巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

akutousinsi17

悪党紳士   (明進堂刊より)(転載禁止)

ボアゴベ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2014.7.7

下の文字サイズの大をクリックして大きい文字にしてお読みください

文字サイズ:

更に大きくしたい時はインターネットエクスプローラーのメニューの「ページ(p)」をクリックし「拡大」をクリックしてお好みの大きさにしてお読みください。(画面設定が1024×768の時、拡大率125%が見やすい)

akutousinsi

悪党紳士        涙香小史 訳

               第十七回

 有浦と綾部が乗った馬車は、頓(やが)て利門町と伊太利(イタリア)村との岐(わか)れ路に来たので、有浦は馬車を降りて、利門町にある蘭樽伯の家に向かい、綾部は伊太利村の鶴女の家に向かった。今は先ず綾部の事から記すが、綾部の心の中は唯、お仙嬢を思うの一念なので、公園地に着いてからも、先の日我れが初めて嬢を助けた道を選び、此の道を行ったら、若しかして嬢に逢うことが有るかも知れない。

 たとえ逢わなくても、嬢が踏んだ土を踏んで、嬢が眺めた景色を眺めながら歩るいて行くのも、又是心を慰さめる一つになると、果敢(はか)ない事を思いながら、宛(あたかも)夢路を辿る人の様に、茫然として歩いて行く中、道の傍らに小さい池があった。

 池の辺(ほと)りに、年若い女が佇(たたず)んでいるのを見たので、若しや嬢ではないかと、我知らず見惚(みと)れる中、佇(たたず)んでいた女も此方を向いた。つくづくと見る迄も無く、其の澄んだ眼と云い、其の愛らしい口許は、紛(まが)う筈も無いお仙嬢であった。綾部は磁石に引かれる鉄の様に、他愛も無く其の傍に進み寄った。
 (綾)嬢さんお一人ですか。
 (仙)イエ鶴女も来て居ますの。毎時(いつも)の木の陰で、編み物を仕て居ますよ。
 (綾)阿母(おっか)さんも御一緒ですか。
 (仙)イエ、阿母さんは急に迎えが来て、今朝ほど急いで帰りました。
 (綾)相ですか。でも今日は日曜だから、一日逗留すると仰ったでは有りませんか。

 (仙)ハイ逗留すると云ったから楽しみにして居ましたら、主人の所から使いが参りまして。
 (綾)ヘ、主人とは。
 (仙)阿母さんの奉公して居る、仕立屋からですがネ。何だか私は気に掛りますよ。其の使いと云うのが当たり前の人では無いのです。私は一寸(ちょい)と其の顔を見ましたがネ、恐ろしい悪人の顔の様な目付きでした。

 (綾)ナニ、それは御心配に及びません。目付きが悪人の様でも、心の綺麗な人は沢山ありますから。
と口では何気なく言ったが、先ほど馬車の中で有浦から聞いた事も有り、万一(もし)やと心に掛ったので、
 「でも阿母さんが、其の人をご存知でしょう。」

 (仙)イエ知ら無いと申しました。手紙を読んで暫(しばら)く考えて居ましたが、真逆(まさか)此の手紙に間違いも無いだろうと、心配相な顔をして、出て行きましたから、猶更(なおさら)私は気に成ります。でもネ、阿母さんも、人の家に奉公などするのは、シミジミ厭(いや)だから、遠く無いうちに暇を取って、田舎へ引込むと言って居ました。
 (綾)ナニ心配する事は無いでしょう。しかし奉公先とは何所ですか。
 (仙)夫(そ)れを私には言いませんの。私ハネ、小さい時から鶴の所に居るのですから、阿母さんの居る所へ、一度も行ったことが有りません。

 この様に熱心に話して居る所に、後ろから誰だか池の中に小石を一個投げ込む者があった。二人は驚き振り向くと、年の頃十二、三になる一人の小僧が、手紙の様な物を持って進ん来て、お仙に向かって、山田のお嬢さんとは貴女ですか。

 お仙は何事なのか知らないので、直ぐには返事も出ず、空しく小僧の顔を眺める中、綾部は立ち上がって、
 「爾(そう)だ。此の方が山田のお嬢さんだが。何用だ。」
と叱る様に責め問うと、小僧は手紙を差し出し、
 「私は丸屋町の花房屋から使いに来ました。」
 (綾)花房屋とは何だ。
 (小僧)仕立て屋です。

 此の仕立て屋ですとの短い言葉に、お仙は早くも、我が母からの使いに違い無いと思ったので、
 (仙)其の仕立て屋から、何を言い付かって来たのだエ。
 (小僧)此の手紙を貴方に渡して来いと云いました。
 お仙ハ受け取って見ると、其の上封の文字は、母の書いた者では無いので、胸先ず驚き、

 「是は誰が認(したた)めたのだエ。」
と聞こうとして振り向いて見ると、小僧は早や四、五間(約七~八メートル)ほど離れた所に在って、ペロリと舌を出して逃げ去った。お仙は綾部に向かい、
 「何だか私は、此の手紙を開くのが厭ですよ。阿母さんが何(ど)うかしたのだろうと思はれます。」

 (綾)イヤ、先ず読まなければ分かりません。封をお切りなさい。
 お仙は心重そうに封を切り、一通り読み終わって、忽ち顔の色を変え、
 「私が思った通りです。大変です。」
と言って出す手紙を綾部は、
 「拝見致しても好いのですか。」
と言って受け取ると、

 「ハイ、貴方に知らせて悪い事は、一つも有りません。」
と答えた。此の言葉こそ、綾部にとっては命より貴いものだ。綾部は躍る胸を推し鎮めて読み下すと、上封には山田お仙様、女服裁縫店花房屋の雇い人「かる女」よりと有る。中の文に云うには、

 「至急申し上げます。御身の母蔦江様には、唯今過って工場の二階から落ち、ひどく怪我をなされ、筆を執る事が出来ないので、私が代筆致します。医者の診断(みたて)では、少しも身体を動かしては成ら無いとの事で、母御も大いにお困りの様子に御座います。それで至急、貴女に御話致し度(た)い事があるとの事ですので、何卒此の手紙をご覧次第、早速丸屋町二十六番館、花房屋まで御出で来下さるよう、お願い申し上げます。

 又花房屋で「軽女」とお尋ねなされば、私が御目に掛って、母御の御寝間まで御案内致します。私は「軽女」と云って、母御の下に使われる雇い人で御座います。何卒心置き無く願います。尤(もっとも)も此の事は、鶴女に聞かせては、無益の心配を掛けますので、何卒同人には、内々で、御身唯一人御出でなさるようにとの、母御の御言葉でございます。以上、月日。」

 綾部は読み終わって、
 「成る程之は大変だ。直ぐに行らっしゃるでしょうネ。」
 (仙)ハイ、是から直に参ります。爾(そう)しないと鶴に悟られますから。
 (綾)ダッてお一人では。
 (仙)ハイ、何うか貴方がお差し支えが無ければ、御同道願えないでしょうか。綾部は小躍りして、
 「イヤ、最(も)う私が参れば、決して御心配には及びません。サ参りましょう。公園を出れば馬車が有りますから。」
と二人は手を引いて立ち上がった。

 読者は原(もと)より此の手紙が贋(にせ)であることは知っているでしょう。何人の仕業であるか、又何の為に寄越(よこし)たものなのだろうか。

次(第十八回)へ

a:669 t:1 y:0

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花