巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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悪党紳士   (明進堂刊より)(転載禁止)

ボアゴベ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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悪党紳士        涙香小史 訳

               第十二回

 我が国では、華族と云えば、何と無く重く貴い様に思われ、平民と言えば、何と無く平凡に思われるが、其の故をどうしてかと考えてみると、是は血筋の違いから来る。血筋は人の身を幸いにし、又不幸にする者である。今、若し自ら華族の血筋を受けたと思って居る人に向かい、御身は華族では無い、実は平民であった聞かせたなら、その人はどんなにか悲しく思う事だろう。

 今、お蓮が愛女(むすめ)お仙に、我が身を正しい者とのみ思い込ませ、我が母を、清い稼業を為す者とばかり思わせて居るのに、若し母の口からして、御身は私生の子であると云ったなら、其の悲しみは如何(どん)なだろう。又御身の母は、世に恥ずかしい「デミモンド」であると、打ち明けたなら、今まで阿(おめ)ず臆せず人前に出ていた身も、人に逢って自ずから顔の赤らむ事と為るだろう。

 我が愛女(むすめ)に、この様な悲しみをさせたくないと思えばこそ、今まで都を離れた田舎に預け、苦しい中から充分の仕送りをして、母の口からは、言うべきで無い偽りを言い、仕立て屋に使われる身であるなどと言って、深く素性を隠して居たのだ。其の心は誠に憐れむべきだ。

 今までは隠して来たが、今は愛女(むすめ)も物心が附いて来たので、少しの事にも疑いを抱き、疑いが高まれば、それと気付くことだろう。この様に思う度(たび)に、我と我が心を責め、人知れず涙に暮れる事も度々あるのに、今又一つ、身に余る苦労と云うのは、愛女(むすめ)が若し綾部安道に心を寄せ、許婚の約束でも結ぶ事があれば、如何したら好いだろう。彼、我が愛女(むすめ)には、最も願はしい婿夫(むこ)ではあるが、若し婚礼の儀を申し込む事になったら、娘の素性、我が身の上を隠し通す事は難しい。如何したら好いだろうかと、思案に余って、有浦に打ち向かい、

 「有浦さん、私は曲者の事より、愛女(むすめ)の事が気に成ります。若しお仙が、綾部さんと思い思われる中と成り、綾部さんから婚礼でも言い込む事に成ったら、何(ど)うしましょう。」
 (有浦)そうだな、アの様子では、既に憎からず思って居る様だから、其の時は、拒(ことわ)るか承知するか二ツに一ツさ。
 (蓮)二ツに一ツは知って居ますが、拒(ことわ)ることが出来ましょうか。

 (有)爾(そう)サネ。一旦母の口から、娘の許(もと)へ、自由に出入りして差し支え無いと許したのだから、其の上で二人が、許婚の約束でもすれば、其許(そこ)が即ち自由結婚と云う者だ。拒(ことわ)る程なら、初めから娘の側へ寄せ付け無いのが当然だ。併し何拒(こと)わるには及ばないだろう。綾部には、父も無し兄弟も無し、所得はアレでも年に二千円[約2千万円]位は有るのだから、お仙嬢の身には、言い分は無い婿夫(むこ)だ。

 (蓮)私も爾(そう)は思いますけれど、若し爾(そう)なれば、私の素性を包む事が出来ましょうか。
 有浦は容赦なく、
 「それは出来ないよ。先ず綾部がお仙を妻にしたいと思えば、第一に私に相談し、且つ其方(そなた)の身の上をも、問い合すに極まって居る。其の時私が何と返事するか、コレが若し懇意の薄い人なら、何とでもその場を言繕って置くけれど、綾部は私の親友だ。軍人の身として、親友を欺く事は出来ない故、止むを得ず、知って居るだけの事は、打ち明けなければならない。」

 (蓮)何と打ち明けます。
 (有)有りの儘(まま)を打ち明けるのサ。彼のお蓮と云う者は是々の稼業で、お仙は是々の娘だと。
 この濁り無い言葉にお蓮ハ驚き、
 「でもそれは余(あま)りですよ。」
 (有)イヤ、是が当たり前だ。一時其の場を言い繕っても、何(ど)うせ後々まで、隠し通す事は出来無い。後で露見するよりは、初めに白状するのが本当だ。

