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妾(わらは)の罪

黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2013.1.19

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  妾(わらは)の罪    涙香小史 訳   トシ 口語訳

                 第三十九

 読者よ、妾(わらわ)は自ら我が身を疑う。自分は少しも覚えがないけれど、もしや判事の言うとおり夢中のままで洲崎嬢を突き落としてしまったのか、そうでなければ実に妾のボタンを嬢が手に残るはずはない。妾は自ら疑って、しばらくは呆然としていたが、この時判事は又言葉を継ぎ、
 「今迄は私にも納得の行かない事がありましたが、実は昨日手に入れた証拠品の中に村上から貴方に宛て書き残した手紙がありました。それを見て残らず納得が行き、貴方の仕業が悉(ことごと)く分かって来ました。」

 読者よ、判事は既に彼の手紙まで手に入れたのか。妾は病院で彼の手紙を読み、村上までも妾を疑っているのに驚いて、この様に言い開きの心を生じ、自ら我が本名まで打ち明けるに至った次第なのに、その手紙を見られてはとても言い開くことは出来なくなった。誰でも彼の手紙を読んで、村上自身すら妾疑う事を知って、どうして妾を疑わない訳があろうか。妾は彼の手紙をポケットの底に入れて置いた積りだったが、それを判事が見出して読んだとは、妾の運の尽きである。

 「でも貴方はその手紙をどうして手に入れましたか。」
 (判)昨日貴方がサレスの裁判所で脱ぎ捨てた衣類にの中に入っていましたから間違いはないでしょう。
 (妾)それでも断りもなしに淑女のポケットを探るとは紳士にも似合わないなされ方です。
 (判)ハイ、あの時は紳士ではありません。探偵です。貴方も又淑女ではなく逃亡した罪人です。
 (妾)罪人
 (判)ハイ、罪人です。どの様な事をされても致し方有りません。それにあの手紙で見ますれば、村上も何か証拠品を持っていると見えます。その文句に、

 「私が御身に突かれてよろめく際、思わず御身の体に手を掛け、衣類の中から捥(も)ぎり取った一個のの証拠品あり、当夜付けていた御身の衣類を検めて見よ。その中に必ず不足している一品があることだろう。」
と記してあります。
 (妾)サア、それが間違いです。私は先刻も申し立てた通り、村上を突きません。何も村上に握り取られた品はありません。

 (判)イヤ、仰っても村上が現にそう書いているから仕方がありません。貴方は私がこの手紙まで手に入れていると知らないから先ほどはアノ様に申し立てなさったけれど、既にこの手紙を持っていると分かった上は、先ほどの言い立てを取り消して、実は村上を突き落としたと言い直さなければならないでしょう。サア、言い直すなら今の中です。今言い直す分には少しも咎は有りません。
 (妾)イイエ、その様に仰っても私は決して村上を突き落としてはいません。唯いけませんよと払い除けるはずみに村上が足を踏み外して落ちただけです。

 (判)イヤ、何と仰っても村上がこう書いているのが証拠です。
 (妾)どの様な証拠があっても駄目です。自分のしないことはしないと申すより致し方がありませんもの。
  判事はややしばらく妾の顔色を伺っていた末、宛(あたか)も独り事を言うように、
 「フム、それでは村上を落とした時も又心が狂っていて、御自分では十分にお覚えなされないのかな。」
と呟いたので、妾は直ぐに聞きとがめ、

 「イイエ、その様なはずはありません。何で私の心が狂っているでしょう。」
 (判)そうは限りません。貴方は既に神経熱病で二週間も寝床に寝ていて、十分に回復していない時でしたから。
 (妾)完全に回復していなくても、心は確かでした。決してよろめくほどは突いていません。
 (判)心は確かだと仰っても、今迄の裁判例もありますが、神経熱病ほど奇妙なものはありません。確かと思って確かでない事が幾らでも有ます。先ず論より証拠、村上が貴方の衣類から一品を握り取ったと言うので一番良く分かっているのではありませんか。

 (妾)それから村上は何を握っていましたか。
 (判)この服を検めれば分かります。これが即ち当夜貴方が着ていた服ですから。その中に握り取られた所があるのが何よりも分かりやすい証拠でしょう。
 (妾)握り取られた所がありますか。
 (判)ハイ、有ります。
 (妾)それは何処ですか。
 (判)ハイ、ここです。サア、御覧なさい。
と言いながら差し出したのは他の一方の袖口である。

 妾は怪しんで、これを見るとこれは如何した事だろう。ここにもF字のボタンが無くて、その穴が宛ももぎ取った様に引き裂けていた。
 「エエ、これは、」
 (判)サア、これは即ち村上が握り取った証拠でしょう。一方は洲崎嬢がもぎ取り、一方は村上がもぎ取ったのです。突き落とされる時に、貴方の手先に取り付くのは当たり前のことですもの。私も実は誰がもぎり取ったと疑い、洲崎嬢一人で両方のボタンをのぎり取るはずは無いから両方とも紛失しているのは何か他に仔細(しさい)が無くてはならないと考えていたのです。村上の手紙を見て初めて納得が出来ました。

 (妾)でも貴方、村上の手紙には唯一品と書いてあるだけで、その一品が真実このボタンだか、それとも他の品だか分からないではありませんか。
 (判)イヤ、分かっています。これより他に何処にも不足しているものはありませんから。
 (妾)けれど、それは御無理な仰せです。村上の持っている品を見た上でなければ何とも仰る事は出来ないでしょう。
 (判)成るほど、それはそうです。村上の持っているのは多分これだろうと推量するばかりで、実際、村上を捕らえて見ない事には何とも言われません。事によってはこの着物の中に私の目には付かないけれど、まだ不足している所があるかも知れませんから。

 (妾)それでは村上を如何なされますか。
 (判)どうも致し方ありません。捕らえて来て調べるだけです。幸い村上はサレスに居る判事の弟だと言いますから、調べる道も有ります。実のところは既に探偵をそれぞれ派遣しました。しかしこれだけの証拠が分かっている上は、必ず村上が出て来なければならないと言う訳でも有りません。村上が捕らわれなくても貴方が洲崎嬢を突き落としたと言う事は十分の証拠もありますし、さらにはこの村上の手紙がその上の証拠となりますから。貴方を公判に回します。これだけの証拠が有るのに公判に回さないのは予審判事の手落ちと言うものです。

 (妾)でも、それは。
 (判)少しも「でも」なことは有りません。この一週間に村上が捕らわれれば好し、捕らわれなければ村上は公判廷の証人とするだけで、予審では調べるに及ばない事です。
 読者よ、妾はこの一週間の中に早や公判とやらに回されようとしているのか。罪無くして裁判の憂き目に逢う。これほど残念なことは無い。されどこの時、夜は早や十一時を報じたので判事も今夜はこれで切り上げると言い、早や証拠品などの片付けを始めた。

 (妾)では明朝又お調べにうなりますか。
 (判)「イイエ、もう調べる事はありません。村上が捕らわれたら再び呼び出しますが、彼が捕らわれなければこれで予審の終結とするかもしれません。」
と言って後ろを向き、
 「これ」
 書記を呼びたてたが、妾は今迄気も付かなかったが、判事の後ろに一人の書記が居て、妾の述べたことを悉く筆記し、少しの間違いも無かったので、妾はこれに妾の名前を記した。

 読者よ、これが予審の終結か。妾はこれで判事の前から退けられ、又も未決監に入れられた。

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