巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

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gankutu181

巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 6.14

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

百八十一回、『言葉は明々白々』

 子爵野西次郎は何のためその子武之助と共に段倉の所に来たのだろう。段倉の恐れる通り縁談の為だろうか。もしそうだとしたら段倉と何らかの衝突無しには済まない筈である。段倉の方ではこの数年来約束になっている縁談を断る為にはるばるヤミナ州へまで手紙をやって口実の材料集めているほどなのだから。

 直ぐに段倉は思った。先が言い出さないうちに奥の間に連れて行き、娘夕蝉が皮春小侯爵と非常に親しそうに琴の合奏などをしている様子を目の当りに見せつけてやれば、親子とも気分を害して、言い出さずに帰るかもしれない。或いは立腹してついに縁談を向こうから取り消す事になるかもしれないと。

 もしそうにでもなれば、面倒無しに目的は届くのだからと、何につけても駆け引きが上手な質(たち)だけに、咄嗟の間に考えを決め、「サア子爵、この部屋は取り込んでいるからどうぞ奥の間に。奥の間には妻も娘も居ます。巌窟島伯爵も娘夕蝉の好きな皮春小侯爵も来ておられる。誰も気兼ねをしなくてはならない人はいませんから。」と敷居から内には入れず、直ぐ自分が先に立って案内した。

 娘の好きな皮春小侯爵とは許婚の相手親子に対してあんまりな言い方である。けれど、武の助の方はこれを聞いて密かに喜んだ。彼は如何にかして夕蝉嬢を自分の妻にはしたくない心に祈っているのだから、ただし父の方はそうは行かない。眉の間に八の字の皺(しわ)が現れかけた。

 もし段倉が猶予を与えたならば父の方は何か言いだすところであったかも知れないが、段倉は早くも眉間の八の字を見て、自分の言葉に効能があったことを喜び、ただ、「サア、サア」と急(せ)き立てて奥の間に連れて入った。ここには全く段倉夫人も居る。娘も伯爵も小侯爵も居る。そうと見て野西子爵は先ず段倉夫人に向かい、「今日は私共のパーティーにご出席下さったお礼を申しに参ったのです。」

 さては縁談のの為ではなかったのかと、段倉は少し自分が恐れすぎたのを感じた。子爵は言葉を継ぎ、「貴族院からの帰りに、それぞれお礼に回る積もりで蛭峰氏の家からここへ来ました。蛭峰氏はよほど取り込み中の様子でした。」夫人は蛭峰と聞いて、司法省の官房で密会した一条から更に遡って昔の罪深い事柄などをも思い出したか、異様に巌窟島伯爵の顔を盗み見た。しかし伯爵の顔は単に平和で何の色も現れていないから安心した様子で子爵に向かい、

 「それはご念の入った事です。」
 子爵;「そうしましたら丁度こちらの門前で武之助に会いましたから、夕蝉嬢のご機嫌をも伺わせたいと思い、この通り連れて来ました。」イヤイヤ縁談の為でもなくも無いと又段倉は思い直おして、「どうです子爵、娘と皮春小侯爵とがああして並んでいる所は良く似合うでは有りませんか。誰でもそう言いますよ。」この深い駆け引きの有る言葉は、ほとんど石一個で鳥二羽を打った様な効果があった。

 小侯爵皮春永太郎と成りすましている春田路弁太郎はこれを聞いて腹の中で天にも昇った心地がして、明日にも縁談を申し込まなくてはならないと思い、又申し込みさえしたら直ぐ承諾を得られると見て取って心に勇み、野西子爵の方は同じくこの言葉に前よりも深く眉をひそめたけれど、何にも言わずに、やがて知らない振りで聞き流した。
 
 しかし、聞き流さない人が一人居た。それは巌窟島伯爵である。伯爵は直ぐに「段倉さん、一寸」と言い、彼を部屋の隅まで連れて行き、誰にも聞こえない小さい声で、「貴方の今のお言葉は失言では有りませんか。」と聞いた。
 段倉はとぼけて、「エ、今の言葉とは」
 伯爵;「夕蝉嬢と武之助はとは長い間の許婚だと言うでは有りませんか。その間に皮春小侯爵などを入れて、もしものことがあればーーー、イヤ無くても野西子爵が感情を害されるような事でも有れば第一私が子爵に済みません。。子爵は必ず巌窟島が余計な小侯爵などを連れて来るからこの様な事に成るのだと私を恨みますが。」

