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黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

鉄仮面102

鉄仮面

ボアゴベ 著  黒岩涙香 訳  トシ 口語訳 

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                 第九十二回

      
 話は変わってあのセント・マールスに叱られ洗濯物を取り上げられたバアトルメアはよろめく足を踏みしめて立ち去ったが、前から知っている近道を通って自分の家を目指して砦の裏手に出ると、数門の大砲を配置して有る土手の下に先ほどから立っている一人の兵士がいた。バアトルメアの姿を見ると辺りを見回しながら寄って来て小声で「どうでした。結果は」と聞く。

 バアトルメアはまだ震える声で「駄目だよ。どうもセント・マールスに見破られたような気がする。いつも彼に叱られたことはないのに今日は囚人の窓の下で歌を歌ったなどと散々に叱られた上、洗濯物を取り上げられた。明朝渡すからその時に取りに来いと言うことで。」

 兵士は顔の色を変え「それは大変です。洗濯物を調べられれば発見されるに違いないから、貴方はすぐにお逃げなさい。逃げてチュウリンのあの宿に隠れていれば私が後の様子を見届けまして。」と言いかけるのを最後まで聞かずに「七年も八年も苦労した挙げ句に、逃げろと言われても逃げれるものか考えてみなさい。」

 「だって貴方、今逃げなければ朝までに捕まりますよ。」「捕まっても仕方が無い。今ここを逃げ去ったら二度と鉄仮面に近付くことは出来なくなるから、一層捕まった方がましかも知れない。もうこうなったら破れかぶれです。捕らわれるまでにもう一度鉄仮面と通信する工夫を考え、私は自分一人ででも実行してみる。八年の間、今日の日まで苦労した私の我慢も、もう尽き果てました。こうまでもして救い出せないものなら、これからどんな事をしても救い出すことはできないから、逃げて生き延びるだけ無駄と言うものです。お前もそうとは思わないかい。」

 目に一杯の涙を溜めて兵士の顔を見上げると、兵士も心を動かされない訳には行かなかった。
 彼もまた暗い声で「いえ、まだ時が熟さないと言うものです。」「八年待っても時が熟さないなら、この上何年待っても熟す時など有りません。」「そうおっしゃるのはごもっともですが、初めの頃に比べると、貴方は余程気が短くなってます。この土地に来る前に、こうなった上はもう鉄仮面を救い出すのが、一生の仕事だとおっしゃったでは有りませんか。

 他に力を併せてくれる人が居るではなし、私と貴方のただ二人の力ですから、八年や十年で出来る様な事柄では有りません。今逃げてもまだまだやり直しはききます。牢番セント・マールスだってこのままこの砦で死ぬものではなし、もう八年も神妙に勤めていますから、近い中に何処かに転勤します。全体から言えば今から数年前に転勤するはずでしたが、鉄仮面を初め、そのほかに大事な国事犯を預かっているため政府でもなかなか転勤させないのです。

 彼はあの通りただ厳重なだけで他の事は何も知らないので実に生まれつきの牢番です。牢番としては彼ほど適任者はおりませんから、ついにはパリに引き上げられ、大牢獄バスチューユの所長にまで、上せられるのは間違い有りません。バスチューユの所長ベスモーは、もう寄る年波でその職務も、勤まらなくなっていると言う噂も聞きます。ベスモーの後任は必ずこのセント・マールスです。それはもう世間一般の噂ですから、おそかれ早かれ間違いはないでしょう。その時には鉄仮面も彼と一緒に、再びパリに行きましょうし」

 「だってそれは何時の事だか。」「いや、そこまで行かなくても又他の砦に移されます。他に移ればどの様な好機が出て来るか分かりませんから、まだまだ気長に待っていなければなりません。貴方がお逃げになったら、私はきっと調べを受けるでしょうが、それは何とでも、申し開きをします。」、そうして私は後の様子をじっくりと見届けてから、逃げるとも逃げなくても、とにかく貴方は一時の事ながら、逃げなくてはなりません。」と非常に親切に話しているこの兵士の身の上も、はなはだ不思議なことだ。

 この兵士は即ち今から七年前バアトルメアを連れてこの土地に来た者でイタリヤの野武士だと言ってセント・マールスに雇ってくれと申しでたもので、もちろんどこの砦でも野武士を雇って召し使う時代だったのでセント・マールスはこれを怪しまず、試験をした上でと言うことで、1月2日から使いだした。

 非常に真面目に働く様子は、他の兵士の不真面目で自堕落な様子とは全く違うので、いよいよ本雇いになり、以来段々引き立てられて、軍曹にまで取り立てただけでなく、その妻と称しているバアトルメアまでも、洗濯女として砦に出入りを許したのだ。

 しかし、兵士の身分でその妻を砦に寝泊まりさせるのは、国法の禁止しているところなので、軍曹は兵舎に寝泊まりをし、バアトルメアは砦の外のピネロルの町外れに、小さな家を一軒借りて、ここで洗濯を仕事として住みながら、日々砦に出入りしていた。

 その夫が非番の時は、二言三言話して立ち去るだけだった。だからセント・マールスを初めとして誰もバアトルメアが、この軍曹の妻で有ることを疑うものは居なかったが、今の話の言葉使いからすると夫婦ではなく、むしろ主従関係に有るように思える。しかも、バアトルメアが主人で、軍曹がその家来であることは疑いなかった。

 それはさておき、二人の話はまだどちらにするとも、決まらなかったが、向こうの塀の角の所に現れた人があった。二人は驚いて見やると、牢番セント・マールスその人で、片方の手にはあの洗濯物を持っていた。いよいよあのことが見つかってしまったため、証拠として洗濯物の文字を見せて、すぐに逮捕しようとして来たのかと、二人はすぐに察知したが、今は逃げるに逃げられないので、ほとんどその場に、立ちすくむ思いだったが、以外にセント・マールスは、いつもより穏やかな顔つきで、

 「おお、バアトルメア、まだここにいたのか。多分そうだろうと思い洗濯物を持って来た。軍曹も今日は七時まで非番だな、たまの非番だからそこで積もる話をするがよい。」と言い、洗濯物を投げ与え後ろも見ずに立ち去った。

 これは全くバアトルメアを油断させろと言う妻の意見に従ったものだが、余り日頃のいかめしさと違うためバアトルメアも軍曹もすぐにその企みを見破り、少しも心に油断をせず「この様子では今夜逃げるのにも及びますまいが、とにかく通信だけは見破られたに違い有りません。」 「そうとも、家に帰り早くこの洗濯物を調べれて見れば分かります。その上で又相談しましょう。」

 これだけの言葉を残しバアトルメアは洗濯物を抱えて、そのままわが家の方を目指して立ち去った。心の中はただ心配はかりで、好くても悪くても、早く洗濯物を調べたいと思う一心だった。

つづきはここから

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