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warawa57

妾(わらは)の罪

黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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  妾(わらは)の罪    涙香小史 訳   トシ 口語訳

                 第五十七

 

 

 村上達雄が妾(わらわ)の書置きを見て妾の無罪を知り、妾を救い出すためにここに現れ来たとは実に意外なことなので、検察官までも顔色を変えた。
 さて村上はその書置きを判事に差出すと、判事は一応開いて見て妾に示し、
 「これはその方が書いた物に相違ないか。」
 妾は受け取って一目見ると、もとより疑うところは無い。全く彼の時の書置きである。
 「ハイ、私の書きましたものでございます。」
と言い切って判事に返した。

 この時弁護人大鳥は一層の力を得たように、つと立ち上がって、判事に向かい、
 「裁判長閣下、念のために申し上げます。被告がサレスの予審廷で調べられた時、既に書置きのことを言い立ててあります。その時予審判事はその書置きが何処にあるか分からないから、追って調査すると言いましたが、そのまま今迄調査も届かずに居ました。それこれを考え合わせますと、証人村上達雄氏の手にあった事は疑いなく、即ちその書置きが偽ものでないことは争われない事実であります。」

 判事は聞き終わって妾に向かい、
 「その方は何故にこの書置きを認めた。」
 (妾)ハイ、私は人殺しの疑いを受け、種々予審判事に問い詰められ、我が本名を打ち明けなければならない場合に迫りました。でも本名を打ち明けては、父の名前にもかかわり、暗闇の恥を明るみに出すようなものなので、一層の事、偽名のままで死んでしまうのが好いとこう決心しましたが、未だこの世に未練が残り、せめては我が亡き後で、古池華藻がこの様な次第で自害した、アア可哀想なものだと一人でも言ってくれる人があれば好いと、それを目当てにありのままを書き残しました。

 (判)では真実死ぬ気であったと言うのじゃな。
 (妾)ハイ、死ぬ気でなくてなんで書置きなど認めましょう。
 (判)死ぬ気で有った者がどうして今迄生きている。
 (妾)それは何度も申しました。その書置きが出来上がった時に、前後も分からない病気となりまして。
 (判)それで自殺の目的を達する事が出来なかったと言うのじゃな。
 (妾)ハイ

 この時検察官は判事に向かい、
 「その書置きの朗読を願います。」
と請う。判事はこの請いに従い、書記に書置きを読み上げさせたが、その文は妾の境涯をそのまま書き表したものなので、妾は一句一句に過ぎたことを思い出し、如何すればここまでも不幸の目にばかり出会うのだろうと、今更のように我が身の恐ろしさが浮かんで来た。傍聴の人々も非常に心を動かしたと見え、満場何となく湿りがちに見うけられる。

 読む事凡そ一時間にして書記は読み終わり、元の席に帰ると、検察官は引き続いて、
 「裁判長閣下、この書置きを真に被告の手になったものとすれば、先刻来、被告弁護人の言い立ては皆違っております。被告は洲崎嬢に突き返されたなどと申しますがその様な事実が何処にあります。この書置きで見れば、被告は更に洲崎嬢のことを知らず、新聞でその死骸が上がったのを見て非常に驚いた様に書いてあります。

 しかし、これらの相違は責めません。唯最も怪しいのは証人の言い立てであります。この書置きを見て被告の無罪を悟ったとありますが、何処でその無罪を悟ったのです。これは唯神経質な一女子の感覚を覚書きに表したまでの事で、ほとんど何の証拠にもならないという程度のものです。神経質な婦人ほど間違った事を言い立てる者はありません。自ら事実と思いながら、事実でないことを申し立て、そのために裁判を誤らしめた例は数え上げる暇もありません。この書置きの何処のページで被告の無罪が分かりますか。

 弁護人は判事の許しを得てこれに答え、
 「この書置きは初めから終わりまで皆被告の無罪を証拠立てるものがあります。死を決して認めた書置きに偽りがあるはずは無く、村上は突き落としたが、洲崎嬢のことは知らないと言う、これほどの真はありません。検察官に於いては被告がこの書置きに洲崎嬢のことは知らないと記し、又先刻洲崎嬢が自ら落ちたと言い立てたので、前後相違といわれますが、何処に相違がありますか。既に先刻申し立てた通り、被告は胴忘れをしましたので、この手紙を書く時には、全く嬢のことを知らなかったのであります。知らない故、新聞を読んで驚いたのであります。この書置きの何ページに被告の有罪の証拠がありますか。」

 検察官は又立ち上がろうとしたが、この時判事は村上に向かい、
 「したがその方はこの書置きを読み、何ゆえに被告を無罪と悟った。」
 (村)ハイ、唯今弁護人の申された通りです。死のうと決心して書いたものに偽りがあろうとは思われません。それだから被告は全く私を突き落とした者では無いと思います。特に被告の日頃の気質も知っておりますが、突き落として置きながらそれを突き落とさないと書くようなそんなはずは有りません。
 (判)でもその方は被告に宛てた手紙に中で、四足ほどよろめいて落ちたと書き、又確かな証拠品を握っていると書いてあるが。
 (村)ハイ、書いてあります。

 (判)その証拠品とは何じゃ。
 (村)被告が日頃身に着けていたF字のボタンです。
と言ってポケットの中から一物を探り、判事の前に差し出したのは、彼の洲崎嬢が握っていたのと一対のボタンである。このボタンを握りながら妾の無罪を言い立てるとは非常に不思議な事なので、弁護人大鳥さえも驚きの目を見張った。

 「その証拠があれば益々被告に突き落とされた事が分かるじゃないか。このボタンが被告の書置きより確かな証拠なので、書置きには突き落とさないと書いてあっても裁判所では突き落としたものと認めるがどうじゃ。」
 (村)ところがこのボタンは何の証拠にもなりません。イヤ、このボタンは被告の罪のある証拠とはならず、返って罪の無い証拠となります。私も初めはこのボタンのために被告を疑いましたが、今はこのボタンのために被告の無罪を信じます。

 アア、村上達雄の言い立ては益々出でて益々不思議である。彼も又狂人ではないのか。

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