巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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悪党紳士   (明進堂刊より)(転載禁止)

ボアゴベイ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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悪党紳士        涙香小史 訳

               第三回

 背後(うしろ)から捕えられ、且(か)つ目さへ隔(かく)されて、お蓮は非常に驚いたが、騒いでも逃れられ無い所と、深く心を落ち着け、彼れは何事を為すのだろうと、その為(す)が儘(まま)に任せて置くと、曲者(くせもの)は、寝台からお蓮を引き放して、

 (曲者)コレ何(どう)して此所(ここ)へ入って来た、有りのままに白状しろ。嘘を言うと縊殺(しめころ)すぞ。
 (蓮)ハイ、次の室(ま)から参りました。
 (曲者)次の室(ま)で何をしていた。此室(このま)の様子を、覗いていたのか。
 (蓮)イイエ
 (曲者)イイエでは無いだろう、白状しろ。サ命が欲しけりゃ白状せよ。
とお蓮の首を縊上(しめあ)げた。

 この様な悪事を見たからには、何(ど)のようにしても、助かるべき望みは無いと、お蓮は心に覚悟を極め、
 「イイエ、覗きましても、貴方を疑った訳ではでは有りません。此室(このま)に人殺しが有ろうとは、夢にも知りませんので。
 (曲者)ナニ、人殺し、夫(それ)まで知られたからは、愈々(いよいよ)聞き捨てに成ら無い奴じゃ。サ何(どう)して次の間に居た。
 (蓮)この家の女主お民に、用事が有って参りましたら、この次の小座敷へ通されました。小座敷で待って居る中、風(ふ)と見ると壁に穴が有って、この間から灯光(あかり)が照(さ)すので、ツイ立って覗きましたら。

 (曲者)ナニ、壁に穴が有るッテ。待て待て己(おれ)が検(あらた)めて来る。
と言いながら、後ろ様にお蓮を引き摺(ず)り、次の小座敷へ連れて行った。お蓮はつくづく曲者の様子を観察すると、彼今我を殺すに於いては、差し当たりその死骸の隠し所に困り、更には、お蓮の一声で、この家の人々が、馳せ来る恐れも有るので、成る可く事を、穏便に済まそうとする心に違いない。それで、お蓮も故(わざ)と恐れ無い様子を見せ、我身に危うい事があったら、直ぐにも人々を呼び立てる勢いを、示して居た。曲者は小座敷の壁を検め、成る程嘘では無い。穴が二ツ有る。

 「フム是は座敷の壁に在る美人の眼に当たるナ。座敷の様子を覗く為に、この様な事をして有るとは、物騒な所だ。」
と言って又も元の所に連れ帰り、
 (曲者)サそれから何(どう)した。
 (蓮)ハイ彼(あ)の穴を覗きましたら、寝台の天井が段々と下がって来て、寝ている婦人に被(かぶ)さりましたから、これは誰かが婦人を殺す計(たく)らみだと思い、我を忘れてこの室へ駆け込みましたので、貴方の様な恐ろしい方が、この室に隠れて居ようとは存じませず。

 (曲者)フム、若し初めから己(おれ)が隠れて居る事が分かったなら、何とする所だ。
 (蓮)ハイ、それが分ッたなら、単身(ひとり)で駆け込みは致しません。この家の女主(あるじ)に、知らせる所で有りました。
 この様に、容(おめ)ず臆せず《ずけずけ》言い立てる事は、極めて危険な事だが、この様な非常の悪漢に、偽りを言い立てても、彼は固(もと)より信ずる筈は無く、益々疑い危ぶむ事は確実なので、特に充分な度胸を示したのだ。

 曲者は聞き終わって、暫(しばら)くの間、言葉が無かった。
 言葉が無いのは、是れからお蓮の運命が、右とも左とも決(さだま)るかと思うと、その恐ろしい事は言い様も無かった。
 (曲者)手前は見掛けに由(よ)らぬ大胆な奴じゃ。
 (蓮)大胆では有りません。女の身として、同じ女が此様(こんな)恐ろしい死様に逢ふのを、見捨てる事は出来ません。
 (曲者)ナニ恐ろしい死様、恐ろしい事は少しも無い。斯(こ)うして殺せば、眠った儘(まま)で何も知らずに死ねるから、結局この方が功徳になる。手前は又、何故に余計な所へ手出をした。この女を知って居るのか。

