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武士道 一名「秘密袋」   (扶桑堂書店刊より)(転載禁止)

ボアゴベイ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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 武士道上編 一名「秘密袋」         涙香小史 訳

               第二十七回

 再び荒波の中に飛び入り、第二の岬を指して泳いで行くが、漁師櫓助の姿は見え無い。しかし彼、水に泳ぐのを職業とする者なので、波高くても溺れることは無いはずだ。先ほどは既に中尉と弥生の姿を認め、
 「牢破りだ。」
と叫んだ程なので、若し彼に先きに上陸点まで泳ぎ着かれては、グランビル市に駆け込んで破獄逃亡の事を密告される恐れがある。

 何としても彼に追い越されては成ら無いと、縄村中尉は必死に成って水を掻いていると、非常に浪が荒い上、疲れ果てて居る弥生の手が、確(し)っかりと中尉の首に掛かっているので、思う半分も進むことが出来ない。空しく気を焦(あせ)らせ、燥(いら)つく中に又も傍らの水面に浮んだのは櫓助の顔である。彼は単身で充分に泳ぐ事が出来る筈なのに、早や半死半生の有様で、
 「助けて呉れ、助けて呉れ」
と続け呼んだ。

 弥生を殺そうと企んで自ら此の場合に落ち入った者なので、素より憐れみを掛けるべき訳も無く、中尉は切ない息の中から、
 「手前は水に慣れた漁師の癖に、人の力を借りようとは不届きだ。」
と罵(ののし)ると、彼は半ば溺れて、
 「漁師でも水中で怪我をしたから助けて呉れ。友達を救おうとして足に縋(からま)られ、片足を折られたから泳げない。」
と言う。

 さては彼、泥作を水中に捨てる時、足を引き折られたのに違いないと、中尉は其の儘(まま)聞き流して又も進み、最早力の全く尽きて、其の身も弥生と共に水死しようかと思う頃、漸(ようや)く第二の岬には着いたので、自ら先ず足場を定め、次に弥生の身を引き立てようとすると、此の時水中から確(し)っかと弥生の足を捉へる者があった。弥生は息も絶え絶えな声で、

 「あれ、誰だか私を水の中に引き込みます。」
と叫んだ。死にもの狂いの櫓助であることは確実なので、中尉は又も必死となり弥生の両脇に手を入れて、腕も抜けよと引き上げると弥生の身は半ば上がり、引き続いて櫓助の頭も水際に出て来たが、何しろ濡れたる磯の上で、一歩を過(あや)まれば其の身も共に滑り込む恐れがある。到底是より上には引き上げることは出来ない。

 「コレ、悪人、放せ、放さないか。」
と叱り付けれど中々放しそうには無い。
 櫓「俺を一緒に上げなければ、共々に水の中へ引き入れて死んで仕舞う。」
と云い、如何することも出来ない。その中に中尉の身は、寸一寸に水の方に傾き、今少しで櫓助に引き込まれる事と為ったので、中尉は歯軋りして、
 「エエ、残念だ、武器の無い獄中から出て来た為ピストルも持って居無い、ピストルさえあれば。」
と言って今一足掻きで弥生共々水中に落ちようとすると、

 「中尉、ピストルは茲(ここ)に有ります。」
と従者鉄助の声、背後から聞こえると同時に忽(たちま)ち一発、耳元で轟(とどろ)いたが、其の声に驚いてか櫓助は手を放して水中に沈み、弥生の身は軽く磯の上に引き上げられた。実に中尉は其の自ら言った様に、弥生を負って空中を潜(くぐ)り、又弥生を負って水中をも潜(くぐ)った者ではあるが、今は己の手柄を顧みる暇も無く、
 「オオ、鉄助か、貴様のお陰で助かった。」

 鉄助は進み出で、
 「イヤ、私は一切の用意をして先刻から待っていましたけれど、男女二人の上陸なので、貴方では無いのではと思い、暫(しばら)く躊躇して居るうちに、貴方の声が聞こえ、誰だか水中から貴方を引き込んで居ると思いましたから、短銃を発射しました。若し貴方に当たっては成ら無いと思い、先ず威(おど)しに空へ向けて打ちましたのに、音に驚いて手を放したと見えますな。

 中「オオ、今に始まった事では無いが、貴様の機転には感心した。先ず此の婦人を介抱せよ。」
 鉄助は初めて弥生の傍に進み、疲れ果て磯の上に倒れて居るのを引き起こながら、其の顔を見て、
 「ヤ、ヤ、先日の女間諜。」
と云って驚いたが、又心附いた様に、
 「オオ、此の女を敵軍へ送り届けさえすれば、貴方の身は射殺されずに済みますネ。コレは何より有り難い。私はどうか貴方を再び敵軍へ遣らない様にと、そればかり考へて居ましたが。」

 縄「イヤ、その様な余計な事を言うな。それより俺の言い付けた一切の用意は出来ているか。」
 鉄「ハイ、馬も二匹まで買い入れ、貴方の着替えまで持って来て有りますが、唯此の女の着替えだけは。」
と言ふに、
 弥生は身疲れたとは言へ、心弱くては叶はない場合なので、自ら励まして起き直り、濡れた衣類を絞りながら、中尉に向って、
 「実に今夜の貴方の御恩はーー」
と言い掛けるのを中尉は遮り、

 「イヤ、何の恩が有りましょう。貴女を助けなければ私の身も助からない所ですもの。寧(むし)ろ私から謝するのが当然です。併し兎に角も、是から無難のの地まで立去らなければ成りませんが、貴女はまだ歩む気力が有りますか。」
弥生は少しも躊躇せず、
 「ハイ、明朝まででも歩みます。」
と、疲れも見せず答えるのは、中尉の頼もしい気心を深く感じた為と思われる。



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