鉄仮面49
鉄仮面
ボアゴベ 著 黒岩涙香 翻案 トシ 口語訳
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第四十回
ヘイエー夫人と言う名前で判事夫人に連れられて、ここへ入ってきた悲しそうな一人の美人は、モーリスの妻であるバンダであることは読者はすでに推察した事と思う。バンダがどの様にしてここに来たのかと言うと、
前にセント・ヨハネ教会の林で怪物に出会ってからすぐにペロームに引き返したが、コフスキーの居所も分からず又鉄仮面がまだ守備隊の砦にいるかどうかも分からないので、とにかくパリまで引き上げ、まずバイシンの家を訪ねて事のあらましを話すと、さすがのバイシンも怪物の話には身の毛が逆立つ(よだつ)ほど驚いたが、確信が持てる判断が出来なかった。
どちらにしてもこの事件は謎に謎を深めるばかりなので、これぐらいの事で落胆(らくたん)せず、さらに三年五年と気長に構えてゆっくりと事情を調べる以外に方法はないだろうと、いろいろとバンダの気を引立てて、その上で、もし一同が力を尽くしてもどうにもならないときには、自分に最後の手段があるからと元気づけた。
たとえ政府がどんなに秘密にしようが、自分一人のくふうで必ず鉄仮面を救い出すからと、何か方法があるような事を言うので、バンダはその最後の手段とは何なのか、そんな方法があるなら何でいますぐにそれをしないのかを聞くと、バイシンは自分ながら恐ろしいと言うような身振りで、いや今はまだその工夫をするだけの準備も整っていないし、今からすぐ準備に掛かっても出来るまでには十年は掛かるかも知れないので、これは皆の力では、どうしても鉄仮面を救い出せないと決まってからにしたい。
その代わりこの方法なら、たとえ鉄仮面がどんな砦、どんな牢獄につながれていても、一晩で救い出せる方法だから安心していてもらいたい。ただ余りに恐ろしい方法だから、なにぶんにも他の方法が全部尽きるまでは教えられないと言うので、バンダは半信半疑だったが、前からすばらしい知恵の持ち主だと聞いていたし、話す言葉もいちいち真理をついているので、きっと凡人には考えも及ばないような大計略があるのだろうと思い、最後にそれほどの方法があるなら、まだまだ力を落とすべき時ではないと、この後の活動方法を相談すると、バイシンは、まずは気長に私の家に泊まっていて、コフスキーから何か便りがあるまで、待つのが良いだろうと言うことになった。
バンダはその言葉に従ってバイシンの家に潜んでいるうちに、密かにオリンプ夫人にも会い、夫人にも手箱の一件を話すと、夫人はその怪物は絶対政府の使いだと言い張った。そうすれば鉄仮面はオービリヤに決まったから、自分一人でも救い出すことにしようと、すぐに以前にもまして活動を始めようとする様子を見せた。バンダもなるほど夫人の言葉のように、鉄仮面はオービリヤかと思ったが、まだ心の中ではモーリスが本当に死んだとは思えない部分があり、どちらにしてもオリンプ夫人とはもう目的が違うので、一緒に働くのも面白くなかった。
現在、夫人はモーリスの仇敵(かたき)のオービリヤを救おうとする気でいるが、自分はそれに手助けをするのは気が進まないところがある。目指すところは同じ一人の鉄仮面とは言え、これをモーリスと見て救うのとオービリヤと見て救うのでは、気持ちに雲泥の差がある。オリンプ夫人とは考えが違い、うまく行かないので、その気持ちをバイシンに告げると、バイシンもしいて無理にとはせずにバンダの言うままに任せたが、それから数日も経たない内にコフスキーから手紙がきた。
「鉄仮面はいよいよバスチューユに送られることに決まった事を突き止めました。」と知らせてよこした。バンダは何はともあれ牢番と親しくなる以外に、方法はないと思いバイシンおよびその夫アントインの助けを借り、田舎から出てきたヘイエー夫人と言う触れ込みで、バスチューユの近辺に空き家を求め、コフスキーを呼び返して、これを自分の下部(しもべ)と言って、いよいよここに住み始めたのは、今から二ケ月ほど前からだった。
幸いに前に記したように、胴着の腰の回りに縫い込んで置いた宝石があり、それらのいくつかを売り払っただけで、十分元手になったので、自分は何処までも豊かな田舎夫人と見せかけて、密かにコフスキーを働かせると、コフスキーは短期間の内にバスチューユに出入りする人たちを初め、牢の小使いなどにも知り合いを作り、いよいよ最近になって、鉄仮面の囚人が密かにペロームから送られて来たことを突き止めた。
そればかりか、借りた家の隣に住む某夫人はこの辺の小裁判所の長を勤める何某の奥方で、女同士の馴染(なじみ)みも早く、何時しか親しくなり、バンダの控え目な性格は大いに判事夫人の目にかない好意をもたれて、はや牢獄長の小宴に招かれるところとなった。
それはさておき、やがてバンダのヘイエー夫人は、食堂に招き入れられ、主人ベスモー夫婦に向かって判事夫人と並んで座り、四人の団らんが始まり晩餐会が始まったが、身分を隠す悲しさで、これと言った話題も思い付かず、しきりにベスモーから、ボーテル地方の事を話しかけられ、困ることもあった。
幸い判事夫人がこの上無いおしゃべりなので、都合よく他の話を持ってきてくれて、どうにか紛らせながら一時間ほど経つた時、玄関の方から誰か大急ぎで入って来る足音が聞こえたが、誰かなと思う間もなく、はや足音はこの部屋に入り、入口の戸を無遠慮に開けて「ベスモー所長はおるのか。」と叱るように話しかけてきた。
そもそもこの人は何者だろう。バンダはもちろん知る由もないが、よほど大切な人と見え、べスモーは無礼をとがめるどころか、かえって悪事の現場でもおさえられたように、顔色を変えてその前に平伏し「これはどうもルーボア様」と叫んだ。さてはこの人が今迄、名前でだけ聞いたことのある、総理大臣兼陸軍大臣兼警視総監、ルーボアかと分かった。
第40回終り