもう如何しても二人を夫婦にする積りでソレがために開いた夜会だから、夫婦約束が出来れば公然と夫婦になれる。何も人目を忍んで逃げて行くはずはないと是まで言い来たって、更に声を潜め、

 「私は初め村上が居なくなったと聞いた時、余り不思議でならないから人を三十人も雇って諸所へ走らせたが、それでも丸きり行方が分からないので、内々有名な探偵を頼み捜索してもらった。その探偵が一昨日来て言う事には、是は如何しても逃げたものではない。逃げたなら何か手掛かりがある筈だが村上の宿を検めても着替えひとつ無くなっていないと言う。遠くへ逃げ出す者が着替え一枚持っていかないはずはない。

 依って探偵は何か他に理由がある事だろうというから、私も参考のためと思い、洲崎嬢のことを話すと、探偵はそれが非常な手がかりになると言って帰ったが、夜前又来て言う事には」
と言って益々声を低くして、
 「吾女だから聞かせるが実に驚くよ。二人とも古池に落ちただろうと言う事だ。」
 (妾)エエッ

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