鉄仮面81
鉄仮面
ボアゴベ 著 黒岩涙香 訳 トシ 口語訳
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2009.7.30
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第七十二回
アントインは馬車のままで巧みに巡査の群れを切り抜け、飽くまでもナアローと思わせるために馬車をバスチューユの方に向けて走らせたが、数百メートル位進んだ後、誰一人後ろから追いかけて来ないのを確かめてから、人のいない通りに馬車を入れ、御者台の明りを取って馬車の中を照らして見ると、コフスキーはまだ鉄仮面はかぶされていなかった。ただ手錠足錠を掛けられたままで、アントインの顔を見ると「本当に良く救ってくれた。今夜の君の働きには感心した。」とうれし涙をこぼさんばかりに礼を言った。
アントインはすぐに手錠足錠を緩めてやると、身も軽がると馬車から飛び降り「僕は何、牢へ入れられても平気だが、ただバンダ様が心配だ。バンダ様は何処にいる? きっと君らの保護で無事だろうね?」と逆に聞かれてアントインは驚き「何だ。バンダ様は一緒で無かったのか? 僕は又この馬車に君と二人で乗せられているのかと思い、ここまで来たのだが。」
「何、僕と一緒なものか。」「や、や、それは大変だ。ではこれからナアローの屋敷に暴れ込み、力づくでバンダ様を奪い返す。」と早くも引き返そうとする剣幕に、コフスキーは納得が行かないように、まずアントインを引き留めて、「待たまえ、君の言う事はどうも分からない。一体バンダ様はどうしたのだ。僕と同じように捕らえられたのか?」「勿論の事さ。それを君が知らないのか?」「多分その様なことではないかと心配はしていたが、少しも知らなかった。僕はバンダ様の供をして、カフィ・ド・ベル(バンダが捕まった料理屋)の店先にいるところを、不意に捕らえられたので、その時バンダ様は二階に居たので、どうされたか少しも分からなかった。」
「いや、君に続いてバンダ様は二階の一室で捕らえられた。」コフスキーは今更のように悔しがり、「ええ、この様な残念なことはない。そしてバンダ様が捕らわれている所は」「さあ、僕などは多分君と一緒にナアローの所かと思っていたが。」「いや、そうではない。そうではない。なるほどナアローの邸内かも知れないが、僕には一度も顔は見せない。ナアローがあの通りの悪人だから、注意して僕と引き離して置いたのだろう。そうと知っていたら、何とか工夫があっただろうに。あるいはバンダ様だけは、どうにかして逃げているだろうと思い、えー、残念だ。」
「それも今では仕方が無い。僕の言うとおり、これからナアローの邸に引き返し、バンダ様を救い出す他は無いでしょう。」なるほど肝腎のバンダを救い出せなくては、二人の無念さはいかほどだろう。アントインはこれを自分の失敗とみて気も苛(いら)立ち「さあ、行こう」とせかし立てるのをコフスキーは考えながら「いや、君はナアローの屋敷の中を知らないから、行きさえすれば助けられるように思っているが、家の中は外からの見かけによらず、なかなか厳重に出来ている。
今行ったらかえって事態を悪くする。それにバンダ様があの家に居るかどうかさえも疑問だ。たとえ居たとしても、何処の部屋にいるのか分からず、先ほどの様子ではアイスネーがナアローを捕まえて行ったから、これからその後を追って行き、ナアローを締めあげて取り調べ、それからバンダ様の救出にかかる方が近道だろうと思うが、それとも、君に十分な見込みがあるなら別だが。」と道理を話して説得すると、アントインはそれはその通りだと納得し、「ナアローめはオリンプ夫人の屋敷へ連れて行かれたから、これからすぐにこの馬車で夫人の屋敷に駆けつけよう。
「いやいや、この馬車はかえって足のつく元だから、ここで放してしまわなくてはならない。馬の頭をナアローの屋敷の方へ向けて鞭を当てれば、きっとこの辺の道には慣れているだろうから、空の馬車を引き、元の馬屋まで帰って行く。そうすれば急には様子は分からないから、しばらくの余裕ができる。もう事がこの様に荒だってしまったので、どうせ我々は破れかぶれで、明日にも政府中の大騒ぎとなり、厳重に探索されどんな目に会うか分からないが、とにかく、まだなかなかの大役を控えているので、なるだけ、血気を押し鎮めて、政府の方でも探索が出来ないようにして置かなくてはいけない。
「なるほど、それは当然の事だ。幸いにも、ナアローがアイスネーにさらわれたことも、我々以外には誰も知らないので、明日までは政府も気が付かないから大丈夫だ。さあ、行こう。」と言うより早く馬の頭を後ろに引き向けて、力を込めて、その腰を叩くと、馬は元来た方へ向かって空車の音も高く、ただ一目散に走り去ったので、二人の勇者は微笑んで早くもその姿をかくしたが、これが鉄仮面の局面を一変して、歴史に名高いフランス毒殺審問事件の一端を開き、その上に勇士烈女の身の上に多くの苦労を重ねさせる元となった。その様子はバンダ及び鉄仮面の行方と供に順を追って話して行くことにしよう。
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