aamujyou14
噫無情(ああむじょう) (扶桑堂 発行より)(転載禁止)
ビクトル・ユーゴ― 作 黒岩涙香 翻訳 トシ 口語訳
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噫無情 仏国 ユゴー先生作 日本 涙香小史 訳
十四 斑井の父老
小雪が此の様に痩せ、凋(しな)び、追い使われ、窘(いじ)められて居る年月の間、母の華子は何の様に暮らしているだろう。先ずその帰って行った郷里の事から述べなければ成らない。
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華子の郷里モントリウルと言うのは、昔から英国産や独逸産の珠玉や錺物(かざりもの)を模造し、婦人の装飾用として諸方へ積み出す土地であるが、近来原料の値が騰貴した為め、自然商売が衰え、土地総体に殆ど見る影も無い迄に疲弊して居た。
所が、1815年(戎瓦戎(ぢゃんばるぢゃん)が僧正の家に泊まった年)の暮れに、何者とも知れない旅人が来て、木の脂(やに)やゴムなどを以て、その品を製造する事を初めた。誠に容易な改良では有るけれど、原料も安く、手間も少なく、その上に出来上がりが見事なので、一時に評価を高くして、寂(さび)れた町が僅の間に回復し、土地総体に、昔に幾倍もする繁昌を来した。真に工業的な革命が行われたと言うものだ。
その一部分を示せば、その事の発明者は三年の間に自分を富ませ、自分よりも更に多く土地を富ませた。併し此の人が何者かと言う事は誰も知らない。何でも彼が此の土地へ入り込んだのは、十二月の末の或る夕方で有った。その時彼は、僅かに数百フランの元手しか持って居なかったらしい。
荷物と言えば、背(せな)に負った袋と、手に持った杖だけで有ったが、丁度その夜に、町役所から火事が出た。彼はそれと見るや否や馳せ付けて、全く命懸けで働いた。見た人の噂では、彼が火の中で焼け死ななかったのが、不思議である。命の惜しい人には、とてもその真似は出来ない。
彼は煙の中から二人の子供を抱いて出た。その子供が丁度警察長官の子で有ったので、長官は非常に有難がり、それが為に彼の持って居る旅行の鑑札をさえ、検めなかった。検めては失礼に当たると言う程に感じたのだろう。だから彼の身分は誰にも分からない。名はその時から、斑井(まだらい)の父老(ふろう)《ファーザー・マダライン》と呼ばれた。
父老(ふろう)と言うのは、先ず多少の尊敬である。斑井とは自分の名乗る名なんだろう。彼の製品は、特に西班(スペイン)の方面から、莫大な注文が引っ切り無しに来る事に成り、本場の英国や独逸(ドイツ)の株を圧倒する程に見えた。
彼は二年の後、男工、女工と二棟の大いなる工場を建てた。五年目には銀行への預け金が六十万フラン(現在の30億円)以上も溜まった。けれど彼は自分が是だけ溜めるまでには、町一般へ直接間接に何れほど寄付したか分からない。慈善病院をも彼の力で増築した。彼は二個の学校をも建てて町へ寄付し、その教師をも自費で雇った。
常に彼は言った。国家の中で、最高至上の職務と言うのは国務大臣では無い。病院の看護婦と学校の教師だと。
彼の年は五十前後と見受けられた。気質は至って柔和で有る。顔を見ると、そう柔和では無く、余程苦労を経た者と見え、深い筋が額にも頬の辺にも刻まれて居る。そうして極無口だ。けれど男女の区別を正す事だけは、非常に厳しい。工場を分けたのも、男女間の道徳を重んずる為である。
従来、余り男女間の道徳の良くは無い土地で有ったけれど、之が為に余ほど改まった。苦情も醜聞《スキャンダル》も貧の泣声も無くなった。貧乏な民と言われて居た者達が、大抵は富んだ。従って正直にも成った。彼が人に言う言葉は唯だ「正直にせよ。」
と言うことより外に無い。職工に向かっても、女工に向かっても、
「お前は正直者に成らなければいけないよ。」
とのみ云った。
その上に彼は信神者だ。日曜日には必ず朝夕に、誰より先に説教を聞きに行った。中以下の者では、彼を慕わない者は無かったが、上流の中には、彼の余りに篤実《人情が厚く真面目なこと》な行いを、納得することが出来ない連中も有った。その様な人は、彼が町の事に多額の寄付金などするのを見ては言った。
「アア市会議員の候補を争う下心だ。彼は中々の野心家だ。」と。併し彼の徳望《徳が高く人望がある事》は町に溢れたと言う者だ。1819年に地方庁から、彼の功績を中央政府へ上申した。彼は国王から土地の市長に任命せられた。けれど彼は辞した。彼を野心家と言った連中は見当が違った。
間も無く彼の製品は勧業博覧会で最有効の審査を受け、賞勲局から彼に名誉ある勲章が下がった。彼は又辞した。愈々(いよいよ)彼の奥底が分からない。斑井父老、その名は殆ど神の様だ。諸所方々の宴会や祝宴などから、彼の元へ招待状が雨の様に集まった。けれど彼は総てを断った。彼を疑う者は又云った。
「無教育の人間だから、交際の仕方を知らないのだ。」
と。是だけは本当かも知れない。彼は一身の暮らし方でも実に質素を極めて居た。自分の使う職工と多くは違わなかった。
彼の徳望《徳が高く人望がある事》は益々高まる一方だ。終に市会が全会一致で彼を市長に推薦した。国王から再びその任命が来た。
彼は又も之を辞した。けれど今度は地方庁が、その辞表を取り次がない。市長の主なる者は、或いは自身で、或いは総代を立てて、毎日の様に彼の許へ、就職の勧告に来た。それでも彼は聴(き)かなかった。或る日彼が細民の住む町を見廻って居ると、一人の老婆が戸口に立って、腹立たしそうに彼を罵(ののし)った。
「市長に成れば何の様な功徳でも出来るのに、此の人は功徳を積むのが嫌いだと見える。」
此の言葉が最も彼の心を動かしたらしい。彼は終に就職した。善を行い、功徳を積むと言う考えで就職したのだ。斑井父老と呼ばれた身が斑井市長と尊(うやま)われる事に成った。
注;文中の60万フランを現在の30億円とした計算根拠
明治38年の1円は現在の約12、850円
1円=100銭
1銭は現在の128円
1フランは当時の40銭(文中で涙香が言っている)=現在の5,120円
60万フラン=600,000×5,120円
=約30億円
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