巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

akutousinsi14

悪党紳士   (明進堂刊より)(転載禁止)

ボアゴベ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2014.7.4

下の文字サイズの大をクリックして大きい文字にしてお読みください

文字サイズ:

更に大きくしたい時はインターネットエクスプローラーのメニューの「ページ(p)」をクリックし「拡大」をクリックしてお好みの大きさにしてお読みください。(画面設定が1024×768の時、拡大率125%が見やすい)

akutousinsi

悪党紳士        涙香小史 訳

               第十四回

 有浦は応接の室(ま)に通り、急燥(いらだち)ながら待つうちに、徐々(しずしず)と入り来たのは、此の家の主である。見れば年の頃三十六、七くらいで、肉肥えて顔丸く、目許口許に笑みを含み、総体の様子、優しそうな事小児の様である。絵に書いた福の神の笑顔も、之には及ば無いと思った。

 (主)私は此の家の主人蘭樽(らんたる)伯で有りますが、唯今聞けば、此の家へ賊が入ったのを、お知らせ下さったとやら。お注意(こころづけ)の程痛み入ります。
と述べる言葉さえ、静かにして和(やわら)かなので、急燥(いらだ)っていた有浦も、少しは落ち着き、
 「イヤ、唯今裏庭の塀を越えて、怪しい者が忍び入る所を見ましたから、突然では有りますが、お知らせしましたが、外へ逃げる筈は無いから、未だ此の内に隠れて居ると思われます。」

 (蘭)それでは早速探しましょう。
と言って早起(たと)うとするので、
 (有)イヤお探しなさるなら、共々にお手伝いを致しましょう。
と是より灯光(ともしび)を取って、裏庭に立ち出でて、残る隈なく探したけれど、曲者は何所に行ったのか、影さえ無い。先程曲者が乗り越えた塀の辺(あたり)を検(あらた)めると、二の足跡が有るだけで、後は何所へ向ったのか、全く分から無い。余りに不思議なので、有浦は蘭樽伯に向かって、

 「この庭は外に出口は有りませんか。」
 (蘭)有りません。
 (有)ハテ変だ。それでは若しや、お座敷へ上がりは仕ませんか。
 (蘭)座敷は残らず戸を閉めて有りますから、上がることは出来ませんが、併し先ず念の為に検(あらた)めましょう。
是から又も座敷に上がり、二階、三階を初め、書斎から寝室の押入れまでも開いて見たが、怪しい所は少しも無い。今は有浦も極まり悪く、

 「何(ど)うも夜中にお騒がせ申して、申し訳有りません。実は外で見ますと賊が入って間も無く、二階の窓から灯影(あかり)が差しましたので、的切(てっき)り曲者が品物を探すのだと思いまして。」
 (蘭)二階の窓とは横手の窓ですか。
 (有)左様です。
 (蘭)アア彼(あ)れは、唯今ご覧なさった私の衣装室で、実は是から倶楽部へ参る積りで、小僧に灯影(あかり)を持たせて、取りに遣りましたので。

 此の返事に、有浦は地にも入りたい思いを為し、さては曲者、我が馬車を呼びに行った四、五分の内に、再び塀を乗り越えたか。そうすると彼が物盗みでは無い事は、益々明らかで、初め鶴女の家を伺ったのも、深い所存が有った者に違いない。彼は真の入山鐘堂(しょうどう)とやら言う者か、そうで無ければ、鐘堂の手先に違い無い。好し好し、今宵は取り逃がしたけれど、十分其の顔を見て置いたので、此の次はきっと捕えてやると、殆ど拳(こぶし)を握る迄に悔しがったが、ここは是れ、訳をも知らない他人の家である。此の上長居をして、迷惑を掛ける所では無いと、早くも思い直して、言葉を低くし、

 「伯爵、今夜の罪は謝罪する言葉も有りません。」
と云うのを蘭樽は推し制(とど)め、
 「イヤ、もう貴方は軍人の様子ですが、私は決して軍人の言葉を疑いません。既に庭の隅に足跡まで在ったからは、賊が入った事は充分に分かって居ます。何でも、貴方が此の門を叩く声に、賊は驚いて逃げたのでしょう。左すれば、矢張り貴方の力で、賊を追い払ったのも同じ事。お礼は私の方から申します。」
と非常に丁寧なこの言葉に、有浦は益々恥じ、

