巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

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巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

百八十二回、『「売国奴」の一項』

 次郎は軍人肌、段倉は商人肌、一は厳しく一はずるい。昔の素性は兎も角、今は双方おのおの一癖を具(そな)えている。真に見ものの話し合いである。
 段倉が空とぼけて、妙に落ち着いた様子なのに対して、次郎は掴(つか)みかかろうとするほどの剣幕となって、「エ、エ、段倉男爵、貴方はこの約束を忘れたと仰(おっしゃ)るか。「成るほど、昔はそのような話も有った様だ」などと。」

 段倉;「忘れたと言うわけでは有りませんが、それほど真面目な堅い約束とも思いませんでした。」
 次郎;「怪しからん事を仰る。息子息女を夫婦にしようと親と親との結んだ許婚を、堅い約束で無いなどと。もしや貴方は外に私の息子武之助より勝った婿を見つけだしたためというようなためでは有りませんか。そうならそうとはっきり言ってください。私には私だけの考えがありますから。」

 どの様な考えかは知らないけれど、その言葉の鋭さで見れば、決闘を申し込むとの意味らしい。決闘などは段倉にとって最も禁物である。この上も無く恐ろしい事柄である。けれど彼は簡単にこの縁談を破るだけの材料を持っている。先ほどヤナミ州から受け取った手紙がそれなのだ。何もここで激しく言い争わなくても、この材料を使用しさえすれば、たちまち自分の目的は達するのだと心で多寡をくくっている。

 「イイエ、野西子爵、何も私は貴方の息子を非難しているのでは有りません。息子には罪は無いのです。」
 息子には罪は無いとは角が立たないようで角立つ理由である。聞きとがめよと言わないばかりである。次郎は果たしてその手に乗った。「ナニ、息子には罪は無い。では、父のほうに罪があるとでも言うのですか。」

 段倉;「サア、ないと言い切るわけにも行かないでしょう。」と嘯(うそぶ)いた。何だか気味が悪い所がある。
 そうでなくても激怒していた野西子爵は、脱いでテーブルの上に置いてあった手袋を掴みつぶすかと思われるほどに握り、「失礼な」と言って立った。そのまま戸口を目指して立ち去ろうとした。けれど段倉の方はまだ落ち着いている。ナニ自分の身に暗いところのある奴は、真実怒る事が出来るものでは無いと、自分自身の経験に照らして見抜いている。

 果たせるかなだ。次郎は戸口から又引き返した。そうしてたちまち、今度は昔の極親しかった時代の打ち解けた口調に返り、「コレ、段倉君、君の態度が僕には少しも納得が行かないよ。お互いに何も罪だの罪でないのと、他人がましく洗い立てすべき中ではないよ。君の娘も早や年頃だし、間違いの無いうちに話を決めて婚礼を済ませようではないか。僕と仲を違(たが)いて君は何の利益がある。」

 段倉は少しも打ち解けない。ほとんど初めよりも一層恭(うやうや)しい口調で、「イイエ、野西子爵、利益の問題では無く、名誉の問題です。」
 次郎;「では武之助と夕蝉とを夫婦にするのが名誉に障(さわ)るといわれるのか。僕と親類続きになるのを君の家の不名誉と言われるのか。」

 詰問のように問われて、段倉は言葉を濁した、「それにしても子爵、この縁談は今日取り決めるのに及びません。私に二、三日考えさせてください。」
 次郎;「十年も約束していて、今更考えるとは、僕には納得が出来ない。君からこのような仕打ちを受けては僕は勿論武之助の顔にもかかわる。」

 段倉;「イヤ、何、縁談の破裂と言う事は、男の顔よりは、余計女の顔に掛かります。私も辛いけれど、この頃世間の噂を聞きこんだこともあり、何が何でも両三日考えなければ返事が出来ません。」
 次郎は怒気満面で再び立った。今度は戸口から引き返す様子は無い。「では世間でこの野西子爵のことを、悪し様に言う者があると言うのだな。どの様な噂かは知らないけれど、それに多年の親友である段倉男爵が耳を傾け縁談の故障に似するとはあまりにひどい。そのような軽薄な友人ならば無い方が幸いです。」言い捨てて立ち去った。

 この翌日の朝である。かの猛田猛(たけだたけし)の主宰する独立新聞の紙上に「売国奴」と題して、野西子爵に関する容易ならない記事が出た。段倉は何時も五,六種の新聞を読み終わって、独立新聞を最後に読む男なのに、この朝に限って、何か待ち受けることでもあるようにその新聞を一番先に選り出して打ち開き、紙面全体を熱心に捜した末、その「売国奴」の一項に目を注ぎ、「占めた、占めた」と叫び、更に「コレが出ればいくら野西次郎がずうずうしくても自分の名誉が地に落ちた事を知り、名誉の完全な段倉家へ最早縁談を申し込むことは無いだろう。」と呟(つぶや)いた。

第百八十二 終わり
次(百八十三)

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