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武士道 一名「秘密袋」   (扶桑堂書店刊より)(転載禁止)

ボアゴベイ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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  武士道後編 一名「秘密袋」                   涙香小史 訳

               第六十一回

 黒兵衛が叩き示す金貨の音に、腕八は満足し、
 「アア其れさえ持って居れば外に言い分は無い。約束の通り船に乗ろう。最(も)う程無く溺殺の囚人が連れられて来る時刻だから。」
と言う。黒兵衛は何の異議も無く、
 「サア」
と答えて共に桟橋の方に行くと、船は囚人を載せた儘(まま)、水中に沈めらる者なので、その形は大きいが殆(ほとんど)ど水面に浮かぶ力も無かと思はれる古船で、其の傍(そば)へ幾艘もの小舟浮かべていた。

 小舟は先に腕八が話した様に、水面に浮かび揚がる囚人を叩(たた)き殺す為に用えられる者で、今夜窃(ひそか)に弥生を救い上げようと云うのも是に違いない。腕八は先ず桟橋から古船に乗り、猛犬ラペを顧みると、毎(いつ)もならば水を喜び腕八より先に進んで乗る程なのに、今夜は先ほどから気抜けした様子が未だ抜けず、何となく逡巡(ためら)っている。

 普段ならば強いてラペを呼び乗せるには及ばないが、今宵は黒兵衛と言う命知らずの男を相手とする事なので猛犬が無くては心細い。更に手を差し延べ食物を與(あた)える振りをして呼ぶとラペは不承不承に漸(ようや)く船に乗った。次に黒兵衛を招くと彼はラペに引き換え勇んで進んで来るので、余り言葉を発しない様にと耳打ちして、船長に引き逢せた。

 船長とは航海の船長ではない。死刑に関する役人の一人で特に溺殺係を命ぜられ、船を守る者で、名をパチリエーと云い、仲間の者からは水遊会長と言う怪(け)しからない尊名を以って呼ばれていると言う。
 この人黒兵衛を見て非常に満足した様子で、腕八に向かい、
 「イヤ、此の船大工は非常に強そうだ、水遊会の余興として囚人中の幾人かを此奴(こやつ)に斧を以(も)って殺させれば面白いだろう。」
と言う。腕八は黒兵衛に斧を振り回わされるのが何よりも恐ろしいので、

 「イヤ、幾等余興でも大工風情(ふぜい)にその様な事をさせては共和政府の名折れになる。」
と言い紛らせ、怱々(そうそう)に黒兵衛を艫(とも)《船尾》の方に連れて行き、
 「茲(ここ)に静かに控えて居ろ。」
と腰掛させた。

 腕八は更に縄村中尉に逢うべき大事な約束があるのを忘れてはいないので、是から又も陸に上ろうとすると、今度は猛犬ラペ、先に立ち船から桟橋に飛び出した。腕八は口の中で、
 「此奴(こやつ)が毎(いつ)に無なく船を嫌ふのは矢張り此奴まで黒兵衛の斧を恐れているのかも知れない。」
と呟(つびや)き、其の儘(まま)約束の場所に行くと、中尉は外套の襟に頭を隠し、暗い所を歩き廻って居て、
 「オオ随分俺を待たせたな。」
と声を掛けた。

 「イヤ、爾(そう)でも有りません。未だ囚人が船に乗らないから大丈夫です。」
と云う折りしも、遠く彼方の牢の辺から、松明を照らした番人に護送せられ、一隊の囚人が此方(こちら)を指して蠢き来るのを見る。此の中には勿論弥生も居るに違いないし、小桜露人も居るに違いない。中尉は迫立(せきたて)て、

 「ソレ最(も)う大事な時刻が来た、約束通り直ぐに船に乗ろう。」
と云う。腕八も云うべき事が無いので、囚人等の隊に追い付かれない様、一緒に先に立って桟橋の許(もと)に来て、
 「貴方と私との乗るのは是です。」
と云い、たった今黒兵衛を乗せた古船の傍(かたへ)に在る小舟の一つを指した。

 勿論黒兵衛は親船に乗り、中尉は小舟に乗る筈である事は、中尉と黒兵衛とで昨夜腕八の言葉を照らし合わせて明らかなる所なので、中尉は少しも怪しまなかったが、唯茲(ここ)に至って聊(いささ)か心配させられるのは、多い囚人の事なので、もしも甲板から投げ込まるべき定めである弥生が外の囚人と間違えられ、船の底に閉じ込められ、船諸共て沈められては救い出しの目的も破れることだ。依って腕八に向かい此の心配を囁(ささや)くと、彼も頭を傾け、

 「イヤ、その様な間違いは無い事に成って居ますが私も心配です。若し間違えば大事な報酬まで消えて仕舞いますから、アア宜しい、斯(こ)うしましょう。貴方は一人小舟に乗り親船の左舷に就(つ)いて離れない様に漕いでおいでなさい。私は親船へ乗り、船室へ入れる囚人と甲板に置く囚人を自分で一々選(え)り分けましょう。自分で選り分けさえすれば、決して間違はせる事は有りません。爾(そう)して時分を計り左舷に在る梯子を下ろして私が貴方の小舟へ乗り移ります。」

 是は万全の謀事なので、中尉は、
 「それが好いだろう。」
と云い小舟の方に下りようとすると、腕八は更に念を押し、
 「シタガ例の秘密袋はお持ちでしょうか。」
 中「その様な事は問うに及ばない、俺の言葉に間違いは無いのだから貴様こそ約束を違えない様にしろ。」
と云い、是で小舟に乗り移った。

 この後で腕八は再びラペを引き連れ親船に乗ろうとすると、ラペは船を嫌うこと初めよりも甚だしく、歯を剥き出して腕八に噛み付こうとするばかりなのは、全くこの様な猛犬に類多い狂病に罹った者に違いない。
 腕「エエ此奴は気が違ったと見える。この様な者は連れていても仕方が無い。何処へでも勝手に行け。」
と罵(ののし)り、其の身一人船に乗ると、早や彼の囚人の一隊は追い付き、腕八の後から宛も豚の群れの様に船に入れられ、船は幾多の付き添える小舟と共に、川の下手を指して動き出した。

 囚人中に雑(まじ)っている露人弥生は今将(まさ)に如何(どの)様な想いをしているのだろう。



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