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武士道 一名「秘密袋」   (扶桑堂書店刊より)(転載禁止)

ボアゴベイ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2014.3.10

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 武士道上編 一名「秘密袋」              涙香小史 訳

               第八十三

 「海上で戦死した侯爵が再びこの世に現れて我が家の門に佇(たたず)
んで居るとは実に意外です。私は夢かと思い、又幽霊かと思いました。真に侯爵の顔は人間の顔色で無く、幽霊の様に青く、且つは以前より非常に痩せて、頬骨の現れた様などは、真に物凄い様で有りました。夕方の薄明かりに茫然と此の姿を見て私は身を震わせましたが、ナニ幽霊では無く本当の侯爵です。戦死したと言う報告が間違いで有ったのす。

 それにしても、侯爵は今迄数ヶ月の間、何処で何をして居られたか、是は後で聞きましたが、彼の海戦で敵を追い詰め、かえって敵の刃で海の中へ切り込まれた時、間も無く海から敵艦へ引き上げられたと云うことです。
 味方の軍では侯爵が海へ切り込まれたのを見て、海から引き上げられた所を見なかったので、全くの戦死と思い、死骸は無くても戦死者として報告した訳です。

 是から侯爵は捕虜(とりこ)として敵船に留め置かれ、英国の軍医に治療を受けたと言うことで、怪我は大怪我で有ったけれど、次第に癒え、命も無事で英国へ連れて行かれ、此の時まで引き止めて置かれたそうです。其れは兎に角私は侯爵の姿を見、その幽霊で無いと思った時、さては大恩ある旦那様が無事で有ったかと一旦は喜んだが、忽(たちま)ち考えてみると、実に是は大事件の始まりです。

 悪い所へ侯爵が帰られたのです。第一に飛ん出来て侯爵を歓迎す可き奥方の部屋には今しがた、密夫縄村海軍大尉が入り込んだばかりです。確かに私が此の目で見て、アア幾等奥方は後家になられて、誰を二度目の所夫(おっと)に持つのも全く自由の身だとは言え、旦那が戦死して一年も立た無い中に誰憚(はばか)らず以前の密夫を引き入れるとは、能(よ)く無い事だと斯(こ)う思って居た所です。

 実に私は板挟みに成った思いがしました。旦那様にも奥方にも日頃から非常に御恩になり、何も彼も私で無ければ成ら無い様にせられて居るのに、是は如何(どう)したら好いだろうと腹の中は沸(に)え返る様で有りましたが、何にしても無言で居る訳には行かず、先(ま)あ旦那様、好うこそご無事でと喜ばしいご挨拶を仕かけますと、侯爵は唯一言、厳しいお声で、黙れと私をお叱りに付けに成りましたが、其の剣幕の凄まじい事は実に雷神(かみなり)が落ち掛かった様で、眼は暗がりの中に稲妻の様に光ました。

 私は唯ハッと思いました。アア此の剣幕では既に奥様の不身持ちをご存知で、其の罪を罰する積りでお帰り成ったに違い無い、如何(どう)しても事件は逃れられないと私は口も足も提縮(すく)んで仕舞いました。それにしても侯爵が如何して奥方の不身持ちを知られたので有ろう。是も後に成って追々に分かりましたが、侯爵が英国で、捕虜の姿で病院の庭を散歩している時、是も同じく捕虜に成って居た此の土地の漁師に逢った相です。

 人も有ろうに此の漁師は今も薔薇(しょうび)夫人の遺産を狙っているアノ悪人腕八の実父です。此の者は商船の櫓手(こぎて)に雇われ、近海を航海している中に其の商船ぐるみ英国の軍艦に捕らえられ、其のまま捕虜となったので、薔薇夫人とは親身の叔母甥に当たりますけれど、夫人を憎むことと言ったら並大抵でなく、今迄自分は何度も夫人へ無心《借金の申し込み》を言った事は忘れ、最後に夫人から謝絶せられたのを恨んで、その病院の庭で侯爵に向かい、夫人の不身持ちを告げたのです。

 勿論此の者の捕らわれたのは侯爵の捕らわれた時より二月ほども後の事なので、此の者は侯爵が不在と成って後の、夫人の身持ちなども知っており、夫人が数年前から縄村海軍大尉を情夫にしている事から侯爵の戦死が報告された為、益々喜び、毎日情夫を引き入れて居る事まで喋ったと言う事で、侯爵は短気な方なので、かっと怒り、如何(どう)しても忍び帰り妻の罪を罰すると斯(こ)う言う心に成った爾(そう)です。

 此の時迄侯爵は英国の政府にに対し、自分の身分姓名を包み隠して居たけれども、如何(どう)しても帰国しようと思った為、其の身分を打ち明け、国王から一時帰国の許しを得たのです。許(もと)より軽嶺侯爵と言っては此の国の貴族中一、二に位する身分ですので、英国の国王もこの様な貴顕の捕虜を他の捕虜と同様にする事は出来ず、特に一時の帰国を許したと申す事です。

 この様な訳で、侯爵は充分に思案と決心も仕た事で、更に私の首筋を捕らえたまま、
 「コレ、声を立てると酷い目に逢わせるぞ、己(おれ)の帰った事を誰にも悟られ無い様にして、サア俺と一緒に夫人(おく)の部屋まで来い。」
と云い、私を引き立てて、夫人と大尉のとの閉籠もっている部屋の入り口まで行きました。



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