巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

gankutu142

巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 5.6

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

百四十二、「上には上が」

 上には上があるとはこのことだろう。皮春侯爵となって来ている初老の人が、随分巌窟島(いわやじま)伯爵を感心させるほど上手く侯爵の役を勤めているのに、更にその息子、小侯爵永太郎となって来た青年に至っては、上手い上に一層上手い。全く船乗り新八の見立てが暮内法師の見立てに勝ったというものだ。

 伯爵が第二接見所に入って行った時、ここに早や控えている永太郎は、父侯爵が棒の様にぎこちなく突っ立っていたのに引き換え、長いすの上に身を楽に置いて、あたかも俺はこのような贅沢な部屋には慣れ切っているという見えであった。そうして金の握りの付いたステッキを所在も無くもてあそんでいた。勿論二千円(現在の千四百万円)の旅費を得て来たのだから、十分な身なりのほかに高価なステッキまでも買うことが出来たのだ。

 伯爵は一目にこの様子を見て非常に満足し、「アア上には上」と我知らず呟いたが、やがて何気なく、「貴方が小侯爵皮春―――」
 青年;「ハイ、永太郎です。貴方は伯爵巌窟島友久閣下でしょうか。」
 伯爵;「左様です。多分貴方は、私に宛てた紹介状を持ってお出でのはずですが。」
 永太郎;「ハイもっては居ますが、書いた人の署名が少し奇妙ですから、もしや何かの間違いではないかと思い、―――」

 アアこの青年は、先ず巧みに瀬踏みをしているのだ。成るほど自分が小侯爵でなくて、小侯爵と名乗るのだから、凡その境遇の分かるまでは十分大事を取らなくてはならない、伯爵は成るほど無責任なことなどなさる方ではないことはよく分っていますから、ようやく安心いたしました。」真に安心した様子である。そうして紹介状を差し出だした。
 これを受け取って伯爵は読み、かつ肯きながら、「アア先だって柳田卿から私に寄越した手紙と同意味です。しかし、一応は貴方から貴方の素性を伺(うかが)いたいと思います。」

 永太郎はこう請われることを待ち受けていたらしい。「ハイ、私はダンテの不朽の著書にまで姓の出ているイタリアの皮春家の後裔ですが、五歳の時に、父博人の手から、ある怨敵(おんてき)に奪い去られまして、イヤついでながら申して置きますが、父は侯爵皮春博人と言い、母は小品侯爵家の一女折葉姫であったそうです。五歳の時ですので父母の顔を覚えていませんけれど、物心覚えて以来は絶えず父母に巡り合いたいと機会さえあれば訪ねましたが、その手掛かりさえ得ることが出来ませんでした。僅かに父母の家筋が分ったことさえ、実はついこの頃の事であります。」

 これだけは本当らしい。成るほど父母の名前も分からずに機会さえあれば訪ねていたのだろう。何となくその言葉と声とに、芝居としては余り誠実らしい響きが有る。勿論伯爵の方は、何処までが誠、どこまでが嘘とこの永太郎自身が知っているよりも好く知っているのだ。
 伯爵;「それでは貴方は、船乗り新八の指図に従って、好いことを致しましたよ。実は父上は父のほうでも切に貴方の所在をもとめ、今も現にこの家に来ておられますから。」

 もとより自分が父に会わしてくれと求めるためにこの家に来たことは知っている。今現に父で有る人がこの家に居ることとは思って居なかった。それに会えば或いはどの様に見破られるかも知れ無い。さすが何から何まで考え抜いている怜悧な男だけれど、あたかも足元から鳥が立ったように驚き、「エエ、父が今この家にと仰(おっしゃ)りますか。
 伯爵;「そうです。たった今まで私は奥の部屋で、侯爵皮春博人君から貴方のことを聞いていたのです。貴方が見えたと言うことに付き、博人君一人を残して、座を立ってここへきたのです。」

 ますます永太郎は異様に不安の色を現した。自分が早や化けの皮を引き剥がされる時が来たかと心配するのだろう。しかし伯爵は心配する時間をさえ与えない。「ところが、父上の言うことと柳田いや船乗り新八が先ごろ私に伝えたところと、ただ今貴方の言ったことと三方が全く符節をを合わすが如くですから、私も安心しました。安心して今夜この家で貴方と父上とをめでたく再開させる事ができるのです。」

 こっちも何時までも気づかってなど居る正直者では無い。「本当に父に会うことが出来ましょうか。私は伯爵、早や胸が轟きます。」
 伯爵;「勿論お会わせ申しますが、更に一応事情をお聞かせ申しておきたいのです。貴方を奪った奴と言うのがこの頃になり欲を起して、父上に大金でもって貴方を売り戻すという気になり、その周旋を柳田卿に頼んだ様子です。それは柳田卿が貴方の父上と親しい為でしょう。ところが柳田卿は、噂でもご存知でしょう。英国一、二の大金持ちで、人からは狂人と言われるほどの慈善に熱心で、単に世の中の曲がって居るのを伸ばしてやり、無実の罪を助けてやるというのみのために、本名を隠して世界を漫遊して居るほどの方ですから、その依頼者を憎み、それでは自分が、その永太郎のいるところを一人で探し出して、父侯爵へ返し、そうして奪った奴の悪計を破ってやるという気になり、金に飽かして捜索し、ついに貴方を見出したという事です。」

 どの様なところで見出されたのか、余り面目の立つところではなかったと見え、永太郎は少し顔を赤くした。
 伯爵;「どの様なところで貴方を見出したのか、それは柳田卿から私へも話は無く、又私からも聞きませんから知りませんが、兎も角、卿は貴方の境遇を見て、一層哀れを催されたという事です。これは多分貴方がご存知でしょう。」

 永太郎は又極まり悪そうに、「ハイ、知っています。」
 伯爵;「それから卿は様々手を尽くし、幸い私が、今まで卿と多数の事業を共にしたことが有りますために、父子の引き合わせを私に頼み、しかるべき方面から父上へ書面を送り、万事落ちも無く運んでおいて、又何処かに立ち去ってしまわれました。その結果が、今夜貴方と父上と私の宅へ落ち合うに至ったのです。」

 永太郎;「なるほど理解が出来ました。」
 真に理解は出来たけれど、ただ自分の身が本当の永太郎でないだけが残念だろう。

第百四十二終わり
次(百四十三)

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