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妾(わらは)の罪

黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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  妾(わらは)の罪    涙香小史 訳   トシ 口語訳

                 第五十三

 傍聴席の後ろに立ち、妾(わらわ)の無罪を叫びたてる怪しい婦人、妾すらも心当たりが無いので、人々が驚き騒ぐのも無理は無い。検察官は立ち上がって大喝一声に、
 「狼藉者を外に出せ。」
と命じた。掌廷の官吏早や立ち寄って取り押さえ、有無をも言わず、引き立て、外に出した。妾はこの恩人を何者だろうと目を離さずにその姿を眺めていたけれど、遠く離れていたために、誰だとも見分ける事が出来なかった。
 ただその姿を言う時は高貴の夫人とは思われず、先ず中等の拵(こしら)えである。だからと言って妾はこの様な女には知り合いが無く、又誰一人妾を救うほどの親切な友もいない。

 妾を罪人と思うのは世間一般の事で、生涯唯一人と思っていた当人村上までもそう思い、父侯爵も大鳥弁護人も一度はそう思っていた。世界皆そう思っている中で、どうしてかの夫人だけが妾を無罪と見て取ったのだろう。法廷の真ん中でこう叫ぶのは並大抵の事ではない。 何はともあれ妾の潔白を信じる人がここに初めて一人出て来た。その人が誰なのかは問うに及ばない。妾は実にこれほど嬉しい事は無い。今迄絶え間も無く、目の前に絞首台がちらちらと見えるような心地がしていたのが、かの婦人の声を聞いてからは、行く手に旭が指し上るのを見る思いがしてきた。

 アア、他人の中に我が友がいた。この人は法廷の中に於いてすら妾を救おうとするほどなので、妾がたとえ不幸にして重い刑罰に処せられるとも、この人はなお折りに触れては妾が無実の罪に落ちた事を世間に吹聴してくれるに違いない。妾はそれを楽しみに我が行く末を安心しよう。アア、恩人、アア嬉しい、と一人心に喜ぶちょうどその時、彼の婦人を引き出した、以前の掌廷官が帰って来た。検察官はこれに向かって、
 「今の女は何者であった。」
と問う。

 (掌)「名前を問うても返事さえせず。唯この被告に罪は無い。古池華藻を許して遣れ。」と泣き叫ぶばかりであります。法廷の外に突き出して置きましたが、多分もう巡査が連れて行ったでしょう。何気狂(きちがい)に相違ありません。」
と答えた。
 この問答は非常に小声であったが妾と検察官は遠く離れてはいなかったので、妾の耳には好く聞こえた。アア彼の婦人は気狂いだったか。

 読者よ、気狂いと聞いた妾の失望を察せよ。真実妾の恩人と思ったのに、恩人では無く、狂人だったか。真実妾の無罪である事を知っている人と思ったのに、真実を知っているのではなく唯発狂して叫んだまでの事だったのか。これほど悲しいことは無い。唯発狂人の外に誰一人妾の無罪を信じるものがいないとは、思えば思うほど恨めしく、妾は全く落胆して身を支える気力もない。再び椅子に沈み込むのみ。この時弁護人大鳥はつと立ち上がり、先ほどよりは百倍の勇気を加えた声で、

 「裁判長閣下よ、検察官は、唯今被告の無罪を言い張る傍聴席の一婦人を狼藉者として追い出しました。彼の婦人は果たして狼藉者でありましょうか。なるほど傍聴席から声を掛けるのは法廷取締り規則に背きますから、狼藉者と見なされても致し方ないでしょうが、検察官は何ゆえに、通常の狼藉者でないところに気を留めないのですか。通例法廷の狼藉は酒気の為に暴言を吐くとか裁判に聞きほれて臨席の傍聴者を押し倒し、口喧(やかま)しく騒ぎ立てるとか、たいていその様な者に限っています。

 今の婦人は何と言いました。確かに古池華藻は罪人ではないと叫びました。「真の罪人は外にあります。」と明白に言いました。この様な事を言う狼藉者が何処にあります。特にか弱い女ではありませんか。女の身としてあれ程に断言するのは簡単な事ではないでしょう。

 確かにこの事件に付き大切な証拠を握っていなければどうしてアノ様な言葉が吐けます。彼の婦人は狼藉者ではなく証人です。検察官は大切な証人を狼藉者として狂人として法廷から退けました。これが公平な処置と言われましょうか。これで公平な裁判が出来ましょうか。要するに検察官は被告の利益を奪うものです。法廷の隅からシテ一声に叫び立てるのは成るほど手続きが違いましょう。法律を死守する人は追い出すのを当然と言うかも知れませんが、罪の無い被告を有罪にするか無罪にするかと言う極めて大切な場合です。手続きに拘泥せず、直ぐに唯今の婦人を呼び入れ、これを臨時の証人として充分に陳述させる事を願います。

 私はこれから、かの婦人を連れて来ます。何者とも知れませんが、ここへ連れて来て証人としてお調べのあらんことを願います。連れて来る許可のあらんことを願います。
 判事もこの言葉を当然と思ったのか、しばらく検察官に向かった後、手続きには違いがあるが、検察官も別に依存は無い言う事により、ここへ連れ出す事を許す。
 弁護人大鳥はこの許しを得て嬉しさに我慢が出来ない様に躍り上がって法廷の外に出たが、この時の傍聴人の感動は一通りではなかった。囁きあって噂する声が轟々ととして湧くようだった。

 読者よ。彼の婦人は狂人にあらざるか。妾は有らざる事を望む。だが見知りもしない一婦人が妾の無罪を知るはずがないので、或いは全く狂人であるか。この間の妾の心配は実に筆にも尽くせない。五千人の傍聴人の焦慮合わせて、妾の心に集まったものとも言うべし。これより凡そ二十分を経た頃、彼の大鳥は帰って来た。実にしおしおとして帰って来た。

 読者よ、大鳥は唯一人で帰って来た。彼の婦人を連れずに帰って来た。読者よ、こうと見る妾の失望は実に譬えるものも無い。大鳥は非常に力を失った声で、
 「もう彼の者は何処に行ったか見えません。この法廷の外に出て四方を探しても見えません。もっとも直ちに数名の人を雇い、手を分けて八方へ走らせましたから、今一時間の間この公判の中止を願います。丁度小休みの時刻ですから、彼の婦人が証人として現れるまで、御猶予を願います。」
と言い立てた。

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