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妾(わらは)の罪

黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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  妾(わらは)の罪    涙香小史 訳   トシ 口語訳

                 第二十八

 池に落ちて死んだ人がこの世にあるはずがないので、妾(わらわ)は全く自分も死んで冥土で村上に会ったものと思った。
 「でも、貴方、アノ池に落ちた後で!」
 (村)イヤ、落ちたけれど助かったからここにいるのです。私はアノ夜のうちに池から上がりました。
 (妾)それではここは・・・この世ですか。
 (村)監獄付属の病院です。

 監獄の二字、たちまち妾は心を呼び戻した。如何にも妾は監獄付属の病院にいる。村上を訪ねるため部屋の外に迷い出て廊下を伝って庭に来て、草に躓(つまづ)いて倒れたのだ。倒れたままで眠ってしまうところを村上に抱き起こされたので、この村上こそは幽霊ではない。こう思うと月も初めのように照り、虫も前のように鳴いている。辺りは見覚えのある草の庭である。

 この草、この月、妾が村上と約束した池の端の草に似、池の上の月に似ている。思って見ればまだ昨日のことかと思われるのに、今は二重三重まで人殺しの疑いを受けている。身は監獄の病院にあり。村上は生きてここにいるからには、我が身に掛かる嫌疑のうち、村上を殺したとの事だけは消えたが、洲崎嬢を殺した罪と、古山男爵を焼いた罪は如何して消したら好いかと、妾は村上の手に抱かれながらも、心に様々な事が浮かんでくる。

 この様な時にあたり、彼方から足音がして、慌しく駆けて来る人があった。妾は振り向いて見る力もなかったが、
 「オヤ、オヤ、ここにいらっしゃったのですか。私は一寸隣の病室に行った後で見えなくなりなさったから、一通りや二通りの心配ではありませんでした。」
と言うのは確かに看護婦の声だと分かった。さては妾を探そうとして追いかけて来たものと見える。

 「でもまあ、吉木さん。貴方が又どうしてここに。」
とは誰に向かって言ったのだろう。吉木とは非常に妾に目を掛けてくれた病院長の弟子と聞いたが、その人が今妾の傍に付き添って居るのだろうか。この時村上は振り向いて、
 「イヤ、私は余り月が好いから散歩のために庭に出ると、ここに倒れている女があるから、抱き上げてみたらこの病人さ。唯一人でここに出すとは看護婦の手落ちではないか。」

 さては吉木とは村上の事であるか。そうすれば妾が熱病に伏せながらも、しばしばその顔を見る思いがして、空しく手を上げて引き寄せようとしたのも、全くこの村上だったのだ。村上は我が心を驚かすことを恐れ、妾が正気に返った後は再びその顔さえ見せずにいて、とくに看護婦にまで口止めをして置いたため、妾が確かに若い紳士が立って行くのを見たと言った時も、看護婦が打ち消した次第であるが、そうすると、これまでの事は皆分かった。

 唯村上がどのようにしてここに居るのかは今もって理解が出来ないが、後で聞けばこれも分かるだろう。なるほど、先の日の新聞に洲崎嬢の死骸は現れたことが記されていたが、村上の死骸は唯池の水を残らず乾かし尽くした後、中ほどの深みから出てくる事だろうと記しただけだった。その後は新聞を手に取っていないので、これも全く泥の中から出て来ただろうと思っていたが、村上は何とかして逃れ去ったことにちがいない。だが合点が行かない事も数々あるが、妾は考える暇もない。

 又も看護婦の声として、
 「私は又吉木さんがもしや連れてお出でなさったかと思いました。」
 (村)「どうして病人を私が庭などに連れて出るものか。全く自分で気分の好いのに任せて歩んで出たものと見える。こう言ううちにもここには置けない、サア、担ぎ上げて病室まで連れて帰ろう。」
と早や両人で妾を担ぎ上げようとする。

 (妾)イヤ、何、病室まで歩きます。
と力を入れて立とうとしたが、立ち上がる気力もない。ついに二人に担ぎ上げられて、元の病室に連れ返られ、又もベッドの上に置かれたが、妾は唯無言のままで二人のなすがままに任せるだけ。それから村上は看護婦に言い付けてなにやら薬を取って来させ、これを妾に与えたが、妾は今迄身を動かしたくたびれからか、飲み干す力も無い。村上は傍から持ち添えて妾の口に注ぐのを、妾は二息ばかりで飲み干した。

 読者よ、この薬は眠りを催すためであるが、これから妾は目を開いて村上の顔を見ようとしたが見ることが出来なかった。宛(あたか)も先ほど草の上で力尽きて一人眠ったように、昏々として眠りを催す。妾の身の辺りにどのようなことがあるのか、村上は何処に行ったのか全く分からない。妾は再び眠り去った。しかしこの時は又夢に村上の姿は見なかった。ただ死人のよう眠りだった。

 ○○○○○○○○何時間眠ったのか知らないが、再び目が覚めたのは翌朝ではないか。窓に射す朝日は軒端にある木の枝を写して、ガラス越しに床に描いている。廊下の様子も何となく騒々しく聞こえるのは、朝だけに医者も看護婦も忙しいからか。妾はまだ村上がここにいるかと起き直って辺りを見たが村上は影もなかった。

 看護婦を呼んで、
 「アノ、村・・、イヤ吉木さんとやらは如何しました。」
 (婦)昨夜貴方がお眠りになるのを見届けてお帰りになりましたが、朝の間は忙しいから、昼過ぎにも暇があり次第又来ると仰ってございました。それにこの様子からは貴方ももう病気はほとんど治ったからこの上は唯体を肥立ちさせるばかりだと仰いました。

 (妾)朝のうちに直ぐ来るとは仰いませんでしたか。
 (婦)イヤエ、そうは仰いません。
 「アア、村上、妾がこのように頼りない身となってただ一人病みわずらっているのを知りながら、暇のあり次第とは何事だ。何ゆえ夜の明けるのを待ち兼ねて飛んで来ない。何ゆえ宵のうちから妾に付き添っていない。さては妾が人殺しの罪に落ち、見る影もなく落ちぶれているたために愛想が尽きたのか。

 唯一度その顔を見ただけで何の詳しい話もしないのに、早や安心して暇のあるまで来ないとは、妾を訳もない他人と思ってのことに違いない。それとも、思わせぶりに控えているのか。待ち焦がれる心を知らず。思わせ振りとは人でなし。今日に限って何ゆえこうも日脚の遅い事か。妾(わらわ)は一刻も千秋のの思いをして、唯午後二というのを頼りに一時、二時と待ち尽くし、三時に至り、四時に至れど村上はまだ来ない。ついには夜に入って十時にも近づいたが来る気配は更にない。

 アア、読者よ、村上は如何したのだろう。

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