鉄仮面115
鉄仮面
ボアゴベ 著 黒岩涙香 訳 トシ 口語訳
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第百五回
ブリカンベールは怒った目で部屋中を見回し、つかつかと戸の所に行き「どうしよう。この戸を押し破ってやろうか。」とつぶやき、直ちに戸の板に手を掛けて、全身の力を込めて、えい、えい、と押してみたが、戸はがっしりしていて少しも動かず、「だめだ、だめだ、十年近くも牢の中でなまけていたから、力がすっかりなくなってしまった。これでも毎日動かしている中にはだんだん少しずつ動き出すかな。そうだ、力の続く限りはこの戸を相手に押し合ってみることにしようか。」こう言って今度は肩を怒らせ戸をめがけて熱心に突き当たった。
その様子は昔、宮殿を揺すり壊したと言われるサムソンもこの様だったかと思わせるほどで、地響きがするほどすさまじい音がしたが、戸はそれでもびくともしなかった。「ああ、こんな音がしてはすぐに番人に気が付かれてしまう。そうしてみると逃げ出すところは窓以外にはないようだ。」今度は窓の方に行き、格子に作って有る太い鉄の棒に手をかけて力の限りにこれを揺すったが、これもいつ動き出すか分からなかった。「何でもこの様なことは気長にやるにかぎる。十年かかって牢を破っただの、二十年かかって牢を逃げだしたのとずいぶん話には聞いている。
俺の爪より鉄の方が硬いから、しかたがない。素手では簡単にできないことだ。何でも気長にとりくんで、いつも動かしていれば少しは上下がゆるんでくるとか、鉄が曲がるとかしそうなものだ。石のように固まった上下の土を堀くずす刃物さえあれば、訳はないが、と言って刃物が手にはいるはずはなし、やはり、気長に動かすだけか。」これからだいたい一時間くらい足をふんばって手に力を入れ、あるいは突き、押し、色々なことをやってみたが、何の効果も見えなかったので、少しがっかりしたように又ベッドの所に歩いて行って、これにどっかと腰をおろして「しかし待てよ、バイシンがああして来たからには、今になんとかして牢破りの道具だけでも送ってくれるに違いない。
俺を助ける気が無ければ、何も恐ろしい思いをして面会に来るはずが無い。それにしてもセント・マールスめがよく面会を許したものだ。よっぽどバイシンも苦心してうまく牢番をだましたのだな。はてな、おかしいぞ、俺のためにこうまでも苦心をしてくれるとは、俺が大事な大将とでも言うならまだしも、決死隊の中に居ても、大飯を食う他に能の無い人間だ。ただ、肩幅が広いから、もしもの時に、バンダ様を背負って馬の代わりをするのには都合がよいと、コフスキーにひやかされた事はあるが、馬の代わりに救いだしてくれるとは、ありがた過ぎた話だし、おかしい、おかしいぞ。
ふむ、事によるとバイシンは俺より他の人間を救いに来たのではないか。そうだ、俺より大事な人がこの牢屋に捕らわれていて、それに会おうと言う積もりでここに来て、俺の部屋にまぎれ込んだのかも知れないぞ。確かに俺の顔を見てもすぐには俺とは気が付かなかった風だった。俺に会う積もりで来たのなら、初めから俺と知り、すぐに何か合図をするはずだ。はてな、俺よりずっと大事な人とは誰かな。牢番も時々こう言っていたっけ。お前より身分の立派な囚人がいるが、お前が一番神妙だと。そうすると俺の他に立派な人が何人かこの牢にいると見える。
俺は捕まった初めからボヘミアの百姓で、政治のことなど少しも知らないと言い張っているだけに、今では政府でも油断したのか初めの頃のようには取調べもせず、だんだん扱いもゆるやかになっている。この頃は食物の差入れ以外は、番人も余り回っては来なくなったが、他の人はそうでもないだろう。それだから、牢番が俺ならば構わないと思ってバイシンを案内したのだ。そうすると、もしかするとモーリス様でもこの牢に居るのではないかな。」
段々に考えて、居眠りでもしているのかと思えるほど頭を下げて静かにして、しばらくして顔を上げ「そうだ、どう考えてもモーリス様か、それともオリンプ夫人か、いやいやオリンプ夫人は王族でどんな罪があっても、この牢に入れられるはずはない。そうすればどうしてもモーリス様だ。モーリス様が捕らわれているからこそ、助ける積もりで、苦心して会いに来たのだ。他の者なら、何でバイシンがあれほど苦労をするだろうか。」
「それはそうと、バンダ様はどうしておられるだろう。もし今でも生きているなら、きっと苦労をされていることだろう。今までにもお二人の事が気がかりでしょうがなかったが、こればかりは見当もつかず、心配をしてもどうにもならなかったので、なるべく考えないようにしていたが、モーリス様がこの牢に居るようでは、どうして心配せずにおられようか。」と考えるに従って、彼の恐ろしい目から涙が点々と出て来るのが見られたが、やがて思い直したように、
「これはもうこのままでは居れない。何がなんでもこの牢を逃げだし、バイシンに会い、様子を聞き、モーリス様なら助け出す工夫をしなくては」と再び立ち上がって窓の所に行き、前のように鉄棒を揺すり始めたが、今度はなかなか手を休めず、強い鉄さえも幾らかゆるんで来たようだったが、人の力にはおのずから限度があり、鍛え上げた彼の体だったが、ついには全く疲れはて、根も力も尽きてしまって、窓の下にころりと横になり、雷よりも高いいびきで心地よさそうに寝てしまった。
この時から何時間後かは分からなかったが、不思議な物音がして目を覚ましてみると、夜も早、夜中を過ぎていたのだろう、辺りは真っ暗闇で、わずかに自分の部屋の窓だけを見分けられるだけだった。それにしても今の音は何だろうと暗がりで目を見開いていると、ああ不思議、窓の外に天から下がって来たかと思われる一筋の縄があって、これにぶら下がる一人のくせ者があった。
鋭い鋸のような物で外から我が部屋の窓を壊してしまった。闇とは言えど空に透かして見て、この様子はハッキリと分かった。いったいこのくせ者は誰なのだろう。
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