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黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

鉄仮面83

鉄仮面

ボアゴベ 著  黒岩涙香 訳  トシ 口語訳

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2009.8.3

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               第七十四回

 ナアローの急死した様子を見ては、前から彼を憎んでいたオリンプ夫人も恐ろしさに耐えられず「アレー」と一声高く叫んで逃げだそうとするように壁の方に後ずさりした。バイシン女も今まで毒薬の学問に身を置き、人に頼まれて毒薬を作った事はあったが、自分の手で人を殺したのは初めてなので、顔色を土より青くして、ぶるぶると身を震わせて、深い息を吐きながらナアローの死骸を眺めるばかりで、驚き騒ぐオリンプ夫人を制止することもできなかった。

 この時、次の部屋に控えていてた三人の中、コフスキーは夫人の声に驚いたように、ドアを開けて入ってきて「何事です。何事です。」と言いながら、辺りを見て「や、や、このナアローはどうしました。」と聞いた。バイシンはようやく胸をなで「何を聞いても返事をしないから毒薬で殺しました。」この返事にはコフスキーもぎょっとしたが、彼は早くも気を取り直し「今殺してどうします。バンダ様の居所が分かりましたか。」

 「いいえ、」「それが分からないのに彼を殺して貴方はどうする積もりです。」と責める様にきつく聞かれてバイシンは初めて我に返ったが、ようやく顔色を元に戻して「いや、私は初めからこのナアローを毒薬の試験台にする積もりでした。この通り殺して置いて、また生き返らせることが出来れば、いよいよ鉄仮面の居所が分かった時、すぐに救い出すことが出来ますから、「いや、そのお積もりは分かっていますが、今は試験などしていられる場合では有りません。こんな事をしている間にもバンダ様がどんな目にあっているかと思えば、私は気が気では有りません。

 ナアローがうまく生き返れば良いとして、もし生き返らなかったらどうします。又生き返るとしても、それまでバンダ様を苦しめて置く積もりですか。」「いいえ、そうでは有りません。バンダさんの居るところは大体見当がつきました。このナアローの言葉でルーボアも誰も知らない所に隠して有ると言い、又私がお前の屋敷の穴倉ではないかと聞いたとき、ナアローは急に私に抵抗する様子を現し、何も言わなくなりました。

 これらの様子から察すると、バンダさんの居るところは、必ず彼の屋敷の穴倉の様なところです。私はそう見て取ったから毒薬を試したのです。貴方は幾らか彼の屋敷の様子を知っていますから、夜の明けない中に、アントイン、アイスネーの二人を連れて彼の屋敷に踏み込んで、バンダさんをお救いなさい。

 いくら厳重と言ってもバスチューユとは違い、たかが別荘の事ですから、貴方がた三人の力でどうにでもなるでしょう。それでもまだ分からないなら、ナアローを再び生き返らせて、白状させるだけです。実にナアローと言う奴は底の知れない、頑固者でバンダさんを人質に取っている強みがあるから、ちょっとやそっとでは白状しません。

 どの様にしてでも彼の度肝を抜き、そうして置いて白状させる以外に方法が無いと思ったから、仕方なく私は毒薬を用いたのです。この上生き返らせて再び聞いて、それでも白状しなかったら、今度こそ殺してしまうぞと言えば、いくら彼でも、もう強情は張れません。必ず降参して白状します。」と初めて本心を打ち明けると、これにはコフスキーも感心し、
 
 「なるほど良く分かりました。こうしている中にも時間が経って行く。私はすぐにこれからアントイン、アイスネーの二人と一緒に彼の屋敷に駆けつけます。確かに貴方の推量通りバンダ様の居るところは彼の屋敷で、事によると私の捕らわれていたところと部屋続きかも知れません。」

 「多分そんなところでしょう。」「たいていの様子は私が知っていますから、どれすぐに行ってきます。」と言ってコフスキーは武者震いして立ち上がり、そのまま次の部屋のアントインとアイスネーに話すと、二人とも危ない仕事と聞いても一歩も引かない勇士なので一言の苦情も言わず、直ちにここを出発しようとすると、バイシンは何かを思いだしたように、コフスキーを追って出てきた。

 「ですが貴方達は簡単に彼の家に入れると思いますか。」と様子ありげに聞いてきた。アイスネーは腕を撫でて「なに、そのご心配はいりません。表門を叩き破っても押し入ります。」「その様にして事を荒立てるより、なるべくは縄ばしごで塀を越す方がよいと思います。

