巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

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gankutu122

巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 4.16

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

百二十二、「鼻でも切って」

 パリー到着の第一日に野西次郎に面会した伯爵は、その第二日には段倉に面会するのである。第三日には多分、もう一人の敵に会うつもりだろう。先ず会って、近付きになっておいて、その上で初めて真の仕事に取り掛かるのだ。よく戦う者は先ず敵の陣営を飲み込まなければならない。

 幸い昨日の次郎は、ただ初対面で心服させた。イヤ実は初対面以前に既にその息子武之助を山賊の巣窟から救い出して、心服を得て置いたのだ。段倉に対してもこの通りである。初対面で彼の度肝を抜かなければ成らない。実のところ、これも既にそれだけの準備が進んでいるのだ。

 どの様な準備かと言うと、外でもない、ローマの冨村銀行から、段倉銀行に既に巌窟島伯爵の名を通じ、この方がパリーに行って貴行と取引を開く際は、「無限」の信用を与えてくれ、それに対する責任は十分に当行で引き受けるとの保証状まで正式に送ってあるのだ。段倉にとってこれほど驚くべき事件は無い。「無限に信用せよとは、限りなく貸し与えよと言うことである。この人の署名に対して幾らの金額でも支払えと言うのと同じ事なのだ。今まで広い取引の上で、随分一個人に対して五十万円賢し越した事もある。百万円の信用を与えたことも無いでは無い。ただ「無限の貸し越」、「無限の信用」と言うに至っては例がないのだ。仮にも無限の信用を受けるには無限の財産を持った人でなくてはならない。この伯爵とやらは、果たして無限財産が有るのだろうか。

 全く段倉は不審に思って、一人で頭を悩ましていた。およそ全ヨーロッパの中で百万以上の取引をするする人の名はことごとく段倉のような銀行者には分かっている。特別にその名簿まで出来上がっているほどのものだ。それなのに巌窟島伯爵の名はその名簿にも無い。

 ただローマから帰った野西武之助の話に何やらその人のことを聞いた様ではあるが、責任のある銀行者の噂にかってその名が上ったのを聞かない。どの様な人だろう、それとも「無限」と言う、一語に何か特別な意味でも有るのだろうか。何でもその人がこの地に着けば、直ぐに会って直々に問うて見なければならないと、彼は自分の使っている会計長などにも話していたと言う事だ。

 果たして第二日の朝、エリシー街の伯爵の屋敷の玄関に立派な二頭立の馬車が着き、待者が段倉男爵の名刺を持って伯爵に面会を申し込んだ。玄関番は直ちに断った。「今日伯爵は御在宅ですけれど、どなたにもお目にかかりません。」

 段倉は全く驚いた、段倉の名刺が、在宅の人に拒絶されたのは初めてである。彼は馬車の窓から家の庭などをじっくりと覗き、「ハテな、本当に大金持ちかもしれない。俺の前へ大急ぎで出て来ないとは、金を貴いとも思わないほどの人でなくては成らない。」
 不審に絶えない。顔付きで退いたが、その足で直ぐに公証人の所に寄り、この家が借り物ではなく、全く伯爵が買い入れたものだと聞き、更に不審を深くして家に帰った。

 伯爵は玄関脇の一室から段倉を覗いていた。そうして彼が庭などを見回す顔を見た時は、ほとんどマムシをでも見たように、「オオ、あの顔だ、あの顔だ、見るだけでも胸が悪い」と呟いたが、その後で直ぐに家扶を呼んだ。「これ春田路、お前にパリー第一等の馬を買い入れよと命じたのに、俺の馬は段倉の馬に及ばないではないか。」

 春田路;「ハイ、あの馬は博労も話していました。一万八千円も出したとか言いまして。」
 伯爵;「何故あの馬を買わなかったのだ。」
 春田路;「既に段倉氏の所有に帰しているものは致し方有りません。」
 伯爵;「そうでは無い。銀行家などと言うものは、儲けさえあれば自分の鼻でも切って売るよ。直ぐにこれから手を回してあの馬を買い取れ。俺は昼から馬車にあの馬を付けて外出するから。」
 春田路は恐る恐る「値は」
 伯爵;「値は元の値を倍にせよ。」
 春田路;「3万二千フランですか。」
 伯爵;「そうよ、それでも駄目なら三倍でも四倍でも好い。」

 金の力は驚くべきである。この日の午後伯爵が段倉の家へ出向く時間にはその馬は早や伯爵の馬車に付いて玄関に待っていた。伯爵はいよいよ出ようとして春田路を呼び、二つの指示を与えた。その一つは、俺の厩(うまや)にいる全ての馬を鞆絵姫の居間の窓のところに引き出し、どれでも姫の気に入ったのを姫の乗り料として選び取らせよ。」と言うのであった。

 その二は少し複雑だが、「ノルマンデーの海岸ハーブルとプーロンの間で非常に船付きに便利な辺りに、貴族の住むべき別荘を買い入れ、いつでも行かれるように、その途中の十里ごとに駿馬(しゅんめ)を配置し、又海の方には、何時でも出帆のできるように快走船を繋いで置け。」と言うであった。パリーは貴族が多いとは言え、遠い自分の別荘に行くのに、いつも馬の橋を掛けておくほどの贅沢は企てることは出来ないところだろう。この指示が終わるとともに、伯爵は段倉の邸を目指して馬車を進めた。

第百二十二終わり
次(百二十三)

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