 段倉は又小声で、「イイエ、イイエ、どの様な事が有ろうとも決して貴方に迷惑はかけません。どうぞ、私の娘の縁談は私の家のいわば内所ごとですから私に任せて置いてください。」
 伯爵は不満そうに、「成るほど、貴方がそう仰れば、他人の私が口を出すべき事柄ではありません。けれど、段倉さん、貴方の挙動が何だか小侯爵と夕蝉嬢との間を結び付けたいように見えるのは、私の賛成できない所ですよ。私はこれのためにもしも野西子爵から恨まれるのは嫌ですよ。」

 段倉;「イイエ、決して貴方が野西子爵に恨まれる様な事は私が致しません。たとえ娘を武之助にやらずに小侯爵へやる様な事になっても、それには又それだけの手続きがあり、野西子爵にはグーの音も出させません。」
 伯爵;「その様な事を仰って、他日貴方が後悔するようなことが有っても私は知りませんよ。」
 段倉;「勿論です。後悔するなら私が一人で後悔するのです。私は早くその後悔をしたいというほどに思っています。」とはこれは早く小侯爵を娘の婿に決めたいとという意味である。」

 嘘か誠か伯爵は苦々しい顔をして、「そうまで仰れば致し方有りません。」と言ってため息をついて、更に皮春小侯爵の傍(そば)に行きささやいた。「何かこの家に取り込みがありそうですから、今日はこのままお帰りなさい。」
 人の恋路の邪魔をすると、口には言わないが、小公爵は恨めしそうに伯爵の顔を見た。

 しかし伯爵の心を損じては元も子も無くなる身分だから真に仕方なくなく「ハイ」と答えて立ち上がって、立ち上がりながらも彼の心にフト一つの疑いが浮んだ。
 「オヤ、こうまで私の挙動を心配し干渉するこの伯爵は私のためには何者だろう。もしや私の本当の父ではないだろうか」と。

 この疑いが生じると共に彼はたちまち従順になり、ほとんど懐かしいと言う声で、「伯爵、私は少し用事を思い出しましたからお先に失礼致します。」と言い、更に他の人々へもしかるべく挨拶をしてここを去った。間もなく伯爵も「イヤ、私も大変な用事を控えています。」と言って同じくしかるべく挨拶をして立ち去った。

 もし伯爵のこのようなしぐさが駆け引きから出たものならば、段倉の駆け引きよりも更に上を越す手際と言うべきである。これも石一つで鳥二羽を打ったようなものだ。これを見て段倉は思った。  「アア伯爵は小侯爵を、自分が連れている鞆絵姫とか言うのに縁組させる気持ちがある。それだから心配するのだ。フム、伯爵の大資産でなお縁組を望むほどなら皮春侯爵家の財産は底が知れ無い。どうしても俺の方で先を越して夕蝉に結び付けなければならない。」

 又野西次郎の方は、伯爵が夕蝉と我が子武之助との縁談を妨げまいとの親切の為にわざと小侯爵を連れ去ったのだと思い、その親切に対しても早くこの縁談を運ばなければならないと決心した。決心しては少しも躊躇(ちゅうちょ)しないのが、野西次郎の本来の性質である。罪の無い人を密告したり、自分の預かる城を売ったりすることをさえ、躊躇しない程の気質だから、すぐ段倉に向かい、

 「貴方に真面目なご相談がありますよ。どうか居間へ」
 段倉は当惑気味に、「今日は全く取り込んでいますので」
 野西;「イヤ、手間の取れる事ではなく、一言で決するのです。」
 無理に段倉を段倉の居間に連れて行き、「前から約束になっている私の息子と貴方の令嬢との婚礼の日を取り決めましょう。」
 一言の誤解も許さない。言葉は明々白々である。
 段倉;「成るほど、昔はそのような話もあったかの様にも覚えていますが。」

 曖昧この上ない返事に、野西子爵の額には青筋が隆起した。現在の次郎と段倉、どちらがどの様に勝つか負けるか、この取り組みは見ものである。

第百八十一 終わり
次(百八十二)

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