巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 5.28

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

百六十四、「紋の片割」

 段倉夫人はしがみつくように聞いた。「そうしてあの子の死骸を改葬してくださったのですか。」
 蛭峰は思い出すのさえ心が穏やかでない様子である。すぐには答えず先ず額の汗を拭いて、「サアそこです。私は誰にも気付かれないように、矢張り夜になってから、吹上小路へ行きました。勿論あの家は、貴方が立ち去って後には、誰も住んだ人が居なかったので、何もかも元のままになっていました。私は少し安心して、夜の十時過ぎではありましたが、用意して置いた鍬を持って丁度小児を埋めた所と確かに見覚えのある場所を掘り返しました。ところがどうでしょう。死骸は箱ごと紛失して影も形も留めないのです。」

 夫人は絶叫した。「エ、私の子の死骸が、棺と共に紛失した。では改葬して下さらなかったのですか。」
 蛭峰は慌てて夫人を制するようにし、「イヤ、そう驚きなさってはいけません。高い声を立てない様にしてください。それから私は捜しました。もしや自分の思い違いで間違った場所を掘ったのではないかと、その辺りを二十坪も掘り返し、更に翌日に及んでは家の中まで探しました。けれど、赤子の死骸は有りません。全く誰か掘り出して盗み去ったのに決まったのです。」

 夫人は再び驚いた。「エ、誰かが盗み去ったと仰(おっしゃ)りますか。それにしては昨夜伯爵が死骸が出たと言われたのは。」
 蛭峰;「サア、それが何より怪しい点です。死骸が無いのに死骸が出たと言うところを見れば、伯爵は偽っています。偽りでは有るけれど、兎に角私と貴方が赤子をあそこに埋めたことを知っているのは明白です。それを知っていてわざとあの様な事を言い、特に二人を苦しめたのです。」

 夫人は全く腰を抜かした状態である。しばらくの間は何の言葉も出ずに、ただあえぐばかりだったが、ややあって、自ら心を落ち着け、「外国から初めてこの国に来た伯爵がそのような事を知っているとは。」

 蛭峰;「サア、そうすれば伯爵が外国から初めてこの国へ来たという事さえ怪しいでは有りませんか。」
 夫人;「それはそうです。けれど、外国から初めて来たのではないにしても、誰一人知らない秘密をあの方がーーー。どうも知っているはずが有りません。もしや、蛭峰さん、貴方の紛失したと思ったのは間違いで、貴方の堀残した所に矢張りあの死骸が有ったのでは有りませんか。それを全く伯爵が数日前に掘り当てて、それで昨夜のような話をしたのでは無いでしょうか。」

 蛭峰は太い息をついた。「もしそう考える事が出来るならば何も心配は無いのです。出来る事なら私もそう考えたい。けれど夫人、ここに一つ、どうしてもそうでは無い事実が有るのです。その死骸をば、私が掘るより前に箱ごと掘り出して持ち去ったものが確かに有るのです。」

 夫人;「それは。」
 蛭峰;「こうです。私はその時、きっとあのコルシカ人が盗み去ったのだと思い、そうすれば近日再び私に仇を為すため、その死骸を何処かに持ち出すだろう、持ち出せば直ぐに捕らえてその証拠の隠滅を図らなければ成らないと、私は人知れず八方に気を配り、かつはできる限りの手を伸ばして用心して居ました。丁度その頃です、私は内閣から召されて書記官長に取り立てられる沙汰を得ました。これこそは前から望む出世の道で、遠からず大臣にもなれる糸口とは思いましたけれど、折角出世したところでこの秘密を持ち出されてはたまらないから、矢張り口実を設けて元の通り検事の職に据え置いて貰いました。全く私はこれがために大事な出世を取り逃がしたのです。

 けれど、検事の職にさえ居れば、たとえ曲者がその死骸を持ち出して来ても、どうにかできると、ただこう思うために凡そ一年の間というもの、夜も寝ないほど注意しました。ところが死骸を持ち出しては来ないのです。そもそも死骸というものは、掘り出してから一年置けば証拠たる効力を失います。私は少し安心し始めましたが、又気が付きました。イヤ、あの赤子は、私が生めた時、或いは死骸でなかったのかも知れ無い。死んだと見えて、まだ命があったのかもしれない。」

 夫人;「エ、それでは貴方は、私の子を生き埋めににしたと仰りますか。」
 蛭峰;「イヤ、生き埋めでは有りませんが、死んだと思って葬った者が、意外に生き返るなどと言う事は全く実例が無いわけでは有りません。それで、私は思いました。もしや、コルシカ人が私を刺した後で、直ぐあの箱を掘り出して持って行き、何処かで開いてみると中からまだ息の有る赤子が出たと、こうすれば彼はその赤子をどう取扱うかだろう。河へでも投げ込むか、少し慈悲の心があれば、育児院の前にでも捨てるか。多分この様な事に違いないと、それから急に育児院のほうを調べ始めましたが、ようやく分りました。オーチウルの育児院前に、その同じ夜の一時半頃に赤子を捨てた者が有ります。」

 こう聞いては流石子を思う親の情である。段倉夫人は乗り出して、「オオ、私の子が育児院で育ちましたか。」
 蛭峰は、これには答えず話を続け、「その子は白い布で包んで有って、布の端には男爵の位に相当する紋章の付いているのを二つに引き裂き紋が半分だけ残っていて、その下にはHの字があったそうです。」

 夫人;「そのHの字は私の名の、張子の頭文字です。私の手元に有ったスカーフ、その他の布々には全て男爵の紋とHNの字を付けて有りましたから。」
 蛭峰;「兎も角育児院ではその子を保管して育てていましたが、6ヵ月の後に或る年取った女が、その布切れの半分、即ち紋の片割れとNの字の付いたのを持って来てそれを証拠にその子を引き取ったそうです。」
 段倉夫人はこれまで聞いてほとんど狂気の状態である。

第百六十四 終わり
次(百六十五)

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