鉄仮面40
鉄仮面
ボアゴベ 著 黒岩涙香 翻案 トシ 口語訳
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第三十一回
この漁師はそもそも誰なのだろう。魔が淵で生き残って、バンダを守備隊の隠れ場から救いだしたコフスキーであることは、読者のすでに察するところだろう。
それにしても、コフスキーはどうして生き残れたのだろう。彼もバンダと同じく馬を撃たれて水中に転び落ちたのだが、幸いにもけがもしていなかったので、遥か下流からはい上がり、同志の何人かは必ずペロームの守備隊に捕虜になっているはずだと思い、すぐに守備隊の砦に駆けつけて、夜の明けない内に風窓の石を外してそこから床下に入った。
床板の所々を叩いてみて音の様子で物置らしい所を探り当てて、ここを切り開いて出たところ、丁度望みの場所だったので体を階段と床の隅の三角の所に横たえて隅の方から様子を伺っていると、バンダが忍んで来たので心の中で偶然を喜びながらも、声に出す場合でないので、そのまま静かにしていると、バンダが鉄仮面のおそろしい有様に驚いて、躍(おどり)り出ようとするのを見てこれを抱き留め、その口を塞(ふさぎ)ぎ守備隊長がまだ戸棚を開けないうに、早くも床下をくぐり抜け、風窓には外から元のように石をはめて置き、バンダを急ぎに急がせ、とっさの間に身を隠した。
彼はモーリスの手下十四人の中で、この様な事を最も得意としていたので、いつも大事な使者や、秘密の探偵に使われるほどだったから、これらの素早い手際も怪しむことではない。だが、彼はなおこれだけでは満足せず、まだ鉄仮面がモーリスなのかオービリヤなのか、又、何時、パリに送られるのか、その秘密を盗むためにそっと守備隊の近くを、見張るうちに、堀端で軍曹が釣りをしているのを見つけたので、自(みずから)ら漁師に化け、ついには化けの皮がはげるのを恐れて彼を堀の中に蹴り込んだのだ。
このようにして、辺りを見回しながら土手の上に登って来たが、幸い我が行いを見ていたと思われる人もいなかった。ただ髭武者の荒々しそうな剣士が一人、腰に剣を下げて守備隊の様子を眺めていたが、これも今来たばかりの様だったので、知らぬ顔で通り過ぎると、剣士はコフスキーが塀の一方を曲がり去るまで、その後ろ姿を見送り、やがて、又土手を越えてあの軍曹が蹴込まれた所の堀の中などを覗(のぞい)ていた。
だが、この時コフスキーはすでに何百メートルも先に行っていた。そして、ある宿屋に入り、帳場に声も掛けずにそのまま二階に上がり、一室の戸を開けると中から非常に気ずかわしげな顔をして迎えたのは、他ならぬバンダであった。バンダは今までの男姿を捨て、この近在の農家で娘達が着る裾の短い木綿の服を着け、髪さえも田舎娘のように束ねていた。
土地の人の目に付かないようにとの、コフスキーの指図に従ったものと思われる。彼女はコフスキーの顔を見るよりも早く「おお、随分おそかったですね。私は一人心配していたがどうでした。様子は分かりました?」コフスキーは戸を締め切って中に入り、辺りをはばかり、声を潜めて、「いや、バンダ様、どうも詳しくは分かりませんが、聞き集めただけの所では、鉄仮面はオービリヤめの様に思われますが。」
「では、モーリスはどうしたの、何処にいるの?」「あれ、バンダ様、大将のうち一人は死んでしまったと貴方が確かにお聞きになったではありませんか。」
バンダは今更のように悲しみ「モーリスが死んでオービリヤが生きている。私もそうかとは思ったが、鉄仮面をかぶせられ、あの通り荒々しく扱われる所を見ては、どうもオービリヤとは思われません。多分、あれはモーリスではないかと思います。生きてさえいてくれれば、どうにか又、助ける工夫もあるだろうと思い、それを力に苦しさを忍びーーー」
「いや、ごもっともです。あれがモーリス様であってくれさえすれば、どのような事をしてでも奪い出します。奪い出すまで、我が身を粉にして働きますが、今、私の聞いたところではどうやらオービリヤの様にも思われます。彼こそルーボアの身にとっては、大事な秘密を知られているので、生かしてはおけません。だからと言って、聞くだけの事は聞かずに殺す訳にはゆきませんので、仕方なく仮面をかぶせて死人同様にして置くのかも知れません。」
と言って、軍曹から聞き出した事を全て話すと、バンダは半信半疑に迷い「ええ、こんなに気のもめることはない。いよいよモーリスで無いと分かれば、モーリスは死んだに決まっているから、私もその後を追い、どうかこのまま死にたい。しかし、死にたいと言っても、どちらか分からない中は死ぬにも死ねない。」
「これ、コフスキー」、「バンダ様」、「どうしたら好いだろうか。」しばらくは悲嘆に暮れるばかりだったが、コフスキーはしっかりと気を取り直し「まだまだその様にお嘆きなさる場合ではありません。これから鉄仮面はパリへ送られ秘密に取調べを受けますから、そのうちにどなたかと言うことを探り出す機会はいくらでもあります。それは私が受け合います。」
「もし探りだした後で、あれがオービリヤだと分かったらどうします?」「そう分かれば、モーリス様は一同と一緒にオービリヤにだまされて、敵に攻められ、ルーボアの手下に殺されたものですから、ルーボアもオービリヤもモーリス様の仇です。仇を討つのは生き残った貴方と私の役目と言うものです。彼らの肉を食うまでは貴方も私も死ねません。」
「バンダ様、貴方は今から力を落として夫の敵を討つ気が無いのですか? コフスキーは下部(しもべ)同様の下っ端ですが、この仇(かたき)を討つまでは死んでも魂の行くところがありません。」と両方の拳を握りしめるのに、バンダもたちまち励まされ、鈍りかかった決心を又呼び返して「コフスキー、今から十年でも二十年でもバンダの身はモーリスのために生きています。モーリスが死んでいれば敵(かたき)を討ち、モーリスが生きていれば奪い返します。」と目を真っ赤にして立ち上がった。
十年二十年は愚かなこと、正史の記す所によると鉄仮面はこれから三十年後の1703年まで牢につながれ、鉄仮面のまま死んで鉄仮面のまま葬むられた言われているから、貞女忠僕(ていじょちゅうぼく)のこの後は非常に長いと言わなければならない。
第31回終り