巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

gankutu128

巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 4.22

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

百二十八、「神の法律」

 「私を仕事の無い人間とお思いですか。」と鋭い程に問い返した伯爵の言葉に、蛭峰は又驚いて「仕事があっては貴方のように世界中を我が家とし我が郷里とし、行きたいところへ行ってしたいことをするなどと言うその様な行動は出来ないはずです。」

 伯爵は打ち笑った。「仕事があるからそうするのです。仕事が無ければ世界中を飛び回るのには及びません。それこそ極安楽に、世間で言う貴族のように、ただ怠けて日を送ります。このように貴方とお話している間にも、私は我が仕事の必要の為に、直ぐ世界の果てまで旅立たなければならないようなことが有るかもしれません。」

 蛭峰;「ハテな、その仕事とはどの様な種類ですか。」
 伯爵;「言ったとて、分からない人には矢張り分からず、又私を信用しない人には嘘としか思えません。しかし、貴方は法律を扱う方だけに分かるでしょうか。私の職務もやはり法律を扱うことに有るのです。」

 蛭峰;「エ、法律を」
 伯爵;「ソレ、お驚きなさるでしょう。けれど、私の法律は貴方の法律とは違います。あなたのはフランスと言う狭い国家の法律、私のは世界と言う広い人類一般の法律。即ち先刻申しました、目には目を報いよ。歯には歯を報いよとの極めて公平な主義なのです。」

 蛭峰;「エ、公平、その様な主義をあなたは公平と言いますか。」
 伯爵;「ハイ、少なくてもこれが人道です。神の法律です。」
 蛭峰は初めて少し笑いを浮かべ、「なるほど、神の法律、その法律は何に現れているのですか。」
 伯爵;「何にと言って、フランスの法律がナポレオン律の文字に現れているように、誰にも読めるようには現れていないのです。現れていないからこそ神の法律なのです。」

 蛭峰;「なるほど、ソレは分からない人には幾ら言っても分からないはずです。」
 伯爵;「分からないからと言って神の法律を無いとは言えません。貴方は空気が目に見えないからといって空気は無いと言いますか。引力でも目には見えないがその厳密な事は驚くべきほどです。この様な具合に、人間の行いを賞罰する神の規則も見えないところに存じているのです。」

 蛭峰は少し悟った風で、「なるほど、そう仰(おっしゃ)れば幾らか理解が出来ますが、しかし、神の法律は神が行うでしょう。」 貴方のような人間の仕事では無いでしょうとの意を暗に含んでいる。
 伯爵;「ハイ、神が直接に行うか、又は特別に人を選びその人に行わせるかの二つです。天に口無し、人をして言わしむでは有りませんか。天に手無し、人をして行なはしむるのです。」

 「なるほど」と蛭峰は再び言った。そうして又「そうすれば、この人間の中に天の手、天の口として神に選ばれた人が有ると言うのですね。」
 伯爵;「そうですとも。単に俗人の間に身を置き、俗人にのみ接していては分かりませんが、一段目を高く注ぎ、国家などと言う詰まらない区別を離れて達観する日には、何処に天意、神意が有って、誰がこれを行うのに選ばれているのか自ずから分かります。」

 蛭峰は異様に深く感じたところがあると見える。「イヤ、このような高尚な議論は初めて聞きました。」
 彼がごとき法律一方の人間がこのような言葉に感心するはずは無さそうに思われる。けれど、その実、心の底に暗いところが有る人ほど弱いものは無い。その暗い所が、恐れのわだかまっているところで、自分では恐れるつもりが無くても実は恐れているというような場合が多い。彼が異様に感じたところの有るのも、或いはこのような道理の為ではないだろうか。

 「私し共には誰が天意を行う者に選ばれているのかは少しもわかりませんから、もしその様な人と接する場合には、俺がその人であるぞと先ず警報を与えて欲しいと思います。そうしないと天の代理に向かい、どの様な失礼をするかも知れませんから。」とこれはまた少し笑いを帯びて言った。

 伯爵;「あなたは既にその警報に接したでは有りませんか。」
 蛭峰;「エ」
 伯爵;「今現にその警報に接しているでは有りませんか。まだ理解ができないなら、私はここで改めて警報を発しましょう。貴方は今あたかも天の代理に選ばれた人と対話しているのです。」
 「エ、エ」と彼は驚き叫び、「では貴方が天に代わって天の法律を行う人だというのですか。」

 伯爵;「その通りです。天が私を天の法律を行う者に選んだので無ければ、なぜ私に限りない財産を与えるでしょう。なぜ私を国家より以上に置き、世界中を我が家とする事が出来る身分にしてくれたのでしょう。国家の主は国王とか皇帝とか言う者でしょう。けれど、国王の領分には限りがあります。例えばフランスの国王ならば自分の法律をイタリアに行うことは出来ません。私はそうでは無く、自分の領分に限りが無く、どの国の人をでも、自分の法律に従わせ、善を賞し、悪を罰する事が出来るのです。これが即ち神の法律を行っている証拠です。神の法律のほかに世界万国を全て支配する法律がありますか。私のほかにその神の法律と一致して何処へでも賞罰を下す力の有る人が有りますか。」

 ほとんど神の言葉かと聞こえるほど厳かに言った。蛭峰は開いた口が塞がらないほどであったが、ようやく、「イヤ、それは危険と言うものです。私共が国家の法律を行うのに数十万の人を使い、数百万の金を使い、そうして綿密に取り調べますけれど、それでも時々裁判の間違いと言う事があります。貴方はたった一人で、世界中の人を賞罰するなど、どうしてそうことごとくこの人は善、この人は悪と、見分ける事ができますか。」

 伯爵;「それだから神の力だというのです。神が分からせてくれるのです。イヤ、分かるだけの力を私に賜(たまわ)っているのです。私がこの国へ来たのは初めてで、今日が4日目でありますけれど、既に知らなければならないだけのことはことごとく知っています。国家の力で調べる事ができない事まで私は調べています。これが人間の力でしょうか。又これを反対の方向から見れば、こうまで人の事を知るこの私の身の上は誰にも知られていないのです。先ほども言った通り、フランス国人は言うに及ばず、どの国の人であっても、私の身分を知ることは出来ません。神が私にこの通り人間には知ることが出来ないような深い身分を与えたのです。神が特別に与えたのでなければ、このような無限の領地に跋扈(ばっこ)《気ままに振舞う事》して、そうして無限のことを知って、かえって人からは少しも知られていない人間が出来るでしょうか。私の身分は全世界の政府がことごとく連合して五十年調べたとしても、知ることは出来ないのです。」

 なるほどただの人間では無い。まさか神に選ばれたとは見えないにしても、何だか人間以上のように聞こえるところもないではないと、蛭峰は何だか五里夢中《深い霧の中で道にに迷って方角が分からないこと》へ引き込まれるような気になった。

第百二十八終わり
次(百二十九)

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