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妾(わらは)の罪

黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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  妾(わらは)の罪    涙香小史 訳   トシ 口語訳

                 第二十四

 妾(わらわ)は牢の中にあって我が身の上を思いまわしてみると、今はどうあっても逃げられない場合である。古山を殺してはいないと言えば迷いの元を調べられて古池の事が露見するし、古池のことを隠そうとすると、古山を焼き殺したと言わなければならなず、妾が旅の空にあって、この様な恐ろしい罪を負い、裁判の憂き目を見ることが、もし父侯爵の耳に入れば、父はどれ程立腹する事だろう。

 ことに又世間の人に社交界の女王とまで立てられた古池華藻が村上を殺し、洲崎嬢を殺し、古山と手をとって出奔し、又その古山を殺したと言われては、生きていたとしても何の甲斐があるだろう。死ぬにも増す恥である。一言でも判事に華藻の名を知らせたなら、直ちに父の所に問い合わせる事は確実なので、華藻が今この罪を負い、この牢にいるのはたちまち世界中の噂となるだろう。その上になお妾の身はパリの警察に引き渡され三重の人殺しとして更に裁判に掛けられるだろう。

 我が身に覚えのない罪なので言い開きは立つにもしろ、生きて世間に顔向けができるものではない。それよりは一層の事、深谷賢之助の妻お華のままでこの裁判所で殺されよう。お華とは戸籍に名があってこの世には無い人と聞けば妾の他にお華はいない。妾が真のお華である。華藻はベルギーへ逃げて行ったまま行方が知れない者と見なされ、このサレスの裁判所で人殺しの罪に落ちたとは知る人もなく消え果よう。

 ただ一人父上こそ妾が行方の分からない事に力を落とし、当分は悲しみもすれ、今に便りがあることだろうとかえってそれを楽しみにして老い先を安楽に送るだろう。罪なき罪に殺されるのは辛いけれど、浮かぶ世の無い我が身である。せめては死に恥の少ないほうを選ぶのがよい。明日はあくまでも古山を殺したと言い立てて、死刑とやらの裁判を受けよう。

 妾は最早深谷賢之助の妻お華である。古池の令嬢華藻ではない。世にも人にも知られていないお華が裁判を受けるのに何の支障があるだろう。それを悲しむのは愚痴の至りだ。アア死のう。死んで華藻の恥を隠そうと妾は明け方に至って初めてこう決心した。

 読者よ、もし妾の身の上を察したなら、この決心が仕方が無い事を知るだろう。これより夜の明け離れるまで妾は唯我が身のはかなさを嘆き、世間には愛する人と夫婦になって生涯楽しく世を送る令嬢も多くあるのに、どうして妾一人が罪もないのにこの様に憂き目を見るのだろうと涙に咽んで泣き入ったが、追々に日も登り、昨日判事の前に引き出された刻限も近づいてきたので、はかない憂いに沈んでも仕方がないと自ら我が心を励ましながら、覚悟を決めて待っているうち、朝も早や十時となった。

 小使いと思われる男が巡査と共に入って来たので妾はこの二人に連れられて又も裁判所に入って行った。判事は昨日の人だったがその様子は同じではなかった。書記をその傍に置き、巡査と小使いを妾の左右に立たせているのはこれが全く罪人取り扱いとやら言うものなのだろう。昨日は判事の顔は非常に親切に見えたが、今日は唯真面目一方である。しかし言葉はまだ丁寧で、先ず柔らかに問いを起こした。

 「昨朝現場に出張した巡査の報告では、深谷賢之助が死に際に非常に貴方を恨み、石油を注ぎ火を付けて焼き殺したように叫んだとの事ですが、それに間違いはありませんか。」
 (妾)ハイ、
 (判)唯ハイでは分かりません。貴方は身に覚えがありますか。
読者よ。昨日とは全く問い来る箇条を変えていた。
 (妾)ハイ、昨日申しました通りです。
 (判)イヤ、昨日は別に何も聞きませんが。

 (妾)イイエ、私は昨日の申し立てを取り消しません。
 (判)昨日仰ったには壁に影法師が現れたので、それに驚いてランプに手を添えたところ、生憎持つところが焼けていたので思わず投げ出したとのことでしたが。
 (妾)イイエ、それは罪を逃れるための偽りでした。実は賢之助を殺すつもりでランプを取って投げ掛けました。

 判事は妾の言葉を信じないのかややしばらく、訝(いぶか)しそうに妾の顔を眺めた末、
 「そうではないでしょう。良く考えて仰るほうがようございます。短気な申し立てをなさってはとんでもない事になりますから。
 (妾)イイエ、短気な申し立てではありません。全く焼き殺したのに相違ないのです。
 判事はなおも妾の顔を見詰め、
 「それが十分な白状ですか。」
 (妾)ハイ、その他に申し上げる事はありません。

 (判)では他の問いに移りましょう。旅券には深谷賢之助の妻と有りますが、貴方は何処の教会で婚礼をしました。
 妾はこの返事に支(つか)えた。
 (判)何月何日何処で夫婦になりましたか。
 (妾)ハイあのー。
 (判)ハイ、あのー。
 (妾)それは申し上げる事は出来ません。
 (判)デハこのことは問わない事にしましょう。貴方の実家は何処ですか。
 (妾)それは旅券に書いてある通りです。何も皆旅券に間違いはありません。

 (判)「イヤ。旅券には唯深谷賢之助の原籍が書いてあるだけで貴方の実家は書いてありません。深谷賢之助の家に嫁に来たものなら他に実家があるでしょう。その実家をお聞き申すのです。父は誰、母は誰、生まれは何処、それを詳しくお返事なさい。」
 思い掛けないこの問いに妾は如何して答えられようか。又も黙然と首を垂れるばかり。

 判事は一層言葉を落ち着けて、
 「これに返事が出来ないとならば、貴方の身には今迄に暗いところがあるものと認めなければなりません。暗いところがあって見れば神経に恐れを抱くのも無理の無い事で、そうすれば今日の仰せの通り、壁に恐ろしい人影を見たの、冷たいランプが熱く覚えたのと言う事をかえって真実の申し立てと見ることになって来ます。」

 アア判事の眼はどれ程まで鋭い事だろう。妾は垂れていた首が地に着くかと思われるほど俯(うつむ)くばかり。上げようとしたが我が首は重い石のようだった。
 (判)私はその様に見なしてこれから貴方の身の上の詮索にかかります。この旅券も昨日調べたところ、悪い商人が実際に居もしない深谷賢之助という戸籍を作り、その名前を以って旅券を得、それを落人に売り渡したものと分かりました。そうすると貴方はお華ではないでしょう。深谷賢之助と言うのも偽りです。それを隠して貴方が賢之助を殺したと言い立てるからには、貴方の一身はこの上も無い秘密を蓄えているものと認めます。これでも白状しませんか。

 妾はなおも強情を張ろうとしたが、舌が強張って言葉が出ない。
 (判)「これから第一にパリの警視庁へ電報を打ち、警視庁から各地の警察へとそれぞれ問い合わせる手続きをしますから、警視庁より返事があった上再び呼び出すことにしましょう。それまで先ずお下がりなさい。」
 アア読者よ。華子のままで死のうとする妾の決心は水の泡である。パリの警視庁に問い合わされては妾の身の上は直ぐに分かるだろう。妾は首を上げる事も出来ず、そのまま引かれて牢に帰った。

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