巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

warawa36

妾(わらは)の罪

黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2013.1.16

下の文字サイズの大をクリックして大きい文字にしてお読みください

文字サイズ:

更に大きくしたい時はインターネットエクスプローラーのメニューの「ページ(p)」をクリックし「拡大」をクリックしてお好みの大きさにしてお読みください。(画面設定が1024×768の時、拡大率125%が見やすい)

  妾(わらは)の罪    涙香小史 訳   トシ 口語訳

                 第三十六

 彼(か)の相乗りの客は何度か停車場を経ても降り去る様子が見えない。特に汽車がパリに近づく従い、この客の他に一人増え、二人増え、ついに上等室は満員となったので、妾(わらわ)と礼野先生とは再び口をきく機会がなく、パリの停車場まで無言のままで向かい合うだけ。パリの停車場からは汽車を降りて馬車に乗り再び差し向かいとなったので、妾は先ず口を開き、先生、私がこうして連れられて帰る事はもうパリ中の大評判になっていましょうね。

 (礼)そうですね。全体貴方の嫌疑は古池事件と言って先頃から評判になっていますが、今日この通り捕らえられ帰るということは今だ誰も知りません。貴方がサレスに隠れている事さえ、私どものほかは知った人は居ないのですから、別に評判も有りませんが、明朝になれば新聞に出るから、又一騒ぎするでしょう。
 (妾)世間でその通り騒ぐほどなら父はきっと立腹して居る事でしょうが。

 (礼)ご立腹どころではありません。貴方が居なくなった時から、この上なく失望し、それがために病気になって、昨今は外へもお出なさらない御様子です。もっともこの二、三日は大分好いそうですけれど。
 アア、読者よ、妾の所業は父の寿命を切り縮めるに等しい。何とかして面を合わせ、我が身の不埒を打ち詫びる工夫は無いだろうか。先生、どうか、唯一目、父に会わせて下さることは出来ないでしょうか。
 (礼)それは出来ません。一通り調べた上でなければ。
 (妾)でも私には父の他に身よりも何もありません。幼いときに母を失い、唯一人で私を育ててくれた父ですから。

 (礼)何であろうがそれは出来ません。たとえ出来るにしても、探偵の知ったことでは有りませんから。
 (妾)だって貴方は判事だと仰るではありませんか。
 (礼)ハイ、たとえ判事でも今は探偵です。一応調べが済めば又格別ですが、そうでなければ。
 (妾)では調べが済めば無罪となって許されますか。
 (礼)それは分かりません。有罪になっても愈々決まりが付けば、その上で会うことも出来るでしょう。

 (妾)有罪の証拠が裁判所に上がっていると言いますが、それは何の品でしょう。
 (礼)イヤ、そのようなことはここでは一切お返事出来ません。追々にひとりでに分かってきますから。
 この様に言ったまま、後は何度問うても返事をしない。返事をしないのは全く妾を有罪と見込んで居る為だからだ。

 「アア、妾はこのパリに帰りながら病み患っている父に会うことも叶わない。我が身のこの様な疑いの証拠さえ知らずしてこのまま牢に入ろうとするのか。心柄とは言いながら、どうしてこの様な不幸の身となってしまったのだろう。読者の確かに知る通り、初めから罪を犯す心などは毛ほどもなかったのに、こう思うと妾は悲しさに顔も上げられない。

 そのうちに馬車は早や裁判所の門口に着いた、礼野先生は妾を助けて馬車をを降り、手を引いたままで奥深く進み入り、二階に上がって長い廊下を右左に折れ曲がり、とある一室の戸を開くと、ここは牢役人の詰め所と見える。中には巡査とも、小使いともつかない服を着けて、人が四、五名いた。先生は妾をその内の一人に渡し、何やら囁き終わって、早や立ち去る様子なので、妾は先生を引き止め、
 「どうかお調べなさるのなら、今夜のうちに調べて戴きたいものですが。」

 (礼)イヤ、体もおくたびれでしょうから先ず一晩休んだほうが好いでしょう。」
 (妾)休むが好いと言っても牢の中ではナニ休まれるものですか。居れば居るほどくたびれます。私は罪が有るとも無いとも早く決めて戴くのが何よりです。裁判所では夜でもお調べになると言うじゃ有りませんか。
 (礼)「そうですね、都合によっては夜でも調べ無い事はありませんが、今日はもう書記も退けただろうと思います。それともまだ居ますことか。兎に角見届けて来ます。しばらくここに。」
と言い捨てて、立ち去り、およそ二十分ばかり経った頃、礼野先生から呼び出しの使いが来たので、書記もまだ退けなかったの見える。

 ヤレ有り難いと喜びながら、妾は巡査とも小遣いともつかない一人に連れられてここを出て、又も廊下を伝え伝えて隅のほうの一室へと案内されたが、見ると部屋の中程に当たり、一人の紳士、年は四十に近かそうで、非常に真面目にテーブルに控え、立派な椅子に寄りかかっていた。礼野先生は何処かに行き、この人が代わりに調べるのだろう。

 妾はその真正面に立っていると、先ず妾の名前から身分、年齢を問う。妾は淀みなく答えたが、全く知らない人に調べられるよりは、彼の礼野先生こそ心安いところもあるだろうと思って、ただ今礼野先生がお調べになると聞きましたが。
 (判)イヤ、私に調べられるのが気に入らないならば、予審判事の取替えを願うことも出来ますが。それには又それだけの手続きがありまして。
 (妾)イイエ、気に入らない訳では有りませんが、礼野先生がお調べになるように伺って居りましたから。

 (判)ハイ、その礼野先生が調べるのです。私が礼野ですと言いながらニッと笑むその顔は、アア、如何にも今迄老人に化けていた礼野先生に似たところがある。これが先生の正体であったか。妾は先生がまだ若いことを知って居ながらも、その顔かたちが余りに違っているのに驚くばかり。

 先生は早くもその笑みを納め元の真面目な顔に返り、本年八月二日の夜貴方は何処に居ましたか。
 (妾)八月二日とは私が村上を突き落とした夜したか。
 (礼)イヤ、その様な言い立ては分かりません。七月の十五、十六、十七と三日続けて古池夜会があって、その終わりの夜から貴方は病気になり、二週間を経て好くなって、再び又不意に」病になったのが八月の二日です。サア、その二日の夜に貴方は宵から何処にいて、何をなさったか有り体にお話なさい。

 愈々村上を突き落とした、イヤ村上自ら池に落ちた夜である。よって妾は我が覚えているだけの事を落ちもなく述べ立てた。

次(三十七)へ

a:403 t:1 y:0
 

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花