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黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

鉄仮面72

鉄仮面  

ボアゴベ 著   黒岩涙香 翻案   トシ  口語訳

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2009.7.28

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          第六十三回

           
 怪しい黒頭巾の乞食が、バンダの住居を突き止めようとした、その翌々日の午後五時頃のことだが、大宰相ルーボアは日頃の野暮ったさにも似ず、髭を洗い、髪の毛を撫で付け、見違えるほど立派になって、その私邸から馬車に乗り、出発しようとしていた。

 行く先は何処かは分からないが、その顔色までいつもの厳かさとは違って、すさまじいと評されている顔つきに、どことやら和やかなところが有るように見えるのは、窮屈な政治上の用ではなくて、ただの気ままな私用ででもあるのか、彼の脇に乗っている一人の老人は、腹は非常に肥太り、顔はにこやかで良く笑い、良く話し、少しもルーボアの気をそらさないのは、前からの友達でもあるのかと見えるが、友達にしては少し言葉が丁寧すぎ、だからと言って下僕、使用人かと言えば、そうでもなさそうで、もし、バアセーユの王宮に出入りしている人に見せたら、この人は宮廷の一侍医で、腕より御世辞の方が巧みなトルミドーと言う人だと言うことが分かる。

 馬車はやがて私邸の門を出てバスチューユの方角を目指して走り始めたが、トルミドー医師は笑いながらルーボアの顔を見て「御前がわざわざ私を民間の病人の所までお連れなさるとは、実に不思議です。病人は誰ですか? 余程貴方が大切に思う方と見えますな。はてな、御親類の中ならば何もこうして連れて行かなくても、なに町のなにと言う屋敷へと、それだけお指図下されば、すぐに出張しますが、こう考えると益々分からない。御前、これは必ず新しい知合いの家ですね?」

 ルーボアは例の割れ鐘の様な声で「まあ、そうだ。」「まだ細かに推量すれば、多分美人だろうと言うことまでは分かります。」と言い、彼のめかした身なりをジロリと見、腹の中では「この無粋な政治家が女役者でもみそめたのか」と呟いているようだった。「おお、さすがにトルミドーだ。その様な推量がどうして出来た」トルミドーは益々笑顔になり「人の心の中まで診察する眼力なくて、医者と大宰相が勤まりましょうか?」「あははは、成るほど、それはそうだ。」

 「実は貴方も毎日堅苦しい御用事ばかりで、体にも障りますから、ちょっと美人仲間に知合いを求め、そのほうの交際をなさるのも心の保養に必要です。及ばずながらこのトルミドーもその辺のお手伝いをしましょう。」日頃なら自分のことに立ち入ってこのようにかれこれと言う者をそのまま許して置くルーボアではないが、今日はかえってこれを喜ぶように「お前はなかなか役に立つ男だよ」「いやー、どの様な御用でも致します。ですがその新しい知合いの人はどんな美人ですか?」

 「なに、この頃田舎から出てきた女だよ。実は多少政府の用事にも使われた人の妻で、その人が死んでから、訳あってこの土地に出てきたが、その事情にはなはだ憐れむべきところがあるので、目を掛けてやろうと思い、」としかるべき口実を作って聞かすので、医者は腹の中で「何を言っているのだ。何処かの後家に目をつけて、事情はなはだ憐れむべしとはよく口実を作るものだ。」と呟き、少しの間に万事を呑込み、いろいろと話しているうち馬車はほとんどバンダの家のそばまで来たが、この時窓の外で異様な物音がしたので、ルーボアが何事かと窓から首を出してみると、丈夫そうな一人の乞食がしっかと馬の轡(くつわ)にしがみつき、馬車が進のを止めようとして、ぎょ者と争っていた。

 また窓のすぐ下には黒い頭巾を被った異様な男が立っていた。ルーボアは大声で怒鳴り「何者だ。狼籍(ろうぜき)するのは」と叱り問うと、黒頭巾は進み出て「狼ぜきではありません。忠義です。貴方のため、国王のため、国家の大秘密をお知らせするのです。」馬車を止めて直訴することは今までにも無いことではないが、採用するほどの事は至って少なく、聞き取るだけの値打のあることが少ないので、「国家の大秘密」と聞いてもルーボアは驚かず、かえって自分の忍びの姿を見破られたのを怒るように「これ、御者(ぎょしゃ)、狼ぜき者を追い払え、」黒頭巾はこれにあきらめず「いや、今聞かなければ後で貴方は後悔します。国家の大事です。」

 「これ、御者、狼ぜき者を」「貴方にとって最も恐るべき者が」 「追い払え」「姿を変えてパリへ」「構わないから鞭で殴れ」「近々一事件を起こそうと企んでいます。」「そうだ、そうだ、打ちのめせ、理由もなく人の馬車を止める奴は」「貴方は私の名前を知らないからそうおっしゃるのです。ただの乞食ではありません。貴方に名前の知れている立派な騎士です。」

 この言葉が初めてルーボアの耳に届いたのか「何だと、俺に名を知られているだと?」「はい、恐らく貴方の手帳にも書き留められているでしょう。」「 手帳に書き留めているだと? 誰だ、誰だ」「はい、私の名前は」と言い、まさに名乗り出ようとしたが、今名乗るのは自分の身が危なく、自分も捕まえられてしまうかも知れないと思い直したように、たちまち調子を変え、「いや、私の名前より、その事件はもっと大事です」

 「俺に名を知られているなら、頭巾を取って顔を見せろ」「顔では分かりません。この熱心さで分かるでしょう。国家の秘密を知らない者が、危険をおかして貴方の馬車を引き留め、この様なことを言いましょうか」ルーボアは成るほどと思ってか「聞こう、その秘密とは何の事だ」この様に聞かれて簡単に答えてしまっては売り物をただ取られるのも同じ事。褒美(ほうび)の約束をした上でないと言いにくい事なので、黒頭巾はまたも口ごもっていると、ルーボアは早くも見限って「さあ、御者、早くやれ」と言いつけると、御者は鞭で二人の乞食をしたたか殴り、驚いて足を引く間に馬にも又一鞭当て、矢を射るように走らせた。

 乞食は病後の足を引きその後を追いながら「貴方は魔が淵を忘れましたか?バンダと言う女の名を聞いた事はありませんか。決死隊の勇士がまだ生き残っていることを知りませんか?」と叫んだ。もし、この声がルーボアの耳に入ったなら、彼はこの様にただ馬を急がせるどころか、この乞食を馬車の上に引き上げて、十分に聞くことは確実だったが、これらの言葉は少しも聞こえず、特にこの日はこれらの事を聞こうとして来たのではなかったので、褒美にでもありつこうとする乞食共が、言葉を作って自分をだまそうとしているのだと思い込み、そのまま、バンダの家を目指して走り去ってしまった。

 後に残された黒頭巾ともう一人の乞食が、自分達の目的が全く外れたのを見て、御者に打たれた鞭の痕を撫でながらこれも何処かに立ち去って行った。

つづき第64回はここから

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