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鉄仮面95

鉄仮面

ボアゴベ 著  黒岩涙香 訳  トシ 口語訳 

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2009.8.10

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                 第八十六回

 この様な折しも、部屋の外で牢番の足音がしたので、鉄仮面はたちまち我に返り、慌ててあの仮面をとりかぶり、何気ないふりをして待っていると、牢番は入口の戸を少し開きその体は見せずに「それ、洗濯物ができて来た。」と言い、一束の白布を投げ込んで立ち去った。もちろん鉄仮面は何年もの間、一つの着物を継ぎ合わせて破れたままにしていたが、ただ肌に付けるシャツや日常に使うハンケチだけは牢獄一般の規則により、一週間に一度だけは洗濯を許されているため、汚れた物を取り集めて、牢番に渡していた。

 今持って来たのは、すなわち洗濯をしたものを返して来たもので、もちろん怪しむほどのことはないので、鉄仮面は深く気にもとめずに自分はベッドに寄り添って何か考えていたが、やがて心に浮かんだことがあるらしく、すっと立ち上がり、「今聞いた塀の外の歌と言い、どうやら何かありそうに思われることばかりなので、どんな理由で、外でこの身を助けようと計画している者がいないとも限らないので、もしそうなら、ことによるとこの洗濯物の中にも、何かの合図を包み込んでいるかもしれない。」と独り言を言い、体を震わせながらその側に駆け寄ったが、またすぐに思い直し、「いやいや、生きながら地の底に埋められたも同じように、世の中から離されたこの囚人を誰が救ってくれるものか。

 今では俺の名前を覚えている者もいないだろう。昔は友達もあり、愛されたこともあったが、その人々もあるいはその筋の手に殺され、あるいは俺と同じように牢にでも入れられていることだろう。たとえ一人や二人世に生きていても、鉄の面をかぶせるほど政府で秘密にしている囚人を、世間の人がどうして知ることができようか。

 俺がこうしてこの守備隊の砦の牢に、閉じ込められているのを知っているのは、国王ルイとルーボア以外にはいない。そうだ、そうだ、誰が助けてくれるものか。どうにかして牢から逃げだし、今一度、世間の様子が見たい、見たい、と思うためつい心まで迷いだし、長い間聞いていないフランスの歌を聞き、もしや私への合図かと、おお、つまらない事を考えていた。

 どうせ生きてはこの牢を出られない体、出たい、出たいと思うだけ、自分から心を苦しめるようなもの、ああ、ああ、考えまい、考えまい、浮世の事はあきらめて、もう死ぬまでこの牢にいるものと観念するのが、結局心が休まる。我ながらつまらない事を考えていた。この様な積もりで洗濯物を開けば、又失望するだけの事。往生(おうじょう)際(ぎわ)の悪い心が治まるまで、開かずにそのまま置こう。」とようやく思い直したが、これは絶望の極みだ。

 生きて世の中に出る望みはなく、外から便りをくれる心当たりもない時に、自分から自分の愚痴をしかる。世の中にこれほど憐れむべき事があるだろうか。彼は力なく足を引きずり、再びベッドの方に戻ろうとしたが、思い切ろうとしても切れないのが浮世の事だった。「いやいや、こう決心したからには、何もくよくよ考える必要はない。洗濯物の中に、何の合図も無くても、今更失望するはずもない。心の迷いと気が付いてみれば、気を使うこともない。望みもない。それを心配する方が迷いと言うものだ。どれ」と一声心を決め、また進み出て洗濯物を取り上げたが、全ての希望が無くなっても、まだ自分でも気が付かない心の底には、まだ一点の望みを持っていると見えて、彼の動きはいつもほど冷淡ではなく、手の先さえぶるぶる震えているのは、もしかしてと密かに期待するものが有るからだろう。

 彼は最初にハンケチを調べ、次にそのシャツに移った。シャツの袖口の裏に何か薄黒いところがあった。よくよく見ると細かに書いた文字だった。彼は今更のように驚いて「あっ」と叫び飛び退いたが、迷いと思っていた自分の心が、必ずしも迷いでなかった事を見て、胸に動悸の起きないわけが有ろうか。余りの事に彼は再び近寄ることさえ恐れるように、しばらく立ちすくんでいたが、「いや、夢ではない。夢ではない。」と叫び、慌ただしく両方の手を自分の頭の後ろに回し、もどかしそうに鉄の仮面を外し再び元の素顔になり、洗濯物の側に屈み、そのシャツを取り上げて、袖裏の文字を読もうとした。

 この時彼の心はいよいよその目に集中したとも言うべきか、瞼は大きく開き、目は深く沈み、瞳は星のようにきらきらしていた。読み取った文字は驚くことに「貴方はどなたですか? 名を聞かせて下さい。もしや、私の知っている人なら、どの様なことをしても救いだしましょう。次の洗濯物を出すときに、細かく書いてお出し下さい。」ただこれだけだった。

 今の今まで自分の事を思っている者など、誰もいないと諦めていたこの囚人を、心に止めているだけでなく、この様な危ない方法を使って迄救いだそうとしている者がいたのか。彼の目は益々輝き、うれしいとも喜ばしいともつかない一種の涙が、深い目の中に一杯になっているのが見られた。

 その時風の吹き回しのせいか、ハッキリと聞こえて来た歌の声「私は鴬の巣に取り残された、羽も伸びない雛ホトトギス、雲の間に風の音を聞いてさえ、もしや母鳥ではないかと伸び上がり、梯子を掛けてと泣くのも血を絞る声」、歌の心も文字の意味も、どちらも腸(はらわた)がちぎれる思いをするものばかりだ。

つづきはここから



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