巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

gankutu221

巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 7.24

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

二百二十一回、『死の前夜』(二)

 夜は早や二時を過ぎて真に草木も眠るかと思われるほど静かである。伯爵は部屋の外に有ったかすかな物音には気も付かず、前から認(したた)めてある遺言状に特別の書き込みを施した。その文意はただ自分がこの度の決闘には勝ってはならない事情が出来たため自殺するのだとの意を明らかにしただけである。

 書き終わって読み直したが意味は充分に通じている。「アア、これで良い、これで良い。何も空砲をもって武之助に向かい、決闘の真似事をして殺されるには及ばないことだ。そうして、それでは武之助を初め誰も私が自殺したとは思わない。全く決闘に負けたのだと思うだけだ。それでは余りに残念だ。

 やはりピストルへは当たり前に弾丸を込め、いよいよ相手と立ち向かう。そうして、その場に露子夫人が現れようが現れまいが、それには頓着(とんちゃく)《気にかけること》しない。いよいよという場合に敵に向かって放つ弾を自分に向かって放てば好い。
 ああ、我が身を保護しようとするためにこそ、長年練習してきた武芸が今は自分を砕くために用いられるのだ。」

 つぶやき終わって多少の満足を感じたけれど、自分の身が滅びるとともに大計画の滅びることは、どう考えても恨まずにはいられない。この恨みを誰に訴えてよいか分からない。誰にと言ってもやはり天に訴える以外は無い。今が今になって、天も無く神も無い暗黒の世から叫んだ口をもって又神を呼んだ。

 「アア、神よ、我は御身の栄光を汚すまいとして、はたまた我姓名を損じないようにと、ことさらにこのようにするのです。初めは土牢の十四年、一人絶望の中に復讐の誓いを立て、後にはこの世に出て十有一年、その誓いが神に通じ、神より復讐の手を貸されたものと信じ、昼夜身をささげ、又心を尽くしていたのに、今は自ら蹉跌(さてつ)《つまずくこと》して自ら身を殺すのだ。

 自ら殺さなければ敵に殺されるだろう。敵に殺されるのは神の栄光を汚すことである。ここにその意を明記するのは、神よ、彼等悪人、かの野西のような、蛭峰のような、段倉のような者をして、その罪に相当する必然の天罰をば、私の偶然の死のために免れることが出来たと思わせないためである。

 神よ、彼等をしてこの私の明記によって知らせるようにしてください。彼等が必罰を免れるのは、免れるのではなくて、延期されたのに過ぎないことを。この世において、近くわが手から下すはずであった刑罰が、遠く次の世に及び、直々に神の手から下されることになったことを知らせて欲しい。一時の責め、一時の罰が、永久の呵責、永久の刑罰に変ずる事になることを。」

 ほとんど熱心な祈りとも言うべきものである。これでも伯爵の心は安まらないけれど、このほかにはなお更休まるところが無い。祈り終わって再び頭を上げた時は、最早三時過ぎでも有ろうか。又もドアの外にかすかな物音が響いた。今度は伯爵の耳に入った。怪しみながら伯爵は立ってドアを開いた。けれど何の気配も無い。

 更に部屋に帰り、手燭(てしょく)《ランプ》を取って、廊下を越え次の間に入ってみた。物音の出た元はここにある。ここの長椅子に横になったまま顔を仰向けにして眠っている一人の姿。これを誰だと思う。あの鞆絵姫である。姫は何のためにここに眠っているのだろう。そのわけは問うまでも無い。伯爵の部屋へと来たけれど、様子がすこし異様に思われたため、用事が済んで伯爵が出てくるのを待つ積りで昼間の疲れについ眠ったのだ。これは年が若いためである。

 伯爵は手燭を差し上げてつくづくと姫の顔を見た。真に絶世の美人というのはこれである。今まで一日に何度となく見て、見るたびに美しく成長してきたたのを感じたけれど、今この手燭の下に、伯爵の入ってくるのも知らずに眠っている顔ほど美しく感じたことは無い。全く姫の寝顔を見るのは今が初めてである。イヤ有りのままに言えば伯爵は生まれて四十年を越したけれども、幼い頃に母を失い、母に抱かれて寝たことも覚えていなければ、母の寝顔をさえ見たことはなく、総て女の寝顔というものを見たことが無い。見るのは今夜が初めてである。

この寝顔が伯爵の胸にどの様な感じを催させたかは知らない。けれど、世にもし天使といい、天女というものがあるならば、その有様は、この罪も無く汚れも知らないですやすやと眠っている清き顔にこそ通っているものと思われる。もし又極楽というものが有るならば、他に求めるよりは今この息の調子も整いて春の若草よりも静かに、池の面の水よりも穏やかな姫の面にこそ読まれる。

 伯爵は透き通るような姫の顔色の奥にまで見入って、心の底を知ろうと思うように、又近く進み、手燭をかざしかざして我顔をも前に突き出し、半ば俯(うつむ)いたまま茫然として立つことおよそ五分にも及んだ。
 もし心の忙しいこの伯爵の生涯に少しでも世を忘れる時があったとすれば、それは必ず鞆絵姫の寝顔に差し俯(うつむ)いて居たこの少しの間こそは真に世をも身をも何事をも、全く忘れ尽くしたのである。

 もし又伯爵が、人生に復讐というものより他に、清き楽しき境涯のあることを悟る時があるとすれば、それも又必ずこのわずかな間においてでなくてはならない。この僅かな間が天から伯爵に授けた慰めの時間ではないだろうか。兎も角伯爵はこの顔の美しさに、知らず知らずに何事をか悟ったに違いない。

 やがて両の眼に、露のような輝きが見えてきた。けれど、良く思えばこの悟りは遅すぎるというべきだろう。明日死ぬと決まった今に及び、初めてこの世に復讐よりも美しい境涯があると知るのは、知らないほうが増しではないだろうか。何という時だろう、何なんという思いだろう。人生に恨事多しとはこのような場合を指すのではないだろうか。ああ又ああ。

第二百二十一回 終わり
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