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妾(わらは)の罪

黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2013.1.15

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  妾(わらは)の罪    涙香小史 訳   トシ 口語訳

                 第三十五

 探偵長は妾(わらわ)を上等の宿屋に連れて入ったが、この夜は別に変わったこともなかった。
 もとより別々に室を借りて寝たので、夜の明けるまで妾は探偵長の顔を見ず、唯一人で楽々と眠った。読者よ、妾は家を出てから今に至るまで、楽々と眠ったのは唯この夜を以って初めとする。今までは或いは牢屋、或いは病室、或いは怪しい影に襲われ、或いは重い病気に罹っていた。

 今晩こそは柔らかなベッドに足踏み伸ばし、夢さえ見ずに眠った。村上の事、父の事、気に掛からないではなかったが、既に我が罪を言い開き、この上は有罪でも無罪でも、単に判事と陪審員の裁判に任せようと決心した事なので、心に真如の月澄んで、浮かんでくる雲もない。実に一夜だけ我が身を忘れ、人を忘れ、罪を忘れ、罰を忘れ、広々として寝ていた。

 読者よ、妾が広々と眠りに就くのは今夜限りの事になるだろう。明夜はパリの獄に入って、どれ程の恐ろしい夢を見ることだろう。明後夜は、アア、明後夜は、妾は既に罪に落ち、死刑も決まった身かもしれない。牢の外の空気を吸うのは今宵が真の水納めになるか、はかない我が身よ。憐れむべき古池華藻よ。

 唯一時、村上を愛して、その愛を深く隠した為、これ程までも不孝の身に沈もうとしている。これを思いば、世に秘密の恋ほど恐ろしいものはない。もし初めからこれこれと父に打ち明けていれば、たとえ一時はしかられる事があっても、ついには丸く治まったものを、とは言え、今更言っても返らない。愚痴はさて置きながら、夜の明けると共に探偵長は早や支度して、妾の部屋に来た。

 「サア、今日乗り遅れては困ります。」
と急き立てる。妾も既にベッドから立ち出ていたので、
 「ハイ、用意は何時でもようございます。」
と言う中に、この家の女中が馬車が待って居る事を告げに来たので、そこそこにしてここを立ち出、又も停車場へと行くと、今度は乗り遅れる事もなく十分に一番汽車に間に合った。

 妾はきっと探偵長が中等か下等に乗るだろうと思っていたところ、彼は意外にも上等の室に乗ったので、これも妾を労(いた)わるためかと密かに喜んだ。やがて汽車が出るまで相乗りの客はない。前にサレスに来た時は古山男爵とただ二人、上等室に差し向かいになったが、相手が変わったが今も又二人だけで差し向かいになった。先に汽車中であった事々を考えると、気に障ることが多かったが、七十余の老探偵、かえって従弟の古山と差し向かうより心安い。

 二つ、三つ停車場を過ぎるまでは探偵長も新聞を開き見るのみ。妾には言葉さえ掛けない。妾も又黙然と俯くだけ。窓の外も見ずに控えていたが、探偵長は新聞を読み終わって静かに妾の方に向かい、
 「サレスの予審判事、吉木氏から一通りは聞きましたが、貴方は全く村上を突き落とした覚えはあるが、洲崎嬢を殺した覚えはないのですか。」
と問う。

 妾はこの所で深く答えるのを好まなかったので、
 「ハイ、覚えがあるもないも総て判事の判断に任せます。私は何も言いません。」
 (探)イヤ、判事に任せると言っても、判事は唯被告や証人の言う事を聞いた上で判断を付けるのですから、あなたが黙っていては判事も困ります。ことに又、既に村上を突き落としたと言う以上はその露見を防ぐために洲崎嬢を殺したとの疑いも起きていますから、言わないだけ不利です。殺さなければ殺さないで十分に言い開きをしなければ、どうしても助かりようがないことになっていますから。」

 妾は探偵ごときに根堀葉堀り問われるのを好まない。少し我が見識を見せて、
 「ハイ、そう仰って下さる御親切は有り難いと思います。愈々判事の前へ出れば又申しも致しましょうが。」
 (探)「なるほど、探偵などには言うだけ無駄だと仰るのですね。サア、そう仰ると思ったから、わざわざ出張したのです。私は唯の探偵ではありません。判事です。ハイ、実はこの事件を預かる予審判事です。」

 妾はアッと驚き、
 「オヤオヤ、貴方がこの事件を預かる予審判事ですか。」
 (探)ハイ、さようです。
 (妾)でも今迄、探偵長と仰って。
 (探)ハイ、探偵長です。その上に予審判事です。
 (妾)予審判事と探偵と
 (探)ハイ、両方兼ねています。他の予審判事は兼ねませんが、私は兼ねています。判事の身分で調べていても、調べ難(がた)い件があれば、自分が探偵になって働きます。兎に角、他人を探偵に使っては思うように行きませんから。

 読者よ、妾は兼ねて家に居たころ、新聞を読み、世間の評判をも耳にした。昔からフランスに判事にして探偵を兼ねる名法官は唯レノー先生一人ありと聞いていたが、今この人が判事の上に探偵を兼ねると聞き、何となく怪しい気がした。でも判事で居ながら探偵にも妙を得ているのは礼野先生唯一人だと言う事ですが。

 (探)ハイ、唯一人です。その礼野先生が即ち斯く申す私です。
 (妾)エエ、貴方が礼野先生、でも先生はこの頃売り出して、まだお若い方だといいますが。
 (探)ハイ、私はまだ若いのですが若くては貴方が同道するのを嫌がるだろうと思い、この通り眉毛まで白髪にして。

 (妾)エ、眉の毛までこしらえ物ですか。
 (探)「ハイ、眉の毛も髭鬚も、ナニこのように幾らご覧になっても付け髭とは分かりません。唯顎の下から覗き上げれば分かりますが。ソレ」
と言いながら首の折れるほど顎を上げて示すのを、妾は篤(とく)と見上げると、成るほど顎の裏、喉の際に当たるところに付けた鬚と真の肉との境があった。

 アアこれが音に聞くレノ先生であったか。この様な有名な判事と知らず、唯一通りの探偵と思い見下して居たのは恥ずかしい。妾は儀式立って裁判所で調べを受けるよりは今ここで何もかも打ち明けることこそ身の為だと、これから言葉を低くして詫びようとする折しも、汽車は第四の駅に止まったが、生憎にもこの所から一人の相乗り客が出来た。二人差し向かいの時と違い、その人に聞かれるのを恐れて不本意ながら口を閉じれば、礼野先生も再び新聞を読み始め、唯時々は邪魔者早く立ち去ってしまえと眼の隅で件の客をにらむばかり。

注:
※真如(しんにょ)の月・・・名月が闇を照らすように真理が人の迷いを破ること

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