aamujyou102
噫無情(ああむじょう) (扶桑堂 発行より)(転載禁止)
ビクトル・ユーゴ― 作 黒岩涙香 翻訳 トシ 口語訳 *
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噫無情 仏国 ユゴー先生作 日本 涙香小史 訳
百二 町の子
この様にして白翁は逃れ、この様にして手鳴田等一同の悪人は捕らわれた。
此の翌日の晩である。寒い雪解けの風に吹かれて、薄い襤褸(ぼろぼろ)の着物を着て、乞食の児かと思われる十一、二の小僧が、此の家の戸を叩いた。家番の老女は昨夜の騒ぎに恐れ少しばかり戸を開いて見ると、
小僧「阿父(ちゃん)は居るかえ。」
と問うた。
アア此の小僧は手鳴田の息子である。阿父とは手鳴田の事を言うのだ。
老女「お前の親父は夜前捕まって牢に入れられた。」
小僧は悲しむ様子も無く、
「阿父が牢へ、面白いなア。阿母(おっかあ)は。」
老女「阿母も一緒に捕らわれた。女だけに別の牢へ今頃は入れられて居るだろう。」
小僧「阿母もか、驚いたなア。其れでは姉(ねいや)だけ残って居るんだな。」
老女「娘二人も捕まったよ。もう此の家には誰も居ない。お前が戸を叩く用事は無いのだ。」
冷酷に言い渡されて、
小僧「オヤ、オヤ」
と言っただけだ。別に未練の様子も無く、唯寒風に向かって、声を限りに乞食仲間の歌を歌いながら、身を震わせて走り去った。多分は何処かの橋の下へでも行ったのだろう。
読者は記憶して居る筈である。手鳴田に絵穂子(イポニーヌ)、麻子(アゼルマ)の下に男の子の有った事を。
けれどその子は冷酷な母の懐よりも、町の敷石が温かいと言い、家に寄り附く事は稀で、多くは町で寝起きした。何を拾って喰っているのか、飢えもしない。飢えても大人の様に嘆きはしない。走り廻るのと歌を歌うのが、其の身の仕事で、凍えても歌い、飢えても走るのだ。
丁度林には林特別の鳥が居る様に、巴里の町には巴里の町に特別の子供が居る。此の小僧が其の一人なんだ。之を「町の子」と称すべきだろう。此の小僧の名は三郎と言うのだ。良く生きて居るのが不思議では有るけれど、当人は一つの事に拘(こだわ)って心配したりなどはしない。林の鳥の様に唯だ面白く暮らして居る。
実は憐れむべき限りである。けれど子供ほど呑気な面白い者は無い。唯だ物心を覚えるに至って、初めて不平が出て来るのだ。初めて真の困難を感ずる事になるのだ。
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