巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

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gankutu227

巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 7.30

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

二百二十七回、『父将軍は何処に行った』

 親子の縁はいかに深といえども、父、父たらざれば、子、子たらずである。父が非義不徳の振る舞いのために名を汚し、身を汚し、世に顔向けも出来ない状態となるに当たり、子たるものは、曲がりたる父に組(くみ)し、父と共に恥の谷底に沈むべきものだろうか。それとも父と縁を切りせめては自分の身だけでも清くして一家の名誉を後々に回復すべきものだろうか。

 これは国々の教えに依り、多少の相違はあろうけれど、父が悪人であるが為、子も悪人となり、父が汚(けが)らわしい振る舞いをしたがために、子もその汚れに染まないのが、孝行でないというのは余りに意地の悪い教えではないだろうか。妻と夫の間と言ってもその通りである。夫が世に許されない大罪を犯した場合に妻たる者がその罪に加担しなければ貞女とは言われないものだろうか。妻にまで汚名を及ぼすような夫は夫の義務を誤って、自分から夫という権利を捨てるも同様だから、その妻たる者はせめて自分の身だけでも清くすることが人道というものではないだろうか。

 今、野西武之助とその母との決心したところはここである。父たり、夫たる野西将軍がここまで卑劣な人とは知らなかったのである。知っていればこの様な人非人を夫としていることは出来ない。父として共々に人非人の汚名を負うことは出来ない。母と子と一時に同じ考えを起こし、今まで住み慣れたこの家を鬼の住家のように思い、立ち去る心を起こしたのも、もっともである。

 けれど、子の方は母まで自分と共々この家から立ち去らせ、明日から何処に寝ると言う宿無しの境遇に陥らせるのは忍びない。又母の方も子まで自分共々立ち去らせる考えは無い。ただ自分一人でこの後の貧苦艱難を冒す積りである。それで武之助は母の部屋に入り、母が自分と同じように部屋の中を片付けて居る状況を見て驚き、「お母さん、貴方は何をなされます。」と聞いた。

 母は何もかも見て取った。「私に聞くよりも貴方こそは何をしていました。」と聞き返すのが母の返事であった。もう武之助も隠す気持ちは少しも無い。「いいえ、お母さん、貴方は女であり年もそう若くは有りません。とても私と同じような艱難辛苦は出来ません。」
 母;「イイエ、貴方こそはこの家を受け継ぐ身だからーーー」
 武之助;「貴方の息子が、売国奴の家として世間に赤面しなければならないようなそんな家を相続しても良いのですか。」
 
 けなげな言葉に母はたちまち泣きだした。「オオ良く言ってくれた。ソレは私から貴方に言わなければならない意見であるのに、私は心が弱いものだから、貴方に苦労させるのが辛く、貴方だけはこの家に残しておく積りでいたが。」

 武之助;「ハイ、私もこれから後は日々の食物まで自分の手から稼ぎ出さなければならない境遇ですから、貴方にそのような苦労をお知らせ申すのは不幸と思い、他所ながらお暇乞いして、一人立ち去る積りでしたが。貴方がそのようなお考えなら、御一緒に、お母さん。」
 母;「オオ一緒に武之助」と親子しばらく抱き合って涙にくれた。もしこの有様を絵にでも描けば、人間の最も美しい悲しみを描き出したものとして名画のうちに加わるだろう。

 ややあって、武之助は母の手から身を離し、「こうと決まれば直ぐに立ち出ることにしましょう。町外れの静かな所に、丁度好い小さい家を持っている知り人がありますから、その者に頼めば家も前金無しに貸してくれ、その上多少の金銭も融通してくれますから、ひとまずそこへ落ち着いた上で、後の相談を致しましょう。幸い今しがた将軍がどこかへ出て行かれたようですから、今ならば誰にも見咎められることは有りません。直ぐに私が箱馬車を雇って裏門の所に着けますから、馬車の戸を閉じて立ち去りましょう。」と細かに手はずを整えて、先ず父将軍の部屋を差し覗くとまだ返ってこない様子である。

 父将軍はこの場合に何処へ行っただろう。武之助の従者から決闘場においての一分始終を聞き、血眼になって、今度は自分が巌窟島伯爵と刺し違えて死のうとの死に物狂いの決心を起こし、荒れに荒れて伯爵の屋敷を指して行ったのだけれど、武之助はそうとは知らない。ただ良い機会とだけ思い、そのまま表戸に出て、一輌の馬車を雇って裏門に着けた。

 そうして再び家に入ろうとすると、何処から現れたのか知らないけれど、不意に背後から我名を呼び、「どうか至急これをご覧下さい。」と一通の手紙を差し出した男がある。見れば巌窟島伯爵の家扶春田路である。そうして受け取った一通は伯爵の筆の跡と見て取れる。「承知した。」と言い、再び顔を上げてみれば早や春田路の姿は見えない。

 手に残る手紙ばかりが事実である。さては返事に及ばない書面と見えるとつぶやき、持ったまま母の部屋に帰って母と共に読み下した。

第二百二十七回 終わり
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