巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

busidou85

武士道 一名「秘密袋」   (扶桑堂書店刊より)(転載禁止)

ボアゴベイ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2014.3.12

下の文字サイズの大をクリックして大きい文字にしてお読みください

文字サイズ:

更に大きくしたい時はインターネットエクスプローラーのメニューの「ページ(p)」をクリックし「拡大」をクリックしてお好みの大きさにしてお読みください。(画面設定が1024×768の時、拡大率125%が見やすい)

busidou

 
  武士道後編 一名「秘密袋」             涙香小史 訳

               第八十五回

 侯爵は更に厳重に言葉を続け、
 「シタが浦岸、此の決闘は一方が斃(たお)れて死ぬまで続ける約束だから、若し己(おれ)が勝ち大尉を殺せば其の方は己を手伝い其の死体の処分をしなければ成ら無い。若し俺が負けて殺されたなら、爾(そう)サ、其の時は己(おれ)の死骸を此の部屋の床下に埋めて呉れ。此の部屋の床下ならば、己は死骸となって後も床下から好夫(かんぷ)姦婦(かんぷ)のする事を見張って居る。

 何分誰も知ら無い間の決闘なので、世間の噂と為る筈も無く、軽嶺家の家名も幾分かは汚れが軽く済むかも知れ無い。己(おれ)は侯爵家の主人として普通の葬式さえも出来ず、姦婦の寝起きする其の部屋の床下へ葬られるのは本位では無いが、事の秘密を保つ為だから仕方が無い。

 一度戦死と報告された者が、無事に帰って来て、好夫(かんぷ)の手に殺されたと言われるよりは、何処までも戦死の儘(まま)で世に信じられて居る方が好い。だから葬式などは禁物だ。その代り他日此の姦婦が年を取り、死んで仕舞えば、其の時は如何(どう)か貴様から、此の軽嶺家の財産を継ぐ人に此の決闘の顛末(てんまつ)を打ち明け、己(おれ)の骸骨を床下から取り出して、静かに軽嶺家の先祖代々の墓地へ埋めて呉れ。

 姦婦の死ぬ迄は己(おれ)は床下が最高の墓場だと、斯(こ)う言われました。私が今日弥生様や貴方がたの前で此の通り物語りますのは、即ち侯爵の言い附けを履行して居るのです。既に姦婦と言われる薔薇(しょうび)夫人も死んだ後ですので、私は其の遺産の相続人にこれだけの事を告げ、そして相続が済むと早々、侯爵の死骸を床下から取り出して改装するように願って置かなければ、私自ら気を楽に死ぬ事も出来無い訳です。

 夫は兎に角、侯爵は更に薔薇夫人に向かい、
 「コレ決闘の前にその方にも一応言い聞かせて置く事がある。顔を上げろ。顔を上げろ。」
と云いましたけれど、薔薇夫人は中々顔を上げる所でなく、泣いているのか、気絶しているのか、長椅子に俯伏(うっぷ)した儘(まま)で今は殆ど身動きもしない有様です。侯爵は嘲(あざ)笑う様な調子で、

 「フン、姦通でもし様と言う横着者に似合わず肝の小さい事だ。是位の事が怖いのか。怖くて顔を上げ得る事が出来ないとなれば、、強いて上げるに及ばぬ、爾したままで聞いて居ろ。コレ女、己が此の決闘に勝てば、己の思う儘(まま)に其の方の身を処分するから別に今から言い聞かせて置くには及ば無いが、己(おれ)が負けて此の床の下に葬られるとなれば、其の方は生涯、他の部屋へ居間を移す事は出来無い。何処までも今迄通り此の室に寝起きせねばなら無い。

 若し外の部屋へ居間を移せば、己は死骸のまま、床下から起き上がって来て、その方の前に立ち塞がるぞと言われました。其の言葉の凄(すご)かった事は何とも彼とも申しようの無い程です。俯伏(うっぷ)して居る夫人にも深く心に徹したと見え、夫人は此の後生涯、此の恐ろしい言葉に襲われ、此の部屋から動く事も出来無い程で有りました。

 斯様(このよう)に侯爵は言う丈の事を言い終わり、愈々(いよいよ)決闘に取り掛かりましたが、其の戦いの激しい事は何とも譬(たと)えようがありません。世間に能(よ)く有る名誉一片の決闘とは違い、真に命の遣り取りで有りましたから、全く必死の勝負でした。

 本来侯爵は有名な剣客で、此の地方には相手が居ないと言われる程で有りましたが、酷(ひど)い手傷を受けた挙句(あげく)で、充分に癒えて居ませんから手足の働きが充分では有りません。大尉は是も剣客で、侯爵には劣りますけれど、健康に申し分が有りませんから、剣の打ち出しが侯爵より鋭く、足さばきも侯爵より敏捷(びんそく)に見えました。しかし切り結んで幾合と経ぬ中に大尉は早くも肩に二箇所、腕に一箇所の傷を受けました。

 此の様子では無論侯爵が勝つだろうと思って居ますと、侯爵は足腰にまだ不充分な所が有ったと見え。躓(つまず)いたのか、滑ったのか、不意に前の方へのめり、宛(あたか)も大尉が出して居る剣の切っ先へ倒れ掛りました。我と我が手に死んだも同じ事で、自分の身の重みで大尉の剣は侯爵の胸から背中まで突抜け、一語をも発せずに死んで仕舞いました。

 殆ど頓死(とんし)《即死》の様な者です。私は全く我を失い、侯爵から厳重に言い渡された言葉も打ち忘れ、唯恐ろしい一心で部屋から逃げ出そうと致しましたが、今度は大尉が私を捕え、
 「コレ待て」
と私の首筋を押さえ付けました。



次(第八十六回)へ

a:775 t:1 y:0

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花