巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

aamujyou7

噫無情(ああむじょう)  (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

ビクトル・ユーゴ― 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

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    噫無情    仏国 ユゴー先生作  日本 涙香小史訳

       七  社会の罪

 戎・瓦戎(ぢゃん・ばるぢゃん)の目を醒(さ)ましたのは、夜中の二時であった。彼は寺の時計の音を聞いた。僅かに四時間許かりしか寝なかったけれど、少しの間にぐっすり眠る癖が、牢の中で附いて居ると見える。もう昼間の疲れも無く成って居る。再び眠ろうとしても眠られない。彼には余り寝床が柔らか過ぎるのだ。

 十九年の間、板の間に寝た者には、却(かえ)って寝心の快(よ)く無い所がある。彼は黙然として考えた。無論この家の主人の親切から、食物の旨(うま)かった事まで思い出した。「兄弟」とまで言われて、其の親切を感ぜずに居られようか。

 戎・瓦戎(ぢゃん・ばるぢゃん)が、それよりも更に明らかに彼の心に残って居るのは、六枚の銀の皿である。老女が匆々(そうそう)《あわただしく》に之を仕舞った様子をも見た。その仕舞った所をも知って居る。六枚を残らずならば、捨て売りにしても二百法(フラン)以上の物は有る。

 牢の中で十九年稼ぎ溜めた工賃よりも、一夜の間に二倍の稼ぎが出来るのだ。彼は此の様な事を考え、胸の中で計算した。初めは真逆(まさか)に実行しようとは思わなかったが、考えるに従い、益々欲が募った。けれど彼は自分の欲心に抵抗した。簡単には決する事が出来なかった。

 考えて又考え、ついに一時間を過ごした。三時の鐘が又聞こえた。その音が彼の耳に、「働くのは今だ。」と言う様に聞こえた。
 彼は靴のまま寝て居たが、靴を脱いで自分の衣嚢(かくし)に入れた。荷物の革袋から鑿(のみ)の様な物を取り出した。是れは僧正の部屋と自分の部屋との間の、戸を開けるのに用いる積りなんだろう。

 そうして袋は背に負い、全く立ち去る用意を定めて寝台を降りた。先ず忍び足で窓の所へ行き、庭の様子を見ると、薄月の明かりに、塀の何(ど)の辺が、最も乗り越えて逃げ去るのに、都合が好いかとの見当も分かる、彼は再び考えたけれど、もうこうなっては「働く」と言うより外の思案は出ない。

 ソッと僧正の部屋の戸の所に進み、耳を澄ました。彼方に何の物音も無い。確かに主人は眠って居る。彼は先ず戸を押して見た。きっと鑿(のみ)を用いなければ開かない程の錠でも降りて居るかと思ったら、以外にも締まりが無い。戸を押すに従って、音もせずに開いた。彼の身は直ぐに僧正の居間に入った。
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 抑(そもそ)もこの戎・瓦戎は、何者だろう。彼はこの国の都、巴里府より遠くもない、プライという山里の樵(きこり)の息子で、幼い時に父母を失い、近村へ縁付て居る自分の姉の家へ引き取られて育てられた。所が姉の夫と言うのが又死んで、姉は7人の子供を残されて、寡婦(ごけ)となった。

 子供は上が八歳で、末が当歳の乳呑み子であった。此の時、戎・瓦戎は二十五歳、姉の家は貧しいのだから、自分が稼いで、姉と七人の子を養わなければ成らない事に成った。随分彼は働いた。日傭(ひやとい)にも出れば、道路工事にも雇われ、木挽(こび)きをすれば猟にも出ると言う様な状態で、本当に夜の目も寝ない程に稼だけれど、悲しいかな、資本の無い者には、生活を許さないのが文明と言う、この恐ろしい制度である。日一日に彼れ及び姉の一家は貧苦に迫られた。

 世の常の男ならば、最早多少は村の娘達にも、彼れ是れ言われ、苦しい間にも、又笑ったり楽しんだりする事の有る年頃なのに、彼にはその様な時が無い。暇が無い。女の愛が何かと言う事は彼れの未だ知らない所である。その代わりに彼は七人の子を愛せねば成らない。実の所良くその子等を愛した。

 随分姉が叱る場合などに、影に日向に、庇(かば)いもし、気を附けもした。彼れは陰気な無口な質では有るけれど、多少は深い愛の心を持って生まれた者と見える。
 次の年の冬、甚(ひど)く雪が降り、日庸(ひやとい)に雇って呉れる人も無く、その外の手間仕事も全く絶えて、彼は一家九人と共に飢え、凍えなければ成らない様な有様に陥(おちい)った。