 (蓮)でも白状すれば驚くでしょう。
 (有)驚いても仕方が無い。併しナニ爾(そう)心配するには及ばない。其方(そなた)も私の親友だから、私の口から爾(そう)悪くは言われない。許(もと)より其方が、「デミモンド」に成ったのも、情実止むを得ない次第で、其方の罪と云うのでは無い。又お仙も私生の子とは云う者の、既に妹李(まりい)夫人から、花房の血筋を受けた者と見認られた上は、通例の私生の子とは違うのだ。それに花房家は、英国では伯爵だから、綾部とは其の位が同じ事だ。その様な事まで言って聞かせば、却って先は喜ぶかも知れない。今の貴族は昔と違って随分開けて居るから。

 (蓮)イエ、開けて居るのは都の貴族です。此の辺の方は、矢張り昔気質ですから、実は夫(それ)が頼もしいと思います。愛女(むすめ)も今は十万ポンドの財産が有れば、何所に出しても恥ずかしく有りませんが、只私の身の上が恥ずかしいのです。この恥ずかしい身の上を知らせては、一生娘の頭が上がりません。それが可愛そうですから、死んでもこの事許りは隠します。

 (有)成る程、それも尤(もっと)もだが、併し私も親友を欺く事は出来無いよ。好し好し、それでは斯(こう)しよう。明日にでも綾部が私の所へ来たならば、私は唯僕の口からは何とも返事は出来ないから、君、自分で蔦江女に逢って、聞き給(たま)えと、斯(こう)言おう。斯(こう)言えば、綾部は必ず其女(そなた)の所へ来て、詳しく聞くだろうから、其の時、其方の口から、何とでも気の済む様に言うが好い。私はもう、この事には一切口を出さ無いから。

と双方を思いやるこの言葉も、未だお蓮の心にはしっくり落(お)ちないが、この上言うべき言葉も無いので、唯首を垂れて我が身の儚(はかな)さを嘆くばかり。この時既に、夜の十時になったので、綾部安道は、初めて来た家に、長居するのも礼に非ずと思ったのか、お仙の傍を離れて此方(こちら)に来て、お蓮にも有浦にも、又逢うべき挨拶をして、別れを告げて帰って行った。

 有浦は後に残り、更にお蓮から、何呉れと無く相談を受け、時の過ぎるのも気が附かなかったが、頓(やが)て午前一時の鐘に驚かされ、同じくこの家を立ち出(いで)た。立ち出でて四辺(あたり)を見ると、それで無くても非常に静かな所なのに、更に夜が深(ふ)けて、空さえ曇り、朧(おぼろ)に月影を隠したので、殆ど物凄(すご)い程静かである。

 先程来た道で、一輌の馬車を雇い、帰りに乗ると言って待たせて置いたたので、未だ待って居るだろうかと思い、其所彼所(そこかしこ)見廻すと、半町ほど離れた公園の横手に、角灯の光が見えた。其の光を目当てにして、是に違いないと歩んで行く中、何者かが向うから近づいて来た。我が姿を見て、早くも元の方へ引き返している。

 今宵お蓮から、曲者が此の辺りを徘徊すると聞き、心に掛る折だったので、若しやと思い、透かして見ると、仕事から返る職人の風を装っている。さては是だなと思い、益々目を注ぐ中、件の男は横手に反れたので、知ら無い顔をして通り過ぎ、頓(やが)て馬車の所に行って、其の馬丁(べっとう)に打ち向かい、

 「今方誰か此所(ここ)を通って俺の来た方へ行っただろう。」
 (馬丁)ハイ、行きましたが、彼は泥棒ですよ。手に縄梯子を持って居ましたもの。
 (有)俺も爾(そう)思うが、彼奴(きゃつ)は、若しかしたら、今俺が出た家へ入るかも知れないから、俺が捕えて呉れる。貴様は俺の言う通りに成って居ろ。
 (馬丁)心得ました。

 (有)それでは此の馬車で、公園地の後ろまで遣って呉れ。爾(そう)すれば彼奴(きゃつ)は、誰も居無く成った積りで、必ず仕事に取り掛かるから、其の間に密(こっそ)り向う手へ廻ってやる。
 こうして公園地の後ろに廻り、馬車から下りて馬丁を引き連れながら向う側に廻った。

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