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妾(わらは)の罪

黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2012.12.19

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  妾(わらは)の罪    涙香小史 訳   トシ 口語訳

                 第八回

 「オヤ」
と驚く妾(わらわ)の声に先も又驚いて、
 「オヤ」
と叫ぶ。読者よ、この声は村上の声である。
 「ア、村上さんですか。」
 (村)オオ、嬢様ですか。
 妾は闇の中に早や村上に抱き付いた。読者よ、妾は初め村上を疑い全く心が変わったものと思ったが、あの手紙が届かなかった事を知って少しその疑いを解き、今は又この声聞いて全く疑いを忘れてしまった。まだ疑いは無い訳ではないが、唯少しの間忘れたのだ。

 村上は声を潜めて口早に、
 「先日の夜会の時、二晩ともろくろく話も出来ず、翌朝から直ぐに病気で、きっと貴方が色々と思っていらっしゃる事だろうと、そればかり気になっていましたが、来る事が出来ませず、今日はもう全く直りましたので。」
と言いかけて初めて気が付いたように、

 「オヤ、オヤ、貴方はまあ如何してここに。この暗いのに唯お一人で。」
 (妾)これには色々と訳があります。是非ともお話をしなければならない事が出来まして、貴方の所に忍んで行くところでした。
 (村)ヤ、忍んで
 (妾)ハイ、忍んで・・・、ですがここでは話も出来ません。こう言ううちにも見つかっては大変です。直ぐに池の端へ行きましょう。
と言いながら横手の垣に沿い、狭い道を探り探りしてあの古池の土手に出た。

 ここは初めて村上と愛情を言い交わした所で妾の為には結びの神である。特に妾が小さい頃からこの土手で草を摘み、土手の木に囀る鳥の声を聞くなど、幼心に極楽園としていた程なので、闇の夜でも恐ろしいとは思わない。しかし村上は非常に物にでも驚いた様子で妾の手に響くほどブルブルと身を震わせ、
 「嬢様、何だか気味が悪い所ですね。この通り木は立て籠もり、一寸先も見えない上に、余り四方が静かなので。」

 (妾)静かだから好いのでは有りませんか。ナニ怖い事がありますものか。
 (村)でも風さえ吹かず木の枝の音もしないのは。この様な物凄い夜はありません。
 (妾)ナニ、貴方、それ程静かが物凄いならば石でも取ってお投げなさい。水の音が聞こえますから。
 (村)投げてもよろしいですか。
と言うのさえも物に襲われた声である。
 (妾)よろしいですとも。

 村上は地を探り石を取って池に落とすと、少し経って初めて水の音を聞く。アア、水の音、その物凄さに妾も思わず身震いをした。
 (村)今の音では岸から水まで十間(18m)の余もあります。昼見た時は五、六間(9mから11m)にしか見えませんが。それに死に水なので一層陰気な音がします。アア、死に水、言葉さえ陰気である。
 (妾)もうその様なことを仰るな。
 (村)余り静かで、世間まで死んだようです。水の音がまだ耳の底に残って・・・実に深い池ですよ。嬢様、もう何処かへ行きましょう。ここは何だか恐ろしくて。

 実に村上がこう言うのももっともだ。風もそよがず水も動かず、二人がささやく声だけが辺りの木々を痛めつけるのではないかと疑われるほどだ。見合す顔も目には見えない。これほど物凄い事はない。だが妾は今宵は言わなければならない事がある。ここより外に落ち着いて話せる所がないので、

 「でも外に行く所はありません。この辺りは木も一番多く茂っていますから、人の来るはずは猶更(なおさら)なく、心が落ち着いて好いでは有りませんか。」
と言って無理に村上を引き止めながら、これからあの古山男爵が二人の仲を見抜いた上、確かな証拠の手紙まで持って来て猶予もなく妾に迫った事を一部始終語り終わって、

 「この様な訳ですから如何してもこの家には居られません。」
と、なおも駆け落ちの事を勧めるのに、村上は聞き終わって、
 「いや、駆け落ちなどは出来ません。貴方を連れて逃げたと言っては世間で私を何といいます。」
 (妾)何と言っても好いでは有りませんか。再びこの土地に帰るではなし。生涯世界の果へ身を隠し世間も何もない所で唯二人で暮らしましょう。

 (村)イイエ、それは出来ません。世間の言葉には構わないとしても、父侯爵が何と思います。天にも地にもないように愛しているその貴方が私と共に居なくなっては、侯爵は悲しみに死ぬかもしれません。今逃げ出すのは侯爵をお死なせ申すようなものです。
 (妾)でも貴方、逃げ出すより致し方が有りません。これが嫌だと仰るのは古山男爵の妻になれと仰るのも同じ事です。家に居れば如何しても男爵の妻になるほかは有りませんもの。

 (村)ナニ貴方、私が初めから言う通り、父侯爵に打ち明けて私の妻に下さいと男らしく願いましょう。どうせ古池家の財産は古山男爵が後を継ぐに決まっていますから、私がそう言い出しても、誰も財産に目が眩んで貴方を望むとは思いません。成るほど侯爵が御立腹なさるかも知れませんが、御立腹は厭(いと)いません。この深い愛を以って侯爵を宥(なだ)めます。我が大事の秘蔵娘を何故そのように愛するかと何時までも咎めもなさらないでしょう。十分に願った上、それでも聞き入れられない時こそは出奔も致しましょうが、このまま逃げる事はありません。どうしても侯爵に打ち明けます。」

 余り一徹な言いように妾は又も疑いの心を起こし、もしや村上は父に話せば事が破れるのを知りながらなおこの様に言い張るのは、これを幸いに妾と手を切り、洲崎嬢と婚姻する心ではないかとこう思っては到底安心できず、妾は忽ち又嫉妬の念に耐えられず、
 「貴方の心は分かりました。もう私に愛想をお尽かしなさったのですね。」

 村上は慌ててこの嫉妬を吸い消そうとするように妾の顔に唇を寄せて来て、早くもキスを移そうとしたので、妾は、
 「いけませんよ。」
と払い除けると、アア、読者よ、暗いため村上は池の間際に立っていたと見え、妾(わらは)の手先が触るか触らないうちに、
 「アレ」
と驚く声を残して足踏みはずして池に落ちてしまった。

 ややあってざんぶと響く水音を聞くばかり。水はこれどろどろの死に水である。アア死に水・・・。

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