 真にその日稼ぎの人に、悪い天気や不景気の続くほど残酷な者は無い。全く天道が人を殺すのだ。
 或る夜の事、その村に在る其某(なにがし)と言う麪(パン)屋の主人が、昼間売れ残った麪(パン)の片(きれ)などを片付けて居ると、外から窓のガラスを叩き破った者がある。主人は驚いて振り向くと、その破った間から、人の片手が出て、台の上に在る一個の麪(パン)を取るより早く逃げ去った。

 直ぐに主人は飛んで出で、追い掛けて取り押さえたが、泥坊は早やパンを投げ捨て、何にも持って居ないけれど、片手にガラスで切った傷が有って、血が流れて居る。
 勿論弁解の余地は無い。直ぐに警察へ引き渡された。

 是が戎・瓦戎(ぢゃん・ばるぢゃん)である。彼は七人の子の飢えに泣くのを見かね、聞きかね、終に一片の麪(パン)を盗む気に成ったのだ。彼が盗んだのだろうか。将(は)たまた社会が彼に盗ませたのだろうか。

 若し彼にして、麪(パン)屋の主人に打ち明けて、麪(パン)一つ下さいと云ったなら、必ず呉れる所だったのだろう。けれど彼の気質はそれが出来ない。そう打ち明ける質(たち)で無く、又そう口が軽くなかった。

 それが為に到頭正式の裁判に附せられた。取り調べの結果、彼れの家に一丁の猟銃が有った。猟銃は有るけれど鑑札が無い、鑑札が無ければ盗猟者である。盗猟する位の奴ならば、外にも盗罪の有る筈だと認められた。

 元来、鑑札を持たない猟師は、世に幾等も有るけれど、盗猟と為ると甚(ひど)く上の方から憎まれる。それは貴族の猟場や山林を荒らすとの懸念の為である。彼は様々に弁解したけれど通らない。盗んだ麪(パン)も直ぐ投げ捨てたけれど、戸締りの有る家へ乱入して、盗みを働いたと言う箇条に当てられた。

 未遂(みすい)では無い。既に遂げた上に投げ捨てたのだ。遂に懲役五年の刑に処せられた。そうして腰縄で巴里に引かれ、他の多くの罪人と共に数珠繋(つな)ぎに成って、馬車に載せられ、27日の長い道中を経て、ツーロンの獄に送られた。

 その後で姉の一家は何(ど)う成っただろう。それは良く分らないけれど、外に何うも成り様が無い。通例この様な境涯の人達が、成る様に、一家離散して、乞食にもなれば養育院にも入り、尋ねる跡方も無く成ったのだろう。不幸な人を無慈悲に滅ぼすのが、社会の仕組みであるのだから。

 尤(もっと)も母の方は、末の乳飲み子を抱き、巴里に上って下等な製本屋へ雇われ、乞食同様の有様に成って居るのを見受けた人も有るとの事が、風の便りで獄中の瓦戎(ばるぢゃん)に聞こえたけれど、それ切りの事で、後は分からない。この後にも、又とこの話の上へは現れない。

 今でも巴里の牢番を勤めた人で、戎・瓦戎が初めて都に引かれて来た時の様子を覚えて居る者がある。それは戎の様子が、他の囚人と違って居たから、特に目に着いたのだろう。その人の直話に依ると、五十人数珠の様になり、監獄の庭に並んで腰を掛けさせられた中程に、髪の毛の長く延びた男が、身を悶えて泣いて居た。
 
 「アア俺は猟師だ。親の代から山の物を採って、正直に食って居たのだ。この様な重い仕置きに遭(あ)う様な悪人では無い。」
と言い、やがて泣き止むと手を差し延べ、宛(あたか)も背丈の揃って居ない七人の子供の頭を、撫でる様に段々とその手を低くし、口の中で何やら呟(つぶや)いて居たので。扨(さ)ては子供に未練が残って居るのかと、この牢番の慣れた眼には察せられたとの事である。

 だから戎は入獄の後も、罪に合わせて自分の罰が重過ぎるとの念が絶えず、服役の苦しさに付け、次第に人を憎み、社会を恨む心とは成り、機会さえ有れば、牢を出ようと企てた。それが為に、段々刑期が永くなった。

 初めは四年目に逃げ出して二日目に捕らえられ、三年の刑期を増されて八年と為り、その翌年又逃げたが、今度は捕まる時に役人に抵抗したとの罪まで加わって、五年を増され十有三年と為り、次ぎは十年目に又逃げ掛けて又三年を増された。都合で十六年とは成った。

 十三年目に又隙が有ったので最後の逃亡を企てたが、その結果は又三年を附け加えられ、十九年の刑期と為るに終わった。誠に愚かな次第では有るが、憤慨に憤慨が重なって、終には利害など考える事の出来ない様な場合の有る、捻(ね)じけた頑(かたく)なな心に成ってしまったのだ。境遇が人を損なうのだ。

 兎に角も、飢えに迫る子供の為に、一片の麪(パン)を盗み損なった罪が本で、十九年の刑に服した。


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