 「何(いず)れ改めて、此のお詫びは致します。」
と言って一葉の名札を遺(のこ)し、忽々(そこそこ)にして立ち去りた。アアこの蘭樽伯こそ、実に礼儀を知り、作法を知った紳士中の紳士共云ふ可(べ)きか。大抵の人ならば、夜中に騒がされたことを、不快に思い、有浦に恥を与える筈なのに、そうはせずに、充分に有浦の心を察し、礼を述べて其の場を取り做(な)したのは、交際を為す人は、この様でなくてはならない。それで有浦も非常に伯爵の人柄に感じ、必ず改めて、我が粗忽(そこつ)を、謝らなくてはと思った。こうして有浦は蘭樽家を立ち出たが、余りの失策に自ら腹立たしく、それに夜は早や二時を過ぎていたので、宿に帰る心も無く、寧ろ倶楽部に行って一夜を明かそうと、其の儘(まま)馬車を急がせた。

 倶楽部とは、紳士の遊び場所で、夜芝居の帰りに、立ち寄る人が多いので、朝まで人の絶えることは無い。有浦は、七年ぶりに倶楽部の敷居を跨いだので、見知らぬ会員も多いけれど、片隅に立って、人待ち顔に佇(たたず)んでいる一人は、七年の前の遊び仲間、山田某と云う人(第一回に出ていた夜芝居で、怪しい婦人の事をお蓮等に語っていた紳士)だったので、其の傍へ歩み行くと、山田は驚き、

 「イヨー、有浦か、この頃帰ったとは聞いたが、能(よ)く来た。今夜は久し振りで戦おう。」
 (有)相変わらず好きと見えるナ。僕はもう七年も田舎に居て、歌牌(カルタ)などは忘れて仕舞った。
 (山)イヤ忘れても丁度好い。この頃は、ピケットだのホイストなどと云う、昔の歌牌(カルタ)は止めてしまい、ミカドと云う、日本流の歌牌(カルタ)が流行(はやっ)て来て、連中は皆素人ばかりよ。面白いぜ。

 (有)全体ミカドとは日本芝居の外題じゃ無いか。
 (山)爾(そう)サ、日本では、何でも面白い事や人の好く事は、皆ミカドと云うと見えて、芝居もミカド、歌牌(カルタ)もミカド、天子も同じくミカドと云う相だ。
 (有)夫(それ)は面白い。今夜は一つ教えて貰おう。
 (山)イヤ、僕も未だ教える程は知らないが、先日東洋から帰って来た、猿島男爵が能(よ)く知って居る。男爵はもう先程から歌牌(カルタ)室へ陣を張って連中を待って居る。

 (有)それでは未だ来る奴があるのか。
 (山)有るのサ、この頃米国から帰った貴族が有って、それが非常なミカド好きだ。我々の連中で其の貴族を大伯爵と綽名(あだな)して有る。其の大伯爵と猿島男爵とは、何れも兵糧が豊かだから、両方の大関だ。毎(いつ)もなら、最(も)う来る時分だが、今夜は何故か遅い様だ。
と云いながら入り口に振り向いて、

 (山)イヤ、来た来た、大伯爵がやっと来た。
と云うので、有浦も振り向いて見ると、これは如何(どう)したことだろう、大伯爵とは外ならず、今方別れて来た蘭樽伯である。有浦は若し蘭樽伯が先刻の事を話しでもしたら、我が身は、倶楽部中の物笑いと為るだろうと思うので、心苦しい限りであるので、身を外して次の室に避けようとしたけれど、伯爵は既に笑いながら近寄って来た。此の時山田は様子を知らないので、有浦と蘭樽の手を取って、

 「コレは有浦、コレは蘭樽伯。」
とて二人を紹介すると、伯も有浦の心を察したと見え、先刻の事は推(お)し隠して、全く初対面の風を装い、非常に丁寧に挨拶をした。有浦は之に由り、益々伯の心栄えの、ゆかしさに感じた。やがて打ち揃って歌牌(カルタ)室に入って行くと、此所に一組彼処(あそこ)に二組、種々の歌牌(カルタ)を弄ぶ中に、一方の卓子(てーぶる)では、ミカドと称せられる、花合わせの札を飾り、猿島男爵とやら云う紳士、今や遅しと待つところだったので、一同其の周囲に座を占めながら、直ちに戯れを始めた。

次(第十五回)へ

a:760 t:1 y:0

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花