巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

gankutu154

巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 5.17

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

百五十四、「食堂」

 食堂に入っても矢張り蛭峰と段倉夫人とを並べて座らせた。そうして巌窟島伯爵は絶えず二人の顔色を読むことが出来るように、その前に座を占めた。
 勿論食堂の贅沢は言うまでも無い。何一つ来客を驚かさないものは無いほどであった。そのうちで一例を示せば、献立の中にロシアのボルガとイタリアのフサロ湖より外では得られない魚があった。

 ロシア産の方は世界の食物通をもって自認する砂田(いさだ)伯が看破し、イタリア産の方は皮春侯爵が気付き、どのようにしてそのような遠国から取り寄せたのかと客一同の大疑問とはなったが、伯爵は直ちに料理長を呼び、二個の大樽を客の前に担ぎ出させた。樽の中にはまだ双方の魚が双方の湖水の特殊な藻と共に活き活きと泳いでいる。

 伯爵は説明した、「一つの樽に八人の人夫が係ります。ロシアの方からは十二昼夜、イタリアの方からは四昼夜、二時間ごとに人夫を取替え、夜昼の別無く急がせて取り寄せました。幾らこの魚が強くても、樽の水では二週間以上は生きていることは出来ません。」客一同は返事が出なかった。たった九人の客のためにそうまで手を尽くす贅沢は歴史の上にもかって無い。

 更に伯爵が、「ナニこれは皆様のためにわざわざ取り寄せた訳では無く、常に私は自分の食膳に登る品を世界の各地から取り寄せているのです。」と言い訳するのに及んで、食い物趣味の砂田伯爵は垂涎万丈という有様で、「それは羨ましい。」と感嘆した。

 必然の結果として話は伯爵の贅沢を褒める一点に集まった。「イヤ、もしも伯爵の命令がその僕に行われるように、裁判所の命令が迅速に行われたならば、私は世の中に罪人という者の一人も無い事にしてお目にかけますけれど。」と言ったのは蛭峰である。「このお屋敷の工事などもドアンチン公爵以来の早さでしょう。何でも三日か四日の間に修繕なさったと思われます。」これは出部嶺の口から出た。

 砂田伯爵;「何から何まで感嘆の外は無い。実は私もこの家を、数年前に持ち主の米良田伯爵が売り物に出した時、買う積もりで見に来ましたが、余りに荒れていて化け物でも出るかと或いは古い犯罪でも潜んでいるかと疑われるほどでしたから、そこそこに立ち去りました。」偶然にも古い犯罪との語がが出たので蛭峰の顔は異様に曇った。

 「オヤ、この屋敷の持ち主はっ米良田伯爵でありましたか。」と聞いたのは森江大尉である。米良田伯爵ならば自分と思い思われている蛭峰華子嬢の母方の祖父に当たると知っているから何となく聞いてみたいと見える。
 伯爵;「イヤ、一切家扶の者が買取手続きを済ましたので私は誰が持ち主だか今までも知りませんでしたが、さては米良田伯爵でしたか。」と蛭峰に向かって聞いた。

 蛭峰は仕方なく、「ハイ、実は米良田伯爵が私の娘華子の結婚資金の一部に当てよと言って、私に託して有りましたが、私も更に公証人に託して置きましたから、誰が買い取ったのか知りませんでした。しかし、華子の結婚もいよいよ近くなりましたので、私は買い手があったのを喜んでいたのです。」今度は森江大尉が顔色を変えた。華子の婚礼が近づいたとの一語に、全く口さえ聞かないことになった。

 砂田伯爵はなおも犯罪論を繰り返して、確かに私は幽霊の出る家だろうと思いました。もし大検事の岳父《妻の父親》の持ち家で無かったならば、誰でもこの家で犯罪の有ったのを疑わ無いでしょう。それをどうも、こうまで陽気な家に作り変えてしまうとは益々伯爵の手腕が分かるでは有りませんか。ねえ、蛭峰君。」

 犯罪論は全く伯爵の手際を引き立たせるための下染めであった。蛭峰は返事が出来ない。彼の夫人がこれに答えて、「そうですとも、伯爵のお手が触れれば犯罪の場所でも幽霊の家でも直ぐに極楽園のようになります。」

 話のうちに晩餐は終わり、更に席を他に移すべき時となった。伯爵は今の話の糸口を捉えて、「イヤ私とても買い取ってから、初めて見た時は、犯罪だか幽霊どちらにしても、深い因縁がこもっている家だろうと言う気が致しました。その中にも一つ、貴婦人の寝室にでも用いたかと思われる部屋が有りまして、緋の帳(とばり)が垂れていまして、何となく凄いような感じを起させます。余り不思議ですから私は、他の人もその部屋を見れば同じ感じがするだろうと思い、元のままにして手を付けずに置いてあります。が、今夜は皆様にその部屋を見ていただきましょう。」

 と言い、更に蛭峰に向かい、「貴方はこの家を託されていたとしてもご自分では見たことは無いでしょう。、犯罪には始終直かに接する職業ですから、その部屋を見ても我々のように、異様に神経を騒がせる様な事は無いでしょうけれど、まず、一緒にご覧下さい。イヤ、段倉夫人も共々に、サア、皆さん行きましょう。」

 一同は伯爵の後に従って座を立った。ただ蛭峰と段倉夫人はあたかもその席に釘付けにされた状態である。異様に恐れを帯びた眼で、互いに問うように顔と顔を見合わせた。

第百五十四 終わり
次(百五十五)

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