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武士道 一名「秘密袋」   (扶桑堂書店刊より)(転載禁止)

ボアゴベイ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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武士道上編 一名「秘密袋」        涙香小史 訳

               第一回

 仏国(フランズ)の「グランビル」と言う所は西北の海に突き出た山の端にして、千尋(せんじん)の絶壁直ちに海に臨み、海より見上げれば殆(ほとん)ど攀(よ)じ登り難い崖にして、崖の上にグランビルの町は城の様に高く懸かり、崖の下は荒海常に岩を噛み、風穏やかな時でなければ小船をも寄せ難く、僅かに潮の引いた時のみ、漁師等が岩を伝って歩き回るだけ。この様な危険な所だが、海を隔てて英国の南端に近いので、昔は英国との戦争で、英の兵、この険阻を攀じ登って仏国へ攻め入ろうとした事も有り、海岸一の要害だと言う。

 この町に昔より貴族として敬(うやま)われる侯爵軽嶺家が有る。その主人侯爵はここに説き出すこの物語の始まるより数十年前、海軍の士官と為り英国との船軍(ふないくさ)に運拙(つたな)くして、英国の某士官に海の中へ切って落とされた。見ていた部下の者も負け軍(いくさ)に、その死骸を拾い上げることさえ出来ず、そのまま魚腹に葬むられたか、それとも底の藻屑となったか、浮き上がりもせず消えてしまったので、名譽ある戦死として、長く弔(とむら)はれることと為ったが、その時は1758年にして、既にそれより三十五年を経、即ち1793年の暮れとなった。

 時しも、「ベンジー」地方に起こった勤王の一揆軍、この所に攻め寄せるとの噂あり。土地の若者等、これを防ごうとして隊を組み、中央政府より訓練を経た正式の士官に出張を乞い、その人を頭に頂き、不束(ふつつか)ながらも戦争の稽古などをしていた時であるが、ここに前記の侯爵軽嶺家は、主人侯爵が戦死してから、後に残るのは薔薇(しょうび)夫人と言って、当時美人の誉れが高かかったその令夫人一人となって、広い屋敷は朽ち掛かってまだ存するが、後継ぐ人も無い。尤も侯爵が戦死した時、その妻薔薇(しょうび)夫人は身孕(みごも)って居て、戦死の知らせが届いた翌月に美しき女子を産み落とし、これを松子とは名付けたるが、松子は十九歳まで成長して死し、今は薔薇(しょうび)夫人唯一人生き残る身とはなったが、此の夫人も歳早や八十歳という高齢である。

 薔薇夫人は一人娘の松子を失ってから、世を味気なく思ってか、数限り無い夫侯爵の財産を、追々に売払って黄金と為し、その黄金を何処に隠したのかは知らないが、銀行等へも預けず、その身も非常に質素にし、倹約をだけ旨として暮らしたので、グランビルの町中の評判になり、軽嶺家の黄金は幾千万有るか計られずとまで言い伝いられたが、その事が共和政府の耳に入り、数年前、軍用金として上納せよと命ぜられたが、夫人は一切その様な金は無いと言い張り、その命に応じなかった。

 間も無く共和政府は、
 「政府すら財政の困難に苦しむ折なれば、人民に於いて私に金子を蓄えること相成らず。」
との乱暴な法律を作り、厳重に全国へ達した。
 薔薇(しょうび)夫人は差し当たりこの法律に触れる人なので、再び政府より人を派し、詮議したが、その黄金を見出すことは出来なかった。又夫人も言葉巧みに、
 「夫の古い借金を払い尽くした。」
と言い張ったので如何しようも無く、詮議は止んだが、死んだ侯爵にそのような借金など有る筈が無いので、町の人は一人もこれを信ぜず、薔薇夫人の黄金を天下の羨むべき者の一つに数え、夫人が死せばその黄金は如何(どう)なるのか、又その高は何百万有るのかなど、空しく他の財を数えて、寄ると触ると噂の種と為って居たが、今は愈々(いよいよ)この夫人の死すべき時が来たと見え、夫人は数十日来老病の床に就き、長年出入りの保田(やすだ)医師と云う老医にも見放なされるに至った。



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