巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 4.12

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

百十八、「美しい男の子」

 「オオ、生まれたばかりの赤児が」と伯爵は驚き叫び、直ちに語を継ぎ、「その箱から出たというのか。勿論もう息は絶えていたのだろうな。」春田路はその時の事を思い出してひどく神経を刺激されされている様子である。熱心な言葉をもって語り続けた。

 「ハイ、勿論息は絶えていましたけれど、まだ余温(ほとぼり)がありました。私は直ぐに川に投げ込んでしまおうかと思いましたが、今この子の父を刺し殺した手を持って直ぐこの子を投げ込むとは、いくら死骸にもせよ、かわいそうな気がしました。特にその死に顔が月に照らされて笑みを浮かべているようにも見え、世にも珍しいほど美しい男の子でありましたから、もしやまだ何処かに命が残っていはしないかと、私はその体中を調べました。どこにも傷はありません。確かに窒息の手段で殺されたものであります。

 幸い私は戦争の時病院に使われた事が有り、多少応急手当は知っていますから、そのハイに空気が入るように、しばらくの間、人工呼吸法を施して見ました。どうでしょう、その子が生き返りました。生き返ったのは嬉しいが、実は始末が付きません。人一人を殺した身が、赤子を抱いていられるものでもなし。これはどうしても育児院の入り口に捨てておく以外に無いと思いました。

 幸いこのオーチウルのはずれに育児院があることを知っていましたから、直ぐその門まで抱いて行きましたが、イヤ待て、ただ捨てては他日この子が成人した時、果たしてこの子という記がない、何か記念になるところは無いだろうかと思いましたが、まさかその赤子の体に傷を付けるわけにも行きません。仕方なくその包まっている衣類を調べてみると、これは古い風呂敷のような絹の布切れです。縦横に縞があって、端のほうにはHの字とNの字を並べて縫い付けてあるのです。アアこれが十分な記だと思い、その二字を真ん中から横に切り裂き、他日継ぎ合わせれば分かるようににしてその半分を私が持ち、半分をこの子の肌に付けて捨てました。」

 伯爵;「オオ、それは感心な用心であった。それから、」
 「ハイ、それから行く寺院の入り口の石段にその子を置きました。育児院というものは誠に親切に出来ているもので、石段の脇の柱に半鐘が掛かっていまして、児を捨てる者はこの半鐘を叩けと掲示して有ります。すぐにその半鐘を叩きました。確かにその中で目を覚ました人が有って、起きてくる様子でしたから、これで良しと、私は一生懸命に逃げ去りました。」

「それから矢張り世間の目を忍び忍び数日の後、ようやくコルシカ島に帰りましたて、兄嫁のお朝と言うのに会いまして、兄が殺された事を知らせ、その代わりに敵(かたき)は私が打って来たから嘆くことは無いと言ってあの蛭峰を殺した顛末(てんまつ)を詳しく話しました。

 お朝は誠に優しい女で、しばらくは嘆きましたが、その後で私に向かい、死んだ者は仕方が無いが、その子を連れて来てくれれば子として育てるのに惜しい事をしたと言い、せめてはその記念の絹切れでも私にくれと言うのです。その言葉に従って、Hの字とNの字と半分づつあるその切れを与えましたが、その後私が海に出て二ヶ月ほど経って帰って来ますとお朝が可愛い赤ん坊を抱いているのです。よく見れば、あの夜私が月明かりで見た玉のような顔の子なのです。蛭峰の罪の形見なのです。

 どうしてこの子をと驚いて聞くと、あの絹切れを証拠に自分でオーチウルまで出かけて行って、育児院に行き、先夜の捨て子を返してくださいと言ったそうです。すると院長がその切れの文字を調べて、なるほどこれに間違いないと言い、深くはお朝の身の上を聞きもせず直ぐに引き渡してくれたそうです。そう聞いて私も喜び、死んだ兄を思う心をこの子に移し、私の子として大事に育ててやろうということになり、名は「ヴエンデタ」の縁を取り弁太郎と名付けました。春田路弁太郎、何んとよい名前では有りませんか。」

 伯爵;「そうしてこの子は」
「ところが伯爵、実に恐ろしい子で有りました。罪の子は矢張り罪にしか育ちません。五つ、六つになるともう口が達者で、人をだますことが大の名人、何事にでももっともらしい理屈をつけて、大人を言いくるめてしまうのです。その上手癖が悪く、近所の人の物を盗む事が何度あったか分かりません。それに従っては智慧もなかかな逞しく、たまに自分の気が向いたときは学校へも行きましたが、外の子供が一月かかっても覚えない事をただ一日で暗記してしまうのです。十一歳になったときには村中でこれ程の学者は無いと評判にされました。書かせても読ませても、文章をつづらせても、出来ないと言うことが有りません。けれど、手癖は益々悪く、十八、九から二十歳頃の村の悪青年と交じって、様々な悪事を働き、ほとんど毎日のようにお朝を泣かせました。

 もっとも私が自分の子なら、もっと厳しく育てる事も出来ましたが、何しろ私の心に、この子の親を殺したと言う弱みがあるものですから、どうも自分の子を折檻(せっかん)するように痛い目に合わせて懲らしめる事ができないのです。彼もまた、どうして知ったか私を真の父ではないと知り、どうかするとその弱みに付け込むのです。

 その上、私は私は海に出て、一年のうちに家にいるのは二月か三月ですから、彼は益々増長しました。ついに私は我慢が尽き、最早や船に乗せて書記に使うより外にないと、船の中なら悪事をする機会も無く、お朝も助かるだろうと思い、一人考えを決めました。いよいよこの次の航海からと、期限まで決めましたが、悲しいかな、この次というその前の一航海に、私の船は税関吏と憲兵に踏み込まれ、沢山の密輸入品を積んでいた為、言い訳の道も無く、私は少しの隙を見て海に飛び込み、追われ追われてようやく前にも申しました尾長屋毛太郎次野家に隠れました。兄が隠れていて殺された家に、又弟の私が隠れるようになるとは、矢張り因縁ですよ。どうしてもその家に隠れるほかに逃れるところが無かったのです。」

 伯爵;「成る程、そのことはほぼ暮内法師から聞いた。その毛太郎次の家でお前は又意外な災難に会ったのだなあ」
 「ハイ、意外も意外、このような災難はまたと有りません。もとより私は表からその家に入ることは出来ず、人目に触れない様に裏口からソット忍び込み、もしや、誰か差し障る人でも居はしないかと、大事を取って先ず天井と二階の間に有る秘密の隠れ場所に黙って入ってみますと、下には誰も居ず、二階には毛太郎次の妻が、血の道(婦人病)で寝ている様子でしたが、しばらくすると毛太郎次がボーケアの市場からパリーの珠玉商人を呼んで来たのです。そうして、五万円もの値打ちのあるダイヤモンドを売り渡そうというのですから、私は実に驚きました。」

 さてはこの話で見ると、春田路がその家に入ったのは丁度その昔、イタリアの暮内法師という人が、毛太郎次に、団友太郎の遺品と言って、希代のダイヤモンドを与えて去った丁度その日の夜であったと見える。毛太郎次が妻と供にその真贋を疑って、一人急いでボーケアの市場に出かけて行った事は読者の覚えているところである。

第百十八終わり
次(百十九へ)

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