warawa47
妾(わらは)の罪
黒岩涙香 翻案 トシ 口語訳
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妾(わらは)の罪 涙香小史 訳 トシ 口語訳
第四十七
妾(わらわ)の公判は愈々十月十日と決まった。世間では何と疑っても、唯一人妾 の潔白を信じる人がいる。それは誰あろう弁護人大鳥法学士である。大鳥も初めは 妾を疑い、洲崎嬢を殺しながら知らない知らないと押し隠しているものと思って居たが、日を経るに従い、妾 に罪は無いと見て取って、今は骨身を砕いても妾を救おうとまでに熱心になっている。妾が為には無二の友である。広い世界に唯一人の友である。妾はこの様な熱心な友があるからには、裁判も恐ろしくは無い。
我が言い開きが立たなくて、有罪になっても、妾の無罪を信じる人が一人ある。一人ではあるがこの一人が妾を弁護する当人である。妾 は世界に唯一人の人に弁護される。これ程心が丈夫なことは無い。ましてやこの人は売り出しの弁護士の中で第一位に推される。この人の弁護で助からないものなら、誰が弁護しても助かるはずは無い。妾の事件は天を落とし、地を覆しても助かる道が無いものと諦めるほかは無い。この人の弁護ならば 妾は殺されても残念ではない。
読者よ、非常に長い牢屋の日々も、今日と経ち、明日と暮れて、早や十月十日とはなった。妾の運命が定まる日である。覚悟した身も、徒(いたず)に胸ばかりが騒がれる。やがて朝の九時となり、弁護人は 妾の父と共に妾の牢に入って来た。父の様子は先に忍びで来た時よりは立ち勝って、達者に見える。病気も少し癒えた為だろう。特に又前は満面怒りの色だけだったが、今は変わって悲しみの色となり、強いて打ち笑もうとする趣さえ見えるのは、大鳥の慰めで、妾の無実を見て取ったからか。父は先ず妾の手を握り締めて、
「華藻や、許しておくれ。お前を疑ったのは悪かった。私の過ちだ。」
(妾)お父さん、お疑いが晴れましたか。
(妾)アア、晴れた。大鳥法学士に色々と諭されて大方は晴れて来た。唯理解が出来ないのはボタンの事ばかりだが。
アア、父は晴れたと言いながら、まだ疑いを残している。
「しかしボタンの事はもう言わない。何とでも言い開いて、早く牢から出て来てくれ。後を継がせる古山男爵はあの通りの事になってしまうし、この上に、生涯の楽しみと頼むお前までも居なくなっては、私はもう生きている甲斐も無い。人殺しでも何でも好い。娘は矢張り娘じゃ。放免になった後でまだ世間の人がかれこれ言えば、お前を連れて安楽な土地へ隠居する。人の口が五月蝿くない、何処か日当たりの好い所に隠れてしまう。どうか助かってくれ。再び私の娘となり、お父さんもう苦労は掛けませんと言ってくれ。どの様な婿でも持たせ、死に水を取ってもらえれば、その上の望みは無い。コレ大鳥さん。お前も今日はこの老人を助けると思って、無理にも骨を折って下され。この娘が助からなければ、私も共に死んでしまう。」
老いの身の愚痴とは言え、先には偽りを吐くなと言って、妾を叱った時の気力はどうなってしまったのだろう。妾はここまでも恵み深い親を振り捨てて家出したかと思うと、我が身が恐ろしく、大鳥も心が動いたと見え、悄然として聞いていたが、
「イヤ、侯爵、お嘆きなさるのは無益です。助かるも助からぬも貴方の御運一つです。もとよりこれほどの事件ですから、私の手際に行くか行かないかその程は分かりませんが、兎に角、何度も申しました通り、今から貴方がお力を落としてはいけません。今日はもう暗いうちから傍聴人が裁判所に押しかけて、一町四方は車止めになっている程のことですから、貴方はお心を引き立てて、飽くまでも我が娘に罪は無いと言う傲然とした気性を見せておやりなさい。貴方が悲しそうな顔で居ては、見る人が直ぐ疑います。父までも我が娘を助からないものと思い、あの通り落胆しているからは、必ず有罪の証拠があるだろうと、人々がこう言います。判事を初め、陪審員まで貴方の顔色を第一に見るのですから、貴方が十分大胆に見せ掛けて下さらなければ助かるものまで助かりません。」
(父)イヤ、私もそうは思っているが、笑う顔が一人で顰面(しかめつら)になる。これを見よと言う様に頭を上げて歩みたくても、涙が出るのを悟られまいとして、ツイ俯(うつむ)く事にもなる。
(妾)お父さん、そう心細い事を仰(おっしゃ)って下さるな。無実の罪で殺されれば裁判所が悪いのですから、死んだ後でも恥ずかしくはありません。当人の私でさえこの通り決心して、泣きも嘆きもしませんのに、貴方がその様な事を仰っては困ります。絞首台に載せられても、踏む板を外されるまでも、笑顔を見せるのが私の願いです。裁判が間違って、殺された後までも、流石は古池家の令嬢だと言われるのが、日ごろ仰る貴族の気性では有りませんか。貴方が心細い事を仰っては私まで悲しくなります。
(父)「アア、良く言ってくれた。私はもうくよくよ言わない。大鳥の言う通り、助かると助からないは人間業ではない。天の定める運だから、殺されるまでも、醜い様をしてくれるな。その積りで裁判所に出る時の着物まで大鳥の指図に従い、華美に仕立てて持たせて来た。この頃流行の色変わりはこの様な時には好くないと言うから、薄萌黄の総無地だ。飾りも紅玉(ルビー)は不似合いだと言うから、悉く石精(オパール)を付けさせた。石精(オパール)は俗に運の悪い石だと言うから、お前が罪も無いのに運悪くてこの法廷に引き出される心を示し、かえってこれが好いだろうと言うこと。サア、こうして居るうちにも何時呼び出しが来るかもしれない。早く着替えて居るが好かろう。」
と父も心を取り直したか、落ちも無く指図するので、もう憂いの色を示さず、甲斐甲斐しく立ち回って、衣服を改め、呼び出しの来るのを待った。
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