鉄仮面17
鉄仮面
ボアゴベ 著 黒岩涙香 翻案 トシ 口語訳
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第八回 a:1556 t:1 y:0
地獄のような闇の中に、夫人はひたすら戸を押し開けようと、もがいたが戸は固く締まっていて少しも動かず、そのうち後ろから死人が起きて来て、冷たい手で我が首筋をなでるような気がしてきて今は恐ろしさから、しっかりと戸の取っ手にしがみついた。
思えば、この戸は外から錠を下ろしたのではなく、内側からローレンザが閉ざしたものだったから、そうすると、鍵は確かにローレンザのポケットに在るはずだと、思い出したものの、どうしてこの暗闇の中で、死体のポケットを探ることが出来ようか。ただ、思うだけでも身が縮むほど気味が悪いので、今はどうしようもない。
たとい、首の骨を突き折っても、死ぬなら死んでも、窓から飛び降りるより他に方法は無い。地上に雪が積もっているのは、我が身を受ける布団の役目をしてくれるので、厚い外套に身を包めば、助からないことも無いだろうと、必死の勇気を振り絞って、手探りで宵のうちにローレンザが畳んで、椅子にかけて置いた、外套を取り上げると、何やらガラリと音がして、椅子の足に当たり、床に落ちたものがあったので、もしやと思い、身をかがめて絨毯の上をなでてみると、有り難いことに手先に触れたのは、一個の鍵だった。
さては、ローレンザがこの外套を畳み、その上に置いて置いたものらしい。これさえ在れば窓から飛び降りることもないと、再び戸の方へ駆け寄って、鍵をはずすと思い通り戸は苦もなく開いたのでそっと廊下に出てみると、ここにはまだ常夜灯が消えずについていて、わずかに四方を照らしていたのを見て、やっと生き返った思いをして、階段の方へ行こうとすると、アア、宵に見たあの恐ろしそうな荒武者が、1.5mも在りそうな剣をかたわらに置き廊下の真ん中に大の字になって、寝ふさがっていた。
これは疑うまでもなく、主人ナアローが、このような事もあるだろうと思い、私の部屋を監視するために、ここに居させたものだろう。夫人は虎の口を逃れて、竜の逆さうろこを前にする思いで、高鳴る胸を押さえて立ち止まったが、又、考えてみると、この寒い夜にベッドも無く、このような所に寝ているのは、よほど酒に酔って前後も分からないに違いない。
彼の目を覚まさないように、そっと通り過ぎようと、彼の足の方に回り、静かに静かに通り過ぎて、やっと向こう側に回り、やれやれと思う間もなく、荒武者が容赦もなく夫人の着物のすそをしっかりとつかんで、「コーレ、どこに行く。いくら酒に酔っていても、数限りなく戦場に出ていただけに、忍び足を聞きもららす男ではないぞ。」と言い、酒気をぷんぷんにおわせて、おもむろにその頭を上げた。
夫人は全く死地に立たされ、払いのける力もなく、ブルブル震えながら、いたずらに顔を背けるばかりだった。荒武者はなお回らないろれつで「コレ女、そのように恐れることはない。こう見えても粋を知らないまんざらな野暮天ではないぞ。宵にちらっと拝んでおいた、オリンプ夫人の目を盗んで、3階の色男に会いに行くのだな、何だそのように手ばかり合わせて、これ、顔を見せろ、その美しい顔を、エエ、ますます顔を背けるところは、千両の風情だぜ。
恥ずかしいのか、オオ、それほど恥ずかしければ、俺の口を接吻で封じて行け。そうすれば、夜が明けても、誰にも言わずにいてやるわ、嫌か、それも嫌なら、このも裾をつかんだままで、この家の主人を呼び起こすぞ、サア、どうだサア」と、も裾を引きながら立ち上がろうとした。
この様子からすると、彼はオリンプ夫人を侍女ローレンザだと思っていることは間違いない。これはかえって安心な様なことだが、
フランス第一の貴婦人と仰がれた身を、侍女ローレンザと身間違えられ、このような馬鹿者にたわむれられる境遇にまで、落ちてしまったかと思うと、悔しさ悲しさが胸に迫り、今まさに馬鹿者の顔につばをかけて、我こそは元の大宰相マザリンの息女にして、ルイ王の未婚の妻であるぞと、言い退けて叱り懲らしめようかと言う言葉は口まで出かかったが、それこそはますます身を危うくする元になる。
大望のためにはこのような辱めも忍ばなければならない。夫人は迫り来る涙を飲み込み、背けた顔でふっと常夜灯を吹き消し、柔らかな手の甲に涙を付けて、荒武者の唇に当てると、この美人の接吻であることを疑わずに、身を震わせてすすり鳴らすそのすきに、夫人は彼を突きのけて、手探りで階段を下りて行くほど、つらいことはなかった。
後に荒武者は起き直り、闇の中に耳を澄まして、「オヤ、3階には上がらず、下の方に降りていったぞ。ヤ。ヤ、大変だ。侍女かと思ったらオリンプ夫人だ。エエ、そうとは知らずーーー。まアまア、これはまア」とかつ驚き、かつあきれ、そのまま剣を杖にして立ち上がったが、酒気が十分に回っていて踏む足さえも定まらず、
「アア、大変な事をした。」と言いながら尻餅をつき、酔いどれにもなく恍惚として、何事か考え始めた。
第8回終わり