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巌窟王
アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案 トシ 口語訳
since 2010. 12. 15
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史外史伝 巌窟王 涙香小子訳
ナポレオンと巌窟王
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前 置
世に英雄は多いけれど、ナポレオンの様なその出世の華々しい英雄は又とない。そして、その滅び方の異様に物凄い英雄も又とない。
彼は実に昨年を以て終わった第十九世紀の門出に花を飾った人である。第十九世紀という大舞台に、大活劇の幕を開けたのが彼だ。
彼は1769年に、ほとんど人が振り返って見もしない、地中海の小島に生まれて、30の年には、早、全フランスを足下に踏まえる大将であった。19世紀の幕の開いた1801年には、既に議政官の長となって、国王の無い国に国王と同じ身分となって居た。
猛(たけ)りに猛った民権論の真っ盛りに、革命の真っ只中に出て、直ぐにその民権論を蹂躙(じゅうりん)《ふみにじる》し、ほとんど全国民の殺生与奪(せっしょうよだつ)《生かすか殺すか》の権を一手に握るとは何たる怪物だろう。彼がその間に歴史に例を見ない「皇帝」という尊号を得たのが、彼の36歳の年、即ち1804年で、民権総て彼の前にお辞宜(じぎ)をした。
この時にあって彼はフランスの皇帝たるのみでなく、全ヨーロッパの王である。ほとんど人間の閻魔(えんま)大王ともなって居た。ゲルマンもスペインも、イタリアもオーストリアも皆彼の配下に立ち、北方の強というべきロシアまでひれ伏していた。海を隔てた英国より外には彼の意のままにならない国は無かった。歴史家がこの時の彼を指して「空前の大野心の空前の大成功」と言ったのは無理は無い。実に空前のみならず、絶後の大成功である。
自分の兄弟三人を、さっさと諸国の王に取り立て、さらに不足するところは配下の軍人でおさえた。乱暴は乱暴であるが「国王製造者」という無類の異名を得たのは千古の奇観と言うべしだ。全く思うままに国王を製造していたのだ。
大抵の国で野心家の野心と云えば、小さいのは役職を買うぐらい、大きいといっても総理大臣というに過ぎない。この人たちに比べれば、何と言う相違。何という隔たり、雲泥などという言葉では追いつかない。兵隊を議場に入れ、喇叭(ラッパ)の声で議員の怒声を埋めて置いて、一決して国家の長となり、再決して皇帝となり、三決して皇帝の上の皇帝となった。
そうして、その四決目が面白い。自分の生まれたコルシカ島から遠くも無いエルバ島に皇帝という尊号を持ったまま流されて、海人の焚き火に侘(わ)び寝の夢を照らされる人とはなった。
けれど、四決には終わらない。五決してエルバの島を脱するや、備えの厳重なグルノブルの関所を単身で越えようとして、番兵の前に立ち、「防御の武器の無い皇帝を、汝(なんじ)射殺して名を挙げるのは今だぞ」と告げた。胆力天地を飲むとはこのことだろう。番兵が彼の膝に、彼の足に、縋(すが)り付いたのも成る程と肯(うなず)ける。フランス全土の民が義兵を労(ねぎら)わんばかりに歓迎したのは成る程と肯ける。新王ルイ十八世が一夜のうちに夜逃げしたのも成る程と思える。
これというのも結局は、天がこのたくましい役者をして、再度舞台に登場させ、ワーテルローの敗退軍から、英国の軍艦でセント・ヘレナの孤島に流して、終わりの花道を演じさせたのは、「私欲より上に脱することができない人には永久の成功なし」という真理を示めしたかった為であったのだろう。彼は多くの英雄豪傑と同じく偶然の人間の見本で、神意の道具に使われた特製の図面である。
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ここに書き出す巌窟王の実談はナポレオンの話ではない。ナポレオンの話とは別のこととして展開するけれど、ナポレオンと少なからぬ関係がある。この話が始まる丁度その日が、ナポレオンがエルバ島を脱した1815年2月28日の事で、この実談の主人公団友太郎がエルバ島に寄って、手紙を預けられて来た時からの話である。
しかも、この人は彼と同じく、また偶然の人間で、神から選ばれた人ではないかと怪しまれるのだ。ナポレオンが歴史の表面に活動する間に、この人は地界の鬼のように働いていた。そして、その一身の波乱。その閲歴とも、ナポレオンと比べても遜色は無かった。歴史家などによると、ナポレオンと対すべき程の者で、しかも人物の天性、醇(純)の醇なることに至っては、ナポレオンとは比すべきでない。ただ、ナポレオンは野心的に進み、この人は人情的に進んだだけに、無理は無いが、この人は隠れ、ナポレオンは輝き、この人は曇り、したがって舞台も演劇も全く違っている。もっと言えば、ナポレオンは何事にもことごとく陽気で、この人は地震のごとく沈痛である。
ただ発端の話頭、少しナポレオンがエルバ島を脱するときの事件と関連するところがあるので、このナポレオンの話を知らないと、この巌窟王を解するのに不便であるために、いよいよ話に入ろうとする前に、このように書き置くのである。
史外史伝「巌窟王」、その巌窟とてもエルバ、やコルシカと同じ地中海の一島で又遠く離れてはいない。舞台は西洋から指して東洋というトルコ辺りからイタリアを経てフランスの中心に帰している。ある人はこれを、「紳侠伝」と言い、ある人は「復讐奇談」と言い、訳者はこれを「巌窟王」と言う。いずれの名もこの人の一端を写したのに過ぎない。全体を読み終われば適当な概念がおのずから読者の胸に浮ぶであろう。
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