 それがもし出来なければ、初めの打ち合せ通りコフスキーさんを縄で縛り、残る二人がバスチューユの番人に化けて、ナアローの言い付けに従って囚人を連れてきたと言う風に見せかけ、今にもナアローが帰って来るからと言って屋敷の人々をだまし、そして又バンダ嬢を連れ出すのにも、やはりバスチューユへ連れて行くのだと言えばかえって事が穏やかに運びます。」と言って自分の夫アントインとコフスキーの顔を見ながら言うと、アントインはうなずきながら

 「ああ、そうすると分かっていたら彼の馬車を追い返さずにそのまま置いとけばよかった。」と言い、コフスキーは「なに、馬車は無くてもその計略は使えるよ。第一、君達が馬車に暴力を加え、ナアローを捕虜にしたことは誰も知らないから何とでも言い逃れが出来る。相談は行きながらすることにしてすぐに出発しよう。こう言って三人は自分の家にでも帰るように非常に喜んで出て行った。

 後に残ったバイシンはバンダ救いだしのほかに、ナアローが果して生き返るかどうか、自分が調合した毒薬が果して師匠エキジリが調合した毒薬ほど、効き目が有るかどうかと言う心配も有るからだろうが、何かすっきりしない顔つきで次の間に入ろうとすると、オリンプ夫人はいつの間にか出てきて、「お前は本当にひどいよ。私をただ一人死体の側に残して置いて、私は一人であの死体の側にいることはできないから出てきたが。」

 「なに、あれは今お聞きの通りですから、まだ本当の死体では有りません。眠っているのと同じです。」「私は生きているナアローは恐ろしいとも何とも思わないが、死んだナアローは本当に恐ろしい。」「貴方に似合わないことをおっしゃる。死人が何で恐ろしいのです。ましてナアローはまだ死人では有りません。」と口では大した事ではないように言ったが、その唇の色を見るとバイシンの心の中も、なかなかそんなに平気では無いことを示していた。

 今までは次の部屋に、天下に秀でた三人の勇士が控えていたからこそ何とも思わずにいたが、広いところにただ女二人だけで、特に今はもう夜、もはや草木も眠る丑満(うしみつ)時の頃なので、自分が殺したその死骸の側で夜を明かすのは誰だって身の毛がさかだつほど恐ろしいに違いない。

 しかしバイシンはそれでも怯(ひる)まず「さあ、夫人、元の部屋に行ってください。あのままで置いてはいけませんから、ちょうど牢屋で、死んだ囚人を扱うときのように、手足をほどき、しばらく寝かして置きましょう。そうしないと本当の試験にはなりません。」

 夫人はほとんど震える声で「もし生き返るものなら今すぐ生き返らせておくれ。」「今生き返らせては何の試験にもなりません。少なくても、明後日の朝まで三十時間ほどはそのままで置いてみなければ」「だけど、お前、夜が明けてからまた殺せばよいではないか。」「そんなことは出来ません。それとも貴方は嫌ならば、ご自分の部屋に入ってお休み下さい。後は私が一人で好きなようにやりますから。」 

 夫人はちょっと無言で考えていたが、一人部屋に戻って寝につくのはバイシンの側に居るよりもっと恐ろしいことなので、立ち去ることもできず、主人に叱られた犬のように、ただすごすごとバイシンの後について行くばかりだった。

 バイシンは無言で元の部屋に戻り、あの椅子からころげ落ちたナアローの死体に近づき、手足の縄をほどこうとすると、彼の体は既にあたたかみを無くして、ヒヤリとして気持ちが悪かった。それにも構わずどんどん縄をほどき続けていると、その時後ろにいたオリンプ夫人がびっくりしたような声で「あれー、幽霊が」と叫びながらバイシンにすがりついた。

 今死んだばかりのナアローが早、幽霊になって現れるのはちょっと早すぎるような気がするが、バイシンにしてもなんとなく気味が悪い思いをしていたところなので「貴方は、まあ、何をそんなに驚いているのですか。」と言いながら顔を上げると、なるほど夫人が驚くのも無理はなかった。窓の外のガラスごしにこの部屋をのぞいている怪物がいた。これは人か幽霊か、その顔は腐れかけた骸骨よりも、もっと恐ろしかった。

つづきはここから

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