 (蓮)イエ、この婦人は知りませんが、私には情けが有ります。
 (曲者)エエ、其様(そん)な押し問答する暇は無い。手前を生かせば安心がならぬ。一所に殺すから、サ覚悟しろ。
 (蓮)サ殺すならお殺しなさい。殺せば明朝、お民から私の死体を届け出ますから、その筋でも、第一にこの室を借りに来た人を、調査します。

 この時曲者は、我が身の危きを感じたのか、お蓮の首筋を押さえて居るその手先が、ブルブルと震えた。
 (曲者)ではお民は、この室を貸した次第を、手前に話したのだナ。
 (蓮)ハイ、家令の様な人が、借りに来たと云いました。お民も、貴方がこの様な恐ろしい罪を、犯すと知ったなら、決して貸しはし無かったでしょう。

 (曲)ナアニ手前さえ多舌(しゃべら)なければ、この罪は何時までも分かりゃしない。眠った儘(まま)で死んで居るから、医者でも探偵でも、他人に殺されたとは、気が付か無い。卒中か心臓破裂で、頓死だと見做して済ませるのだ。手前それを疑はしく思うなら、サ見せて遣る、ソレ見ろ。
と云いながら、茲(ここ)に初めて、目を隠していた手拭(ハンケチ)を取り除いた。

 しかしながら曲者は、己(おのれ)の顔を見られる事を、嫌うと見え、首を握った手は少しも弛めない。お蓮は眼を開いて、つくづくと打ち見遣(みや)ると、不思議なる哉、寝台の天井は、何時の間にか元の如く上に登って、少しも怪しい所は無い。それに婦人は全くその呼吸(いき)を絶たれたが、その姿、その顔の様子は、初め眠った時の儘(まま)で、殆ど死んだ人とは思われ無い程だ。

 お蓮は是(ここ)に至って、熟々(しみじみ)とこの曲者が、一通りでは無い悪知恵のあるのに驚いて、思はずも身震いをした。
 曲者はこれを見て、
 「コレ、恐ろしいか、真実恐ろしいと思うならば、死んでもこの事を他言しないと言う、誓いを立てろ。己(おれ)の前で、神に誓いを立てれば許して遣る。

 (蓮)貴方が私を信じないならば、誓いを立てても何の甲斐も無いでしょう。
 (曲者)イヤ、誓いさえ立てれば、今夜の所は許して遣る。その代わり、今から手前の身には、見えつ隠れつ、多勢の番人を付けて置くから、一寸でも他言すれば、直ぐ様息の根を留めるから爾(そう)思え。好しんば手前を殺さなくても、手前の身に取り、一番大事な人に、敵を打つから。手前に娘が有ればその娘、親が有ればその親に仇をする。その積りで神妙に誓いを守るか。

 お蓮には一人の娘がある。お蓮が今茲(ここ)に殺されたならば、娘を路頭に迷わすので、如何なる難題に逢うとも、命には替え難い。今は曲者の言葉に従う外は無い。
 (蓮)ハイ、誓いを立てましょう。
 (曲者)それではこの死人の身体に手を添えて。
と言いながら、又もお蓮が目を隠し、無理にその手を取って、死人の冷たい顔に当てさせたので、余りの恐ろしさに、お蓮は爪の先まで色が変わった。

 (曲者)サ、誓いを立てろ。
 今は止むを得無い。細く震える声で、
 「今夜この所で見た事は、生涯他言しない事を誓います。」
と誓い終わると、
 (曲者)夫(それ)で好い。是から後は、手前の命は、己(おれ)の物だ。何所へ行うが、手前の身には、数多の番人が附いて居て、言う事為す事、一々俺(おれ)に知らせて来るから、神妙にこの誓を覚えて居ろ。是でもう用は無い。サ帰れ。
と言いながら、灯(ともしび)を吹き消して、お蓮を裏門まで、引き摺(ず)って行き、その儘(まま)外へ突き出して、後を堅く〆切った。

 お蓮は独り、今までの事を考えて見たが、この曲者は如何なる人なのだろう、唯声を聞いただけで、姿を見ていないので、他日、道で逢っても知る方法は無く、官に告げる術も無い。しかしながら、唯だ我首を握って居た、右の手の小指に、太く厚い指輪を嵌めて居たと見え、初め捕(つか)まれてから、暫らくの間、その所だけ冷たく感じ、後には其所(そこ)だけ、肉を押される様な心地がした。是だけの事でも、他日何かの証拠と為る事が、有るかも知れないと、固く心に留めた。
 是れをこの話の発端とする。


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