aamujyou132
噫無情(ああむじょう) (扶桑堂 発行より)(転載禁止)
ビクトル・ユーゴ― 作 黒岩涙香 翻訳 トシ 口語訳 *
since 2017.8.11
下の文字サイズの大をクリックして大きい文字にしてお読みください
噫無情 仏国 ユゴー先生作 日本 涙香小史 訳
百三十二 堡塁の最後
今まで大浪が打ち返す様に騒々しかった四辺(あたり)が、此の様に一時に静まり返った。誰一人足踏む音をさせる者も無い。真に物凄いと言うのは此の時の光景だろう。此の光景の中へ忽(たちま)ちエンジラの前のテーブルの下から這って出た男が有る。
此奴は昨日泥酔して首領の言葉をも聞かずに寝込んだグランタと言う者である。彼は天地も覆(くつがえ)る許(ばか)りの騒ぎの中に、二十四時間眠り通したが、此の突然の静かさに目を覚ました。宛(あたか)も汽車の中に眠る客が、車の走る騒がしさには目覚めずに、車の留まると同時に目を覚ます様な者である。
彼は目を刮(こす)って四辺(あたり)を見、忽ち驚いて頓狂な声で、
「共和政治万歳」
と叫んだが、更に首領エンジラの様子を見て、一切の事情を呑み込んだ。
「首領よ、約束の通り一緒に死にましょう。」
エンジラは可笑(おかし)さを催したがニッと笑んだ。
直ぐに此方の指揮官から、
「打て」
との命令が発した。一時に発する十余の銃声と共にグランタは空中に跳ね上がって落ちて死に、エンジラは笑顔のままで壁に粘着して死んだ。一は滑稽、一は見事な死様である。
間も無くエンジラは首のガックリ垂れると共に斃(たお)れた。
是で頑強なシヨブリの塁は落ちた。
併し猶(ま)だ一人、何(ど)うなったかと、読者に行方を怪しまれる人が有るだろう。
其れは「哀れ戎瓦戎」と題する次の章で説く。
次(百三十三)へ
a:388 t:1 y:0