鉄仮面44
鉄仮面
ボアゴベ 著 黒岩涙香 翻案 トシ 口語訳
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第三十五回
多年の大望ここに消えて、今はただ鉄仮面がモーリスなのか、オービリヤなのかを調べるだけが目的になった。
この目的のためオリンプ夫人とバイシンはパリに帰り、コフスキーは隙があれば再び砦に忍び込もうとして姿を変えてペロームを歩き回り、バンダは一人ブリュッセルに引き返し秘密の手箱を取り出すことになった。この様に決って、その翌朝、バンダは涙ながらにコフスキーに別れを告げ、ただ一人でその宿を出立した。
この頃は到るところに関所の様なものがあって、行き来する人々を検問する決まりになっていたが、幸いにバンダの田舎娘姿は、関守にも怪しまれず、厳しい調べも受ける事なく、その日の中に二、三十キロメートルを進んだ。夜に入ってサイデルボ駅の、ある宿屋に泊まったが、いままで身に余る苦労をしたためだろうか、その夜の中に何の病気か分からない熱が出て、翌朝は寝床を離れることが出来なかった。こんな事では死ねないと気ばかり焦ったが、熱はどんどん上がるばかりで、ついに何も分からなくなるほどの重い病気になってしまった。
この病気中の様子は読者の推量に任せて置くことにするが、だいたい一月 くらいはほとんど生死の間をさまよった。幸い年が若かったので体力があり死なずに済んだが、あのコフスキーと分かれてから四十日目にやっとふらふらしながらも歩ける位に快復してきた。バンダはそこでじっくり考えてみた。大事な用事を持っていたのに四十日も無駄に過ごしてしまったのは、返すがえすも残念なことをしてしまった。今ではもうあの手箱もルーボアの手に渡ってしまったに違いない。
コフスキーはどうしただろう。バイシンやオリンプ夫人はどうしただろう。きっと私から音沙汰が無いので不思議に思い、心配していることだろう。あるいは、もう鉄仮面が誰だか分かり、私が帰るのを待っているかも知れないから、いっその事バイシンに手紙を出し病気で寝ていたことを知らせてやり、同時に皆の様子も聞こうかと思ったが、どちらにしろあの手箱を取り出すのが役目なのだから、一日も早くブリュッセルに行き、打ち合せ通り役目を済ませて、またペロームを通ってパリに行こう。
バイシンは私に手箱を取り出してから更に一ヶ月位はそこで見張っていろと言ったが、一月以上の病気で床に伏せっていたので、もう見張ることも意味が無くなっただろうと思い、宿を出立し二日目の晩にブリュッセルに着いた。
そもそも、あの秘密の手箱が何処に隠して有るかと言うと、今の世の中なら銀行に預けたり、あるいは、仕掛のある隠しタンスや、頑丈な金庫などに納めておいても、決して他人に知られることはないが、今から二百年前では、この様なしっかりした道具も無かったので、特に住居を定めぬ軍人の身では、物を隠すと言えば、地面を堀って埋めて置き、その場所に目印をして覚えて置き、その目印を他人に知らせないと言うだけだ。
今のように顕微鏡で捜すなどと言うこともなかったので、この様な簡単な隠し方が、かえって後世の金庫などより安全なことが多かった。
バンダやモーリスが秘密の箱を隠したのもこの方法で、場所は二人が仮の婚礼を挙げたセント・ヨハネ教会の庭続きの所だった。教会は神聖な所なので、そこで聖書を前に誓った事は死んでも破ってはいけない。その厳しいことは、証文を取り交わした約束など以上だ。
バンダはこの様な厳かな手続きをしてモーリスからあの手箱を渡され、モーリスの指図に従ってモーリスと一緒にある夜に密かに来て深く埋めたものなので、誰も知っている人はいない。その後も、バンダはブリュッセルに居た間中毎朝、欠かさずこの教会にミサに来てそれとなく注意して守っていたので、あの鉄仮面がオービリヤでない限りは、今もそのまま埋まっていることは間違いない。
それにまた、教会とは言え、広い庭があり、後ろの垣根から墓場に続き、墓場から奥は何へクタールと測れないほどの、奥深い林で、どの木、この木と区別が付かない同じ何千本の木の中で、ただ一本を選び、その根本の一カ所に埋めたのだ。これでも、大変な用心なのに、更に見破られないようにと、同じ作りの箱を五個作り、これをあちこちのなるべく太い木の根本に埋めて置いたので、たとえ、この林の中が怪しいと思い、有りそうな所を掘ったところで、これらの偽の箱にだまされるだけで、本物の箱は堀当てることは思いも寄らないことだ。
本物の箱は墓場の一番端の石碑から奥の方に向かい、バンダの年令だけ立木を数え、そこから左にモーリスの年齢だけ又木を数え、更にまた右へ、千六百七十二年の数字(1672)を合わせた十六本目に当たる所に埋めてある。この木は丁度人の目に一番触れにくい所にあり、誰も捜し当てることはできない。しかし、もしもこの秘密の数字を知ったときには闇夜でも、間違い無くその木にたどり着くことが出来るのだ。
バンダが多くの苦労をしながら、やってきたのはただこの一本の木が目当てだったのだ。この一本の木が果して自分の夫の生死を知らせてくれるかと思えば、バンダはブリュッセルに着くと早くも胸の動悸が高まるのを感じた。