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妾(わらは)の罪

黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2012.12.30

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  妾(わらは)の罪    涙香小史 訳   トシ 口語訳

                 第十九

 読者よ、泥に塗(まみ)れた村上達雄の姿が壁から天井に這い広がり、今にも妾(わらわ)が枕元を目掛けて寄って来ようとしているようだった。この様な影が映るはずはないないので、妾は心の迷いと悟り左右を眺めたが、心の迷いではなかった、確かに壁の面に写っていたのだ。前の夜、トンネルの壁に映ったのと同じ形、同じ大きさである。
 行く先々にこの怪しい影があって妾の身を襲うとは、アア、妾の身に罪があってその罪を責めているのだ。

 この時妾の横手に当たり、たちまちに鳴くがごとく、恨むがごとき声が聞こえた。妾はぞっとして振り向くと、妾とベッドを並べた古山の魘(うな)される声であった。アア古山はどのような夢を見たのだろう。何者に魘されているのだろうか。
 読者よ、夜更け、人定まり、世界ただ森として草木も眠るかと疑われる時に当たり、人の魘される声を聞くほどものすごいものは無い。ましてや枕元には泥に塗れた村上の姿がある。恨みを含んだ眼で妾を睨んでいるようだ。

 この時又この声を聞く。妾は唯恐ろしさにすくむのみ、。アア村上の亡き霊は今宵は妾が古山とベッドを並べるのを見て、それを悔しいと言ってこの様に現れたものか。ここは下等な宿で他に寝るところが無い。アア、如何したら好いだろう。妾は枕を上げただけで起きる事も出来ず、眠る事も出来ず、しばらくの間目を閉じて神を念じていたが、フト気が付くことがあった。

 その影はもしやベッドの前にあるランプ台のギボシではないか。ランプ台には隅々に高いギボシがあってうねうねに彫刻してある様子は宛(あたか)も人が立っている姿に似ている。アア、村上の姿と見えたのはこの影に違いない。それを恐れて祈ったのは我ながら愚かだった。ランプを取って他に移すと影も自ずから消え失せるだろうとこう思って手を差し伸べ、ランプの元を握ると、アア、読者よ、宵から灯(とも)してあったためであるか、その熱い事火のようであった。

 妾の手のひらに焼け付くかと思われた。妾は驚いて、
 「あつつ」
と言いながら投げ出すとランプは傍に寝ていた古山のベッドに当たって微塵に砕け、中の油は古山の頭から体一面に浴びせたように掛かった。掛かるが早いか燃え移る火の勢いに古山は跳ね起きて飛び出したが、石油の火は消す方法が無かった。もがくだけ益々燃え盛って古山の体は唯火の柱が走る様だった。

 火の中に声があって、
 「助けてくれー」
と叫び立てたが、助けるに助けられず。妾はうろたえ回って、アレヨアレヨと騒ぐばかり。この時外を通行する夜周りの巡査が窓の外から火の影を見たと見え、下の戸を破るばかりに打ちたたく音が聞こえた。
 「コレ、火事だ、起きんか、起きんか。」
 妾(わらわ)はこの声を聞きながらも、降りて行って戸を開く事を知らず。のた打ち回る古山の身の回りを唯ぐるぐると駆け回るだけ。古山はこの様に身を焼かれてもまだ命は絶えないと見え、右に左に跳ね狂い、或いは彼方の壁に突き当たり、或いは此方の柱に飛び付き、前に倒れ、後ろに転び、荒れに荒れて飛びながら、コレ消してくれ、助けてくれ、コレ、華、コレ、この俺を見殺しにするのか。コレ、消してくれないか。

 手前は俺を焼き殺すのだな。その積りで俺の体に石油を注ぎ、この通り火を付けたのだなと、非常に早口罵った、この時漸く家の者は目を覚ましたと見え、巡査と共にがやがやと入って来たが、事既に後の祭りとなった。古山は荒れ尽くし、狂い尽くして床の上に倒れたまま起きもせず、動きもしない。燃え残る火はまだ体中を焦がしていたが古山は目も鼻も焼け流れて顔付きさえ分からない。僅かに苦しい息の下から、コレ、華、俺を焼き殺しやがって。石油を注いで 俺の体へ火を付けて、人殺し目、人殺し、と恨む声も段々に細くなって行き、何時とも無く聞こえなくなった。

 巡査は家内の者と部屋中を飛び回りベッド、その他に燃え移ろうとする火を消し止めていたが、その声を聞いて、妾の傍に来て、その方はこの家の旅宿者かと問い、妾は
 「ハイ」
と答えるのを聞き流して、更に又古山の傍に行ったが古山は早や死骸である。
 「コレは臭い、非常な臭気だ。」
と言って巡査は思わず鼻を覆いながら、
 「これ、気を確かにしろ、どうだ、如何した。」
と軽く手を掛けて揺り動かしたがその甲斐は無かった。

 (巡)「日に焼けてもその様に直ぐ死ぬものではないが、フム、荒れ狂う中に柱でどこかを打ったのだろう。もう仕方が無い。コレ、家内の者、今同僚を呼んでくるから、このままここに番をしていろ。

と言い捨てて立ち去った。
 読者よ、妾の心を察せよ。妾は夢中に夢を見る思いがするばかり。古山は早や死んだのか。この上どの様なことになっていくのか、それらは心に浮かばない。この家の主と思われる者が2.3人の雇い人とともに何事かを協議する様子だが、その言葉は妾の耳には入らない。
 
 妾は隅の方に身を投げて、驚きに見張った両の目を閉じる事もできず、魂既に抜け去って身体だけ残っているかと疑われる。このようにしている事何時間に及んだのかも知らない。やがて又心に反動を起こしたのか、精神が次第に冴えてきて我が身の上の恐ろしさがありありと目に見えてきた。アア、妾は人を殺した疑いを受けて、姿を変えてこの所まで逃げて来たが、ここに又も古山を焼き殺してしまった。

 ランプを取って投げたのは心あっての業ではないが妾の手で投げたのには相違ない。たとえ世の人が罪にしなくても妾の心を咎めることだ。ことに古山の口からして、俺を焼き殺すのかとの言葉も出ていた。古山は全く妾が火を付けたものと思い、非常に妾を恨みながら死んだ事は間違いない。先には村上を水に殺し、今は古山を火に殺す。村上は妾(わらわ)の秘密の夫である。古山は夫ではないが表向きの書面に夫と記されている。夫と見られるのも仕方が無い。

 虫でさえも殺したことが無い妾なのに、二人まで夫を殺すとは。一つはすでにその罪が露見し、警察の調査に掛かっている。一つはこれからどうなる事か。妾は我が身の恐ろしさを一々に思い回し、止め度も無く身震いをするばかり。泣くにも涙がない。この様なところに先ほどの巡査が厳(いかめ)しい同僚三名を引き連れて入って来た。読者よ、妾の身の行く末は益々暗くなって来るばかり。

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