鉄仮面54
鉄仮面
ボアゴベ 著 黒岩涙香 翻案 トシ 口語訳
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第四十五回
ルーボアの去った後、オリンプ夫人はただうめいていたが、いつまでもここには居れないと思ってか、ルーボアと同じ方向を目指して転がるように走り去った。
バンダはこれらの事を見終わって、コフスキーの手をしっかりと握り「これ、コフスキー、お前はルーボアの言葉をどの様に聞いた。ヒリップはすでに死んでしまったと言ったじゃないか。そうすれば、鉄仮面は夫モーリスに決まっている。」 「いや、ルーボアの言葉は嘘か誠か分かりません。」
「夫人が決死隊の秘密を言うと言ったとき、彼はもう手箱が手に入ったから、その秘密を聞かなくても良いと言うように答えたのも、やはり怪しむべき一つです。いずれにしても、ここであれこれ議論も出来ません。家に帰ってよく相談しましょう。」これでここを切上げ、遠くもない仮住まいの門前まで来て見ると、怪しいことには、二人の留守の間に何者か訪ねて来たらしく、入口に一両の馬車が控えていた。
コフスキーは十メートルも離れた所から早くもこれに気が付き「バンダ様、不思議ですよ。この馬車は確かに先ほど見たルーボアの馬車ですが。」バンダは、はっと驚き再びコフスキーの手をつかみ「これ、コフスキー、何も不思議なことはない。これには色々話しもあるが、私はもうこの家には居れないから、さあ、ルーボアに見られない内に早く出発しなさい。」
「出発しろと言われても、何処に行きますか。」「バイシンの家に行き、今夜一晩泊めてもらう。ルーボアは私の帰るまで待っているつもりでしょう。」 「私には何の事か少しも分かりませんが、それとも、もう、我々の身分がルーボアに分かったので、そのためルーボアがここに来たとでも言うのですか。」「そんなことではない。」「なるほど、ルーボアが自分で探偵をすると言うことも有りますまい。はてな、益々分からない。」
「いいから、おい出なさい。家には先日雇い入れた、新米の下女がいますから、いくらルーボアでも夜が明けるまで待つこともないでしょう。その内に待ちくたびれて帰ってしまうでしょう。とにかく、ちょっとバイシンの家に行かなくては」とバンダは怪しむコフスキーを引き立てて、逃げるようにバイシンの家を目指して立ち去ろうとするが、コフスキーはどうしても納得が行かず「ああ、ルーボアがあの家に来るとはこの様な不思議なことはない。
俺が留守をしていたら、彼を刺し殺して床の下に葬ってやるのだが。」と非常に残念そうにつぶやきながらも、引かれるままに従って行った。そもそもバイシンの家と言うのは、ローヤル街の角にあるかなり立派な屋敷で、表に一本の馬車道を設け、様々な事を聞きに来る貴夫人達をここから出入りさせ、更に世間をはばかる人々の為には裏手に秘密の出入口を設けてあった。
ここから入るときは、樹木が密生した広い庭の隅(すみ)に出て、小道を伝ってすぐバイシンの居間の窓の下に出る作りになっていて、バンダ、コフスキーはここから出入りをすることを許された人達なので、先ずこの小道から窓の下に出て、前から決めてある合図に従って、軽く戸を叩(たた)くと、すぐに内側から返事をする人があった。
まもなく迎え入れられて席に着いたが、バンダとコフスキーがまだ口を聞く前に、バイシンは口を開き「今しがた、オリンプ夫人が来て、ルーボアにひどく跳ね付けられたと言い、非常に立腹しているのを、ようやくなだめてお帰し申し上げました。」と言う。「はい、実は私達も夫人とルーボアの話を物陰で聞いていましたが、あれだけでは少しも判断が付きませんでした。貴方はどう思いますか。」
「いや、実際に聞いていない私に判断せよと言われても無理ですが、どちらかと言えばオービリヤことヒリップは死んでしまい、モーリス殿があの通り鉄仮面をかぶせられていると思う方が確かではないかと思われます。」 バンダは初めて声を出し「私もそう思います。」と言う。バイシンはしばらく二人の顔をながめた後、「それで、貴方がたは今夜は何のご用で。」と問うと、コフスキーはすぐに、あのルーボアの馬車がバンダの家の前に来ていることを話した。
バンダはその後をついで、今夜、監獄所長の小宴でルーボアに会ったことから、判事夫人が今にルーボアが密かにバンダの家に遊びに来ることになるだろうと言ったことまで話すと、コフスキーもバイシンも同じように驚いたが、しばらくしてバイシンは一つの考えが浮かんだらしく「コフスキーさんはどの様に思いますか? 私の考えでは少しも驚く必要はないと思います。やはり、バンダさんは田舎からきたヘイエー未亡人と言うことにして、ルーボアと交際するのが良いと思います。」
「勿論です。第一そうしなければルーボアに疑われます。疑われたら最後、すぐ正体を見破られ逮捕されるか、殺されるかどちらにしても、ひどい目に会いますから、非常に危ない仕事ですが、我々は何処までも化けの皮を着たままで、恐れず、驚かずに居なければなりません。」バンダはほとんど泣き声で「私にそんなことが出来るでしょうか。私はもう一層の事、ルーボアに正体を見破られて、夫と一緒に鉄仮面をかぶせられて一生を終わるのが本望です。」と涙の目で二人を見ながら、恨めしげに言い切った。