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武士道 一名「秘密袋」   (扶桑堂書店刊より)(転載禁止)

ボアゴベイ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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  武士道上編 一名「秘密袋」                   涙香小史 訳

               第三十九回

 小桜露人(つゆんど)が弥生の乗った輜重車(しちょうしゃ)を捜し求める所を見ると、彼は弥生がこの所に連れ来られている事を知り、救い出だす目的で特にこの方面を攻めて来た者と知られる。それにしても露人は如何(いかに)して弥生が輜重車に乗って茲(ここ)に在ることを探ったのだろう。其の次第を説く前に先ず縄村中尉の身の上と、中尉を審問した将官会議の有様を記そう。

 先の夜、ポントルソンを攻め落として、其の市長の邸に将官会議を開くに当たり、小桜露人は手傷がまだ癒えず、疲労の為に再び痛みを催して来た為、独り会議室の隣の間で休んで居たところ、この所へ黒兵衛に連れられて入って来た一士官は、先にグランビル攻撃の時、其の身が特に命を助けた捕虜縄村中尉だったので、露人はその後この中尉が少女弥生と交換の為敵軍へ帰って行ったのを聞き知り、中尉が果して弥生を送り還すだろうかと其ればかり気遣って居た際だったので、其の姿を見るよりも早く驚き立って之を迎へ、

 「アア、貴方は先の夜ーー」
と言掛けると、中尉は受け継ぎ、
 「ハイ、貴方の為に一命を取り留められた共和軍の中尉縄村猛夫です。アノ後此方(こちら)の軍から共和軍に捕らわれた弥生嬢と交換の為私は送り返されましたが、不幸にして其の任を果し得ず、再びこの通り貴方の軍へ帰り捕らわれました。」
と言うので、露人は既に弥生を我が妻と思い定め、今日この頃は寝ても覚めても唯其の帰って来ることばかりを待ち詫びていた所なので、是だけ聞いて早や弥生が敵に殺されたものと思い、

 「エ、貴方が弥生を救う事が出来ないかった。では共和軍が既に弥生を殺しましたか。幾等作法を知らない共和軍にもせよ、抵抗する力の無い少女を無情(むざ)無情殺してしまうとは余りに無慈悲です。」
と熱心に罵(ののし)るのを見て、中尉は是だけで小桜露人が如何(いか)に弥生を思ふ事が切実であるかを見て取り、

 「イエ、殺したのでは有りません。実は」
と言って、今迄中尉と弥生の間に在った事を悉く語り出すと、露人は中尉が弥生を空中に救ひ、又之を水中に救ひ、一つの馬に相乗りして遥遥(はるばる)旅をした事まで聞き来たって、さては弥生の一命はこれ程までもこの人の一命と絡み合ったのか、長く相接して旅する間に、此の人の恩義に感じ、心を動かす事が無かったかなど様々の妄想が浮び、かえって中尉の艱難多い身の上を羨(うらや)んで、

 我が身が如何して中尉の位置に立たなかったのか、中尉が弥生を救った様に、我が身自ら弥生を救い、其れほどの実情を示す事が出来たならば如何(どれ)ほどか嬉しかったことかなどと思って、寧(むし)ろ不愉快の感を催すのは、恋という曲者が既に胸の中に忍び入り、日頃にも無く我が心を狭くした為と知られる。

 しかしながらこの様に疑がったのは唯僅(わず)かの間で、忽(たちま)ち翻然と我に帰り、非常に中尉の勇猛にして誠実なのに感嘆し、却(かえ)って少しの間でも僻(ひが)んだ疑いを起こした事が恥ずかしく、中尉が再び弥生の馬が狂ったため、弥生を逸して共和軍の陣に陥らしめた事まで説き終わるに及んでは、暫(しばら)く言葉が出て来ないまでに感服し、やや有って、

 「貴方は実に先祖である義勇艦艇海王号の艦長縄村海軍大尉に優る勇士です。私の父が縄村艦長とは親しかったと言う事で、私の幼い頃、常に艦長の武勇伝を話して聞かせましたが、其の縄村と言う苗字が深く私の耳に残って居た為、私は貴方の姓名を聞いた時、さてはと思い、貴方の命を助ける気に成ったのです。其の時は決して当世無双の勇士を助けるとは思っても居ませんでした。」
と言って胸襟を開いて語ったが、又暫くにして、

 「併し差し当たり心配なのは弥生の身の上です。弥生は再び其の通り共和軍へ陥れば、今度こそ生きているのは難しいと思いますが。」
 中尉も心配そうに考えながら、
 「ハイ、私も先ほどから其れを心配しているのです。若しクレパー将軍の部下の隊に陥れば、将軍は決して残酷な事はしませんから、弥生嬢の命は無事です。唯パリから出張している別働隊の手に落ちたなら即座に殺された者と思はなければ成りません。」

 露人は聞いて暫く考へ、忽ち顔を青くして、
 「アア、どうもその残酷な別働隊の手に落ちたでしょう。若し将軍の手へ落ちれば、将軍は貴方を非常に愛していると言う事ですから、直ぐに貴方と引き替えの心を起し、弥生を此方(こちら)へ送り届けて来る筈です。其れが今以て音沙汰の無いのは、将軍の隊に陥らない為でしょう。」

中尉は別に異論を立てず、
 「其のご推量は御もっともです。
と云い切ったが、愈々(いよいよ)弥生が将軍の手に落ちず別働隊に殺されたものとすれば、中尉の命も是限りにして、弥生の殺された報いとして中尉も殺されることは確実である。中尉は心に是を知り、我が運の甚(はなは)だ乏しいのを思ったが、幾度も死を決心した身の上なので、今更卑怯な心は起こさない。

 露人は又考へて、
 「其れとも幸いに将軍の手に落ちたけれど、将軍が忙しい為未だ貴方と引き替えに寄越す暇が無いのかも知れません。」
 之れは最も当然な推量にして、中尉も爾(そ)うは思ったが、之に賛成するのは、我が命の惜しいがため、殊更に弥生が未だ生存(いきながら)える様に言做すにも当たるので、其の強情な天性のため、之に賛成する一切を発せず。唯単に、

 「いずれにしても推量ばかりで到底当てには成りません。」
と言うだけ。此の時早や将官室の戸は開き、
 「縄村中尉、之へ」
と言う大将軍の命令が聞こえて